もう一度
誰よりも綺麗で、おひさまみたいに温かくて、気高くて美しい、日和くんはそういうひとだと思う。そんな彼が私の手のなかにおさまっていてくれるなんてとても思えない。実際、日和くんが私のものになることなんてきっとない。この先もずっと。
「……ふぅん? それで、なに? ちょっと理解できなかったからもう一度言ってほしいね」
彼がこんなにも怒りをあらわにしているのを、私は多分初めて見た。声を荒らげるわけでもなく、ただ静かに真っ直ぐ私を見据えている。普段のやさしい声色との違いに思わず怯むけれど、ぎゅっと拳を握りしめて声を振り絞った。
「一回……距離、置きたい」
「だからなんで?」
「……お仕事でもお家の関係でも、日和くんが女の人をエスコートしてるの見るの、もう嫌なの。……これ以上つらい思いしたくないから、一回離れたい」
震える声でそう話すと、日和くんはため息をついて立ち上がった。もう夜も遅いのに、日和くんはなんにも言わずに家を出て行ってしまった。ほとんど何も持たないまま、二人で選んだ狭いアパートだけを残して。
――日和くんはあの夜、ESビルの寮に戻ったらしい。様子がおかしい……と連絡をよこしたのは同じユニットのジュンくんだった。けれど、何か行動を起こす気にはなれなかった。こんなふうになったのは私がわがままを言ってしまったからだけど、それでも謝って元通りにというのも今は考えにくかった。
日和くんが知らない綺麗な女の人を、慣れた手つきで紳士的にエスコートしているのを見ると、いつも泣き出しそうなほど苦しかった。それでも傍にさえ居てくれればと思っていたけれど、我慢って案外長く続けられないものだ。このまま別れることになったとしても、また同じことを繰り返すよりはマシかもしれない。
……とは言え自分から「別れよう」と言えないあたり、我ながら本当に卑怯な女だと思う。
ぼんやりとそんな鬱屈とした考えを反芻し、一日に何度も何度も溜め息をついた。そしてある日、日和くんが出て行って一ヶ月が経ったころ、家に帰ると玄関前に日和くんが立っているのを見つけた。土砂降りの雨の日だった。
「え、」
ふわふわの綺麗な若草色の髪は雨にびっしょりと濡れていて、一瞬、泣いているように見えた。私が近付くことも逃げることもできずにいると、日和くんは大股で私に近づき、そして力いっぱい私を抱きしめてきた。日和くんのおひさまみたいな柔らかい匂いが、一ヶ月ぶりに胸いっぱいに広がる。
「……ごめんね、なまえちゃん。きみが傷つかないはずないのに、ぼく、ずっと見ないふりをしていて」
「日和くん、」
「ぼく、……ぼくはきみのこと誰より愛してるね。なんて言ったらいいのかわからなくて、カッとなって出て行っちゃったけど……たった一ヶ月でも、きみがそばにいないなんて耐えられなかった」
肩口に顔を埋めたまま、日和くんは弱々しい声色で話を続ける。痛いほど強く抱き寄せられて声も出せないまま、私は黙って彼の声を聞いていた。
「でもね。……でも、きみを傷つけたくないの。これまでずっとずっと我慢させてきたことを、またこれからも我慢してねなんて言いたくない。だから、」
日和くんがバッと顔を上げる。濡れたままの、アメジストのような瞳と目が合った。
「もう一度だけチャンスをちょうだい。もう絶対にきみを傷つけたりしないね。約束する」
「……うん」
もしかすると同じことの繰り返しになるかもしれない。また同じように傷ついてしまうかもしれない。……でも今はそんなことよりも、目の前で泣いている日和くんが愛おしくてたまらなかった。
「日和くんのこと信じるよ。……だから帰ってきて、お願い」
「うん……うん、そうするね」
ありがとう、とまた大粒の涙をこぼして、日和くんは私を抱き締めた。もしかすると未来の私にはバカだって思われるかもしれない。
