パチン、パチン、とバラを摘み取る彼の美しく白い手に、私はじっと見入っていた。彼は手を止めることなく、一瞬ちらりと私に視線を寄越して微笑んだ。

彼の金色の絹糸は、陽光を受けてきらきら輝きながらゆらゆら風にふかれて揺れている。五月も中旬にさしかかった、ほんの少し暑い午後だった。

 きっと彼が手ずから世話をしなくたって、この色とりどりのバラたちを適切に丁寧に世話する人はいるのだろう。一端のバラ園のごとく広大なこの空間は、ひとつの例外を許すことなく調和をもち、かつそれがいつ見てもため息の出るほどの美しさを保っているのだから。普段多忙な彼は庭師に任せたこのバラたちと、気まぐれに戯れているに過ぎないのだろう。

 真っ白なテーブルクロスの上に佇む陶器のティーカップのハンドルに中指と人差し指を通し、親指で支えて持ち上げる。すっかりぬるくなった紅茶は、それでも尚高貴に香り立っていた。

「ねぇ」

紅茶で潤したのどを震わせ、沈黙を破る。彼は手を止めることなくバラに視線をそそいだまま、どうしたの……と柔和な声音で返事をした。

「そのバラ、まだつぼみが開ききってないのにもう切り落としてしまうの?」

少し身を乗り出して、彼の手に摘み取られるバラを覗き込む。彼はふとその一輪を手に取り、太陽に透かして見るように掲げ上げた。

「そうだね、遅くとも九分咲きくらいまでには摘み取ってあげないと」
「どうして?」
「早めに摘み取ってあげれば、そのぶん長く愛してあげられるからだよ」
「……変なの。バラは摘み取ったら死んでしまうのに」

 私がそう言ってよそへ視線を移すと、彼はくすくす笑って私の向かいの席に腰を下ろした。彼に向き直って見ると、真っ白な花弁のバラを一本差し出された。戸惑いつつもそれを受け取り、そっとその花弁を指先で撫でる。

「死ぬまであなたを愛しますとか、死がふたりを分つまでとかってよく言うけれど、どうやら一般的には死は愛を終わらせてしまうものみたいだね」

彼はテーブルの真ん中にあったクッキーをかじる。私は彼の言わんとすることをどうにか理解しようと、真剣に彼の声に耳を傾け、その表情を見つめていた。

「少なくとも、僕はね。死んでしまうことが愛よりも強大で、愛を終わらせるだけの力を持つとは思わないよ」
「でも死んでしまったら、愛することも何かを感じることもできないでしょ?」
「そうだね。けれど、愛していた事実は消えたりしないだろう?」

 彼の言葉は、私にとってやはり難解なものだった。いくら考えてみても核心には至ることなく、ただそれらしい答えの周りをずぅっとぐるぐる回り続けているような――そんな気分になった。

 彼はそんな私の様子を見て微笑み、優しく包み込むように私の手に触れた。

「だからね、理解できなくてもよく覚えておいて。僕が君より先に死んでしまっても、それきりで僕の愛も一緒に死んでしまうわけではないんだよ」
「……そんな話、してない……例え話でもしないで」
「ごめんね。でも知っていてほしいんだ……泣かないで」

ただの例え話とは思えない、空想よりずっと身近で触れられてしまいそうなその「もしも」は、ちくりと私の心を突き刺してしまった。彼を困らせたくはないのに、勝手に涙があふれてしまう。

「バラを見るたびに思い出して。僕が君を本当に愛しているってことを」
「……」

嫌だとは言えなかった。けれど素直に頷くこともできず、私は俯いて黙りこくっていた。手に持った白いバラに涙が落ちて、花弁を伝ってこぼれ落ちていく。

 いっそこのバラと同じように、私が大人になってしまうより前に――ひとりで生きていけるようになってしまう前に、パチンと摘み取ってしまってくれたらいいのに。誰より愛しい貴方の、その美しい指先で。