はじめは怖いひとなのかなと思っていた。大きなからだ、いつも笑顔なのに笑っていない瞳、確かな圧力のある大きい声。どれをとってもなんだか怖かった。

「……もしかして今日、どこか悪いのかあ?」
「え……」

 けれどある日、私がひどい生理痛で死にかけていたとき。彼はコソッと小さな声で私に耳打ちをしてきた。私が驚いて何も言わずに彼を凝視すると、彼は穏やかな微笑みを浮かべた。

「ああ、言いづらいなら良いんだぞお。顔が真っ青だし息も浅いようだから心配で……医務室まで運ぼうか」
「……あ、りがとう、ございます……」

 貧血と痛みで限界だった私は、ほとんどなんにも考えずに彼に体を預けた。彼は軽々しく私を抱き上げると、人目につかないように私に上着を掛けて医務室まで運んでくれたのだった。

 ――その日を境に、彼を見る目が少し変わった。大きなからだは頼りがいがあるように、鋭い眼差しは聡明で観察に長けているように、声はしなやかで爽やかに感じるようになった。

「君はよく頑張っているからなあ、だが無茶だけはしないでくれ。無茶をしていると俺が判断したらすぐに帰らせるからなあ!」

 なんて言って、彼は何かと私の世話を焼いてくれた。だから私も自然と彼を信用するようになったし、親近感もおぼえるようになっていたんだと思う。



「わ、警報出てる……嘘でしょ……」

 夜も更けて一人で事務所に残り仕事を片付けていると、不意に警報の報せが端末を震わせた。大雨と雷のせいで電車も運転を見合わせているらしい。ずいぶん降っているなぁとは思っていたけれど、まさか警報が出るレベルとは思わなかった。

 立ち上がって窓から外を覗き込む。室内の電気が反射してしまって、外は上手く見えなかった。手で影をつくってみるけれどやっぱり鮮明には見えない。

 とそのとき、ピカッと空が白く光って、そのあとすぐ地鳴りのように低い雷鳴が轟いた。チカチカ、電気が瞬きをしたあと、部屋のなかは突然真っ暗になってしまった。

「わっ、停電……? も〜最悪……」

 真っ暗な部屋のなかを、手探りでデスクに戻ろうとする。とりあえず端末のライトだけでも確保しようと思ったのだ。が、途中で伸ばしていた手を何かに掴まれた。

「きゃあ!?」
「おっと。大丈夫かあ? 目が慣れるまで大人しくしていたほうが良いぞお」
「ま……っ斑さん? びっくりしたぁ、いつからいたんですか?」
「ついさっき、電気が落ちる直前に来たんだ。つむぎさんに君が一人が残ってるって聞いて」

 視界は依然として暗く何も見えなかったけれど、温かくて大きな手に手を繋いでもらっているだけで……ううん、斑さんがすぐ目の前にいるんだというだけで不思議と安心できた。

「今確認したんだが単にブレーカーが落ちただけらしい。じきに復旧するらしいぞお」
「あ、そうなんですね……うわ、ファイル保存してて良かった〜……」
「良かった〜じゃなくて、こうなる前に帰ろうなあ? まぁ電車も動いてないみたいだしもうどうにもならないんだが……」

 斑さんは苦笑して、まるで見えてるみたいに私の背に手を回し抱き寄せてきた。見えないせいで上手く反応できず、されるがままに抱き締められてしまう。

「斑さん……雷怖いんですか?」
「……ああ、そうなんだ。情けなよなあ」
「ふふ、全然。よしよし、大丈夫ですからね」

手探りで彼の広い背中に手を回し、ぽんぽんとあやすように撫でてみる。彼はしばらく黙り込んだあと、私の目が闇に慣れたころに顔を上げた。

 そして空がまた白く光ったその瞬間、綺麗な顔が近づいた。くちびるに柔らかい感触がする。

「……え?」
「おっと、距離感を間違えたみたいだなあ。すまない、見えづらくて」
「そ……う、ですね……真っ暗だから……」

 心臓が痛いほどにうるさかった。彼が見えているのか見えていないのか知らないけど、多分私の顔は真っ赤になっていたと思う。

「お」

嫌なタイミングで電気が戻る。明るくなった部屋で、思っていたよりずっと近くにいた彼を見てまた赤面した。

「あ……電気、戻ってよかったですね。斑さんはもう寮のほうに戻りますか?」
「まさか。君を置いては行かないぞお」
「……どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」

 目を合わせないまま小さくそう訊ねた。心臓はやはりいつもよりも高鳴ったままだった。

「あはは、優しいかなあ? それは君が優しいからじゃないかなあ、俺は君にかなり酷いことをしていると思うぞお」
「酷いこと?」
「うん。まあそれはともかく、理由を聞きたいんだよなあ? 簡単に言っちゃうと俺が君を好きだからだ」

 あまりにも快活にはっきりと言われて、理解するのに数秒かかった。けど、やっと発言の理解に至っても真意まではわからなかった。好きというのだって恋愛的な意味なのか否かもいまいち明確ではない。

「あはは、そんなに難しく考えなくていいぞお。俺は一人の女性として君を慕っている、だから優しくする。それだけだ」
「……そんなこともあるんですね……」
「俺が言うのもなんだけどその反応で合ってるかなあ……?」
「ごめんなさい、びっくりしちゃって」

私があまりの驚きに変な反応をすると、斑さんは困ったように笑って一歩私に近づいた。しっかりと彼の姿が見えるなか、手を取られ指を絡められる。

「ともかく。俺は君に振り向いてもらうためなら何でもするつもりだ。どんな卑怯な