「付き合ってくれんかのう?」
「え……今から?」
「うむ」
「んー……いいよ。どこ行くの?」

 不意に電話をかけてきた彼は、何がおかしいのかクスクス笑いながら要件を告げた。どうやらこれから水族館に行きたいらしい。もう日が沈む頃だけれど、なんでも「夜の水族館」ということで期間限定で夜も開いているところがあるのだとか。

 簡単に身支度を済ませて家を出ると、家のすぐ目の前にバイクが停まっていた。変装をしても尚目立つ彼は、私を見つけて大きく手を振る。慌てて駆け寄ると、ヘルメットを渡された。

「ずいぶん早かったのう」
「そうでもないと思うけど……いつから居たの?」
「電話をかけたときからじゃな」
「言ってくれたら部屋に入れたのに……」

ヘルメットを被って彼の後ろに跨る。バイクはやっぱり怖いから、いくら恥ずかしくても彼の腹に抱き着くしかない。私が黙って彼のお腹に腕を回すと、何故かその腕を優しく撫でられた。

「なに?」
「いいや。しっかり掴まっていておくんじゃぞ」
「うん」

 風を切って道路を走る。初夏の蒸し暑い空気も全部吹き飛んでしまうみたいだった。それでも爽快かと言われれば決してそうでもなく、彼は安全運転を心がけてくれているというのに私は怖くてたまらなかった。

 本当はバイクは好きじゃない。車と違って無防備だし、不安定だし、速度だって車よりずっと速く感じる。けれど、彼に抱き着く口実としては好きだった。

「中々慣れんのう。脚が震えとるぞい」
「だって怖いんだもん……事故ったらぐちゃぐちゃになっちゃうんだよ?」
「かなり安全運転なんじゃけど……」
「うん、だから乗ってる。でもそれとこれとは別なの」

やがて目的地につくと、息苦しいヘルメットを外して彼に返した。地面に足を着いて深呼吸をする。やっぱり稀に乗せてもらうくらいでは中々慣れない。

彼は苦笑しながらバイクのキーをポッケに入れた。そして何気なく、本当に自然な流れで、手を差し伸べてきた。

 そして私は何も考えず、その手を取ってしまったのだった。


 ――夜の水族館にはカップルが数組いるだけだった。暗めの照明に穏やかな空気、アクリル板の向こうで泳ぐ魚や眠るペンギンたち。そのどれをとってもどこか歪だった。私と彼が手を繋いでいるというだけで。

 なんで手を繋いでしまったんだろう。こうしているとまるで恋人みたいだ。……もしかすると彼の気まぐれなのかもしれない。

何となく、こういう恋人ごっこがしたくなって、そこにちょうどいいのがいたというだけなのかもしれない。それにしても手を離すタイミングがわからなかった。何を話すべきなのかさえも。

「おお……クラゲじゃな」
「うわ、いっぱいいる」
「うわってなんじゃ、綺麗じゃろ」
「ふふ、うん、綺麗だね」

 ブルーの照明に透かされてふよふよと浮かぶクラゲは、確かに幻想的で綺麗だった。ふと隣にいる彼を見ると、思いがけず目が合う。

「……」

何をいえばいいかわからなかった。冗談めかして手を離すことも一瞬考えたけれど、繋ぎ方をを恋人繋ぎに直されて何も出来なくなった。

 淡い照明に照らされた彼は、紅い瞳を細めてずいと顔をこちらへ近付ける。

「そんなに怖がらずともよい。気紛れでこんなことはせぬよ」
「…………怖がってはないけど」
「そうじゃな、バイクのほうがよほど怖い」
「零のほうが怖がってるんじゃないの?」

視線を背けて、吐き捨てるようにそう言った。明確に言葉にしないくせに思わせぶりなことばかりをして、まるで全部自分の手のひらの上みたいに笑われたら私だって腹が立つ。男なら……と言うよりも人間として、思うことがあるなら言葉にしてほしかった。

 彼はしばらく黙ってから私の手を離した。驚いて彼のほうを向き直ると、困ったように笑う彼と目が合った。

「すまぬ、許しておくれ。もし言葉にして拒絶されたらと思うと怖いんじゃよ」
「……そんな心配しなくていいよ。ちゃんと言って」
「うむ。……我輩と、お付き合いしてくれぬかや?」

今更と言えば今更だった。それでも彼は真剣な表情で、緊張したようにくちびるを噛み締めていた。

「……よろしく、お願いします……」

私が小さくそう答えると、彼は目を丸くして衝動的に私の手を掴んできた。そして抑えきれないと言いたげに私を力いっぱい抱き寄せる。彼の背に手を回して抱き返すと、まるでクラゲになったみたいにふよふよと浮き足立ってしまった。

 帰りのバイクは、不思議とちっとも怖くなかった。くっついた彼の背中から聞こえる鼓動は、いつもよりずっと速かったけれど。