愛の日
手に入らないものは、いつだって手を伸ばして求めてしまう。きっと彼のことも同じように、手に入らないとわかっているから尚更欲してしまうのだろう。
「あの、すみません、日々樹さん」
何気ないふりを装って、劇団の稽古後に彼を呼び止めた。彼はくるりと華麗に振り返ると、いつも通りの華やかで仮面のような笑みを浮かべる。
「おやおやなまえさん! どうしました? 今日の稽古で気になるところでも?」
「いえ……えーと、アレルギーとか苦手なものってありますか?」
「ふむ? そうですねぇ、強いて言えば飽きと退屈でしょうか。愛と驚きのない空間は苦手です、まあ、私がいればどんな空間でも華麗に演出してみせるので問題ありませんがね!」
なっはっは、と笑う彼は、いつもと比べてややテンションが高い。今日も稽古中に氷鷹さんにみっちりしごかれていたから、まだ気持ちが昂っているのだろう。
彼が氷鷹さん率いる劇団に所属してから、初めて主演を務めることになったのが私の脚本だった。その縁もあってか、日々樹さんは何かと私を気にかけてくれる。殆どは次の脚本についての会話だけれど、たまに彼が本業にしているアイドル活動でのことや、同じユニットの人とのことなんかも話してくれた。
いつも気さくに笑っていて、誰にでも分け隔てなくやさしくて、そのうえ自分の書いた世界を忠実かつより素晴らしく演じてくれる彼に恋をしてしまうのは当然のことだった。
「えーと、バレンタインのチョコを……その、もし迷惑でなければ受け取っていただきたくて……」
「……これはこれは! わざわざお気遣いいただきありがとうございます」
「あ〜……はい、いえ、じゃあ……お疲れさまです」
お気遣い、という言葉にちくりと胸が痛む。気を使って義理を持ってきたのではなくて、わがままを通そうと思って本命を持ってきたのだ……とは言えなかった。そのままくるりと踵を返して立ち去ろうとすると、不意に手首を強く掴まれた。驚き振り返れば、舞台の上でしか見ないような真剣な眼差しがこちらを見据えている。
「つかぬことをお聞きしますが、これはどちらですか?」
「どっ…………どちら、というのは……」
「勿論、単なる社交辞令なのか、それとも何か意味があるのか、ということです」
手首を掴まれた状態でなければ、パニックになって逃げていたかもしれない。私は彼の手を振りほどくことも逃げることもできず、そろそろと彼から視線を外して俯いた。
「意味、を言ってもいいんですか?」
「ええ。どうぞ、仰ってください」
ごくりと生唾を呑み、パッと顔を上げて彼を見る。心臓がありえないほどに高鳴っていた。呼吸が上手くできない。
「好きです。……貴方のことが好きなんです」
「……そうですか。フフフ、そうなんですね。あぁいけませんね……思った通りの表情がつくれません」
いつも超然としている彼が、今はまるで何処にでもいる普通の人間のような表情をしていた。頬は弛んで口角は上がり、よくよく見てみれば耳が赤く染まっている。
「嬉しいです、とても」
いつもよりずっと静かな声で、彼はそう言った。つられて私も顔が熱くなる。心臓は未だに落ち着くことなくバクバクと速まっていた。
「それは……つまり、その」
私が震える声で結論を急くと、目の前にポンッと薔薇が三本差し出された。
「薔薇が本数によって花言葉を変えるのはご存知ですか?」
「……し、知りません」
本当は知っていた。三本の薔薇の意味なんて知っていたけれど、知らないふりをすれば、彼がその口から告げてくれるのではという浅ましい考えが浮かんでしまったのだ。彼はそれを知ってか知らずか優しく微笑み、そっと私の手に薔薇を持たせた。
「愛しています。そうしてもう一輪、これで、死ぬまで気持ちは変わりません。……あまり公にできない関係にはなってしまいますが、なまえさん。お付き合いしていただけますか?」
彼はもう一輪、どこからか薔薇を取り出してまた手渡してきた。人間というのは不思議なもので、嬉しさの許容量を越えてしまうと何故か涙が溢れてくるらしい。
私は薔薇の花弁を早々に涙で濡らしながら、「はい」と小さく頷いた。
「あの、すみません、日々樹さん」
何気ないふりを装って、劇団の稽古後に彼を呼び止めた。彼はくるりと華麗に振り返ると、いつも通りの華やかで仮面のような笑みを浮かべる。
「おやおやなまえさん! どうしました? 今日の稽古で気になるところでも?」
「いえ……えーと、アレルギーとか苦手なものってありますか?」
「ふむ? そうですねぇ、強いて言えば飽きと退屈でしょうか。愛と驚きのない空間は苦手です、まあ、私がいればどんな空間でも華麗に演出してみせるので問題ありませんがね!」
なっはっは、と笑う彼は、いつもと比べてややテンションが高い。今日も稽古中に氷鷹さんにみっちりしごかれていたから、まだ気持ちが昂っているのだろう。
彼が氷鷹さん率いる劇団に所属してから、初めて主演を務めることになったのが私の脚本だった。その縁もあってか、日々樹さんは何かと私を気にかけてくれる。殆どは次の脚本についての会話だけれど、たまに彼が本業にしているアイドル活動でのことや、同じユニットの人とのことなんかも話してくれた。
いつも気さくに笑っていて、誰にでも分け隔てなくやさしくて、そのうえ自分の書いた世界を忠実かつより素晴らしく演じてくれる彼に恋をしてしまうのは当然のことだった。
「えーと、バレンタインのチョコを……その、もし迷惑でなければ受け取っていただきたくて……」
「……これはこれは! わざわざお気遣いいただきありがとうございます」
「あ〜……はい、いえ、じゃあ……お疲れさまです」
お気遣い、という言葉にちくりと胸が痛む。気を使って義理を持ってきたのではなくて、わがままを通そうと思って本命を持ってきたのだ……とは言えなかった。そのままくるりと踵を返して立ち去ろうとすると、不意に手首を強く掴まれた。驚き振り返れば、舞台の上でしか見ないような真剣な眼差しがこちらを見据えている。
「つかぬことをお聞きしますが、これはどちらですか?」
「どっ…………どちら、というのは……」
「勿論、単なる社交辞令なのか、それとも何か意味があるのか、ということです」
手首を掴まれた状態でなければ、パニックになって逃げていたかもしれない。私は彼の手を振りほどくことも逃げることもできず、そろそろと彼から視線を外して俯いた。
「意味、を言ってもいいんですか?」
「ええ。どうぞ、仰ってください」
ごくりと生唾を呑み、パッと顔を上げて彼を見る。心臓がありえないほどに高鳴っていた。呼吸が上手くできない。
「好きです。……貴方のことが好きなんです」
「……そうですか。フフフ、そうなんですね。あぁいけませんね……思った通りの表情がつくれません」
いつも超然としている彼が、今はまるで何処にでもいる普通の人間のような表情をしていた。頬は弛んで口角は上がり、よくよく見てみれば耳が赤く染まっている。
「嬉しいです、とても」
いつもよりずっと静かな声で、彼はそう言った。つられて私も顔が熱くなる。心臓は未だに落ち着くことなくバクバクと速まっていた。
「それは……つまり、その」
私が震える声で結論を急くと、目の前にポンッと薔薇が三本差し出された。
「薔薇が本数によって花言葉を変えるのはご存知ですか?」
「……し、知りません」
本当は知っていた。三本の薔薇の意味なんて知っていたけれど、知らないふりをすれば、彼がその口から告げてくれるのではという浅ましい考えが浮かんでしまったのだ。彼はそれを知ってか知らずか優しく微笑み、そっと私の手に薔薇を持たせた。
「愛しています。そうしてもう一輪、これで、死ぬまで気持ちは変わりません。……あまり公にできない関係にはなってしまいますが、なまえさん。お付き合いしていただけますか?」
彼はもう一輪、どこからか薔薇を取り出してまた手渡してきた。人間というのは不思議なもので、嬉しさの許容量を越えてしまうと何故か涙が溢れてくるらしい。
私は薔薇の花弁を早々に涙で濡らしながら、「はい」と小さく頷いた。