突然、君が浮いた。ほんの数センチだった。ふわりと宙に浮いた彼は、いつもどおりのきょとんとした顔で私を見た。
漢字ふりがな
「浮いてる」
「……ういてますね」
「なんで……?」
「なぜでしょう〜」

呑気な声色で彼は笑った。私はふわふわと不安定な彼を支えるようにその手を握る。彼の足は地面につかないまま、まるで彼だけ水中にいるように浮かんでいた。

「きっと、すぐになおります」
「……本当?」
「はい〜、『あした』にでも」
「ならいいけど……」

 翌日、彼に会うと更に高く浮いていた。翌々日はその倍ほどになった。手もつなげないから、赤い紐を持たせた。彼は小指に紐を括りつけたまま、日に日に高く、高く浮いてしまう。

「『ふうせん』みたいですね」
「……」

彼の声は遠く、会話がしづらい。表情はもう見えなかった。やがて彼の体は雲より高く、高く、見えなくなってしまった。

 小指に固結びにした赤い糸だけが、雲の上まで、蜘蛛の糸みたいに伸びていた。雲ひとつない快晴の日でも、眩い青空に彼の姿は見えない。

 そうして私は糸を切った。宙ぶらりんの赤い糸はふわふわと浮かんでいく。遠く、高く、空のかなたまで。

 ――肩を揺さぶられて目を覚ました。ぼんやりかすむ目をこすると、すぐ目の前に奏汰くんが見えた。

「奏汰くん」
「おはようございます」
「……おはよ」
「うなされていましたよ」

心配そうに眉尻を下げる彼の顔は、ずいぶん久しぶりに見るような気がした。ここにあることを確かめるようにその柔らかな頬を撫でる。

 ちらりと見れば、彼の足はしっかりと床を踏んでいた。

「うん、大丈夫。大好きだよ」