帰宅すると、玄関に恋人の靴が綺麗に揃えられているのが目に入った。思いもよらぬ訪問だったので、不意打ちにドキッと胸が高鳴る。ゆるむ口もとを玄関口でなんとかおさえ、平然を装ってリビングへ向かった。

「帰ったぞい……って、おや?」

そこにいるであろうはずの彼女の姿がない。寝室も一応見てみるけれど、見当たらない。しかし靴はあるのだからどこかにいるはずだ。……と、部屋を見回しているとふわりと涼やかな夜風が髪を撫でた。

 網戸を開けてベランダに出れば、そこには薄着の彼女がぼんやりと佇んでいた。煙草の煙を燻らせながら、彼女は俺に気付くとゆっくり振り返って、笑う。

「ああ、おかえり。お疲れさま」
「うむ、ただいま。中で吸って構わんと言うのに……寒くないのかや?」

後ろから細っこい腹に腕を回して抱き着くと、彼女は煙草を俺から遠ざけた。

「匂いついちゃうからね。壁も汚れるし」
「……我輩にも一本おくれ」
「アイドルが何言ってんの」
「一本だけじゃよ」

 別に煙草は好きじゃない。苦いし、匂いも残るし、吸っても特に気分が落ち着くなんてこともない。ただ、彼女が口にしているものを共有したかっただけだ。彼女は仕方なさそうに笑って、箱から一本煙草を取り出す。

「一本だけだよ」
「うむ。火、もらってよいかの?」
「ん」

 差し出されたライターは受け取らず、自分のくわえた煙草の先と彼女のくわえている煙草の先をくっつける。軽く吸ってやると、彼女の火が移った。ちらりと彼女の顔を覗けば、長いまつ毛を伏せて微かに笑っているのが見えた。

「そんなのどこで覚えてきたの?」
「え〜……これお主が前に教えてくれたんじゃけど?」
「あれ、そうだったっけ。忘れちゃった」
「むぅ」

 苦い煙を吸い込んで、ふぅ、と彼女に吹きかける。彼女はくすくす笑って煙を手で払い、俺を見つめた。

「煙を吹きかけるのって意味あるらしいね」
「へえ? それは初耳じゃのう、どんな意味があるんじゃ?」

 本当はそんなこと知っていたけれど敢えてとぼけて彼女に言わせようとした。そんな俺のわがままも、彼女はきっと気付いている。グイ、と俺の胸倉を掴んで引き寄せると、彼女は苦いキスをして甘く囁いた。

「今夜抱いてあげる」
「……抱いてください」
「あはは、なんでよ。零が私を抱くんでしょ」
「う〜む、そうなんじゃけど」

 彼女は笑いながらまた、短くなった煙草を吸う。俺は彼女に見入ってちっとも煙草を吸わないから、先が燃えつきていくばかりだった。灰を落として、まだ長い煙草の火を消す。

「今夜って何時くらいからなのかや?」
「さあ……でももう日は沈んでるよ」

煙草を早々に消した俺を見て、彼女も自分の煙草の火を消した。

「なら今からでも構わんのじゃな」
「ふふ、いいよ。抱いて」

 彼女はベランダの柵に背を預け俺のほうを向き直る。俺はその身体をひょいと抱き上げ、まだ少し寒いベランダから中へ入ってそのまま寝室に直行する。ベッドに散らばった彼女の柔らかな髪からは、微かに煙草の匂いがした。