けれどこのひとの隣にいられるのなら、もう何度傷ついてもいいって、今はそう思えてしまったのだ。
「……ふぅん? それで、なに? ちょっと理解できなかったからもう一度言ってほしいね」
彼がこんなにも怒りをあらわにしているのを、私は多分初めて見た。声を荒らげるわけでもなく、ただ静かに真っ直ぐ私を見据えている。普段のやさしい声色との違いに思わず怯むけれど、ぎゅっと拳を握りしめて声を振り絞った。
「一回……距離、置きたい」
「だからなんで?」
「……お仕事でもお家の関係でも、日和くんが女の人をエスコートしてるの見るの、もう嫌なの。……これ以上つらい思いしたくないから、一回離れたい」
震える声でそう話すと、日和くんはため息をついて立ち上がった。もう夜も遅いのに、日和くんはなんにも言わずに家を出て行ってしまった。ほとんど何も持たないまま、二人で選んだ狭いアパートだけを残して。
――日和くんはあの夜、ESビルの寮に戻ったらしい。様子がおかしい……と連絡をよこしたのは同じユニットのジュンくんだった。けれど、何か行動を起こす気にはなれなかった。こんなふうになったのは私がわがままを言ってしまったからだけど、それでも謝って元通りにというのも今は考えにくかった。
日和くんが知らない綺麗な女の人を、慣れた手つきで紳士的にエスコートしているのを見ると、いつも泣き出しそうなほど苦しかった。それでも傍にさえ居てくれればと思っていたけれど、我慢って案外長く続けられないものだ。このまま別れることになったとしても、また同じことを繰り返すよりはマシかもしれない。
……とは言え自分から「別れよう」と言えないあたり、我ながら本当に卑怯な女だと思う。
ぼんやりとそんな鬱屈とした考えを反芻し、一日に何度も何度も溜め息をついた。そしてある日、日和くんが出て行って一ヶ月が経ったころ、家に帰ると玄関前に日和くんが立っているのを見つけた。土砂降りの雨の日だった。
「え、」
ふわふわの綺麗な若草色の髪は雨にびっしょりと濡れていて、一瞬、泣いているように見えた。私が近付くことも逃げることもできずにいると、日和くんは大股で私に近づき、そして力いっぱい私を抱きしめてきた。日和くんのおひさまみたいな柔らかい匂いが、一ヶ月ぶりに胸いっぱいに広がる。
「……ごめんね、なまえちゃん。きみが傷つかないはずないのに、ぼく、ずっと見ないふりをしていて」
「日和くん、」
「ぼく、……ぼくはきみのこと誰より愛してるね。なんて言ったらいいのかわからなくて、カッとなって出て行っちゃったけど……たった一ヶ月でも、きみがそばにいないなんて耐えられなかった」
肩口に顔を埋めたまま、日和くんは弱々しい声色で話を続ける。痛いほど強く抱き寄せられて声も出せないまま、私は黙って彼の声を聞いていた。
「でもね。……でも、きみを傷つけたくないの。これまでずっとずっと我慢させてきたことを、またこれからも我慢してねなんて言いたくない。だから、」
日和くんがバッと顔を上げる。濡れたままの、アメジストのような瞳と目が合った。
「もう一度だけチャンスをちょうだい。もう絶対にきみを傷つけたりしないね。約束する」
「……うん」
もしかすると同じことの繰り返しになるかもしれない。また同じように傷ついてしまうかもしれない。……でも今はそんなことよりも、目の前で泣いている日和くんが愛おしくてたまらなかった。
「日和くんのこと信じるよ。……だから帰ってきて、お願い」
「うん……うん、そうするね」
ありがとう、とまた大粒の涙をこぼして、日和くんは私を抱き締めた。もしかすると未来の私にはバカだって思われるかもしれない。
けれどこのひとの隣にいられるのなら、もう何度傷ついてもいいって、今はそう思えてしまったのだ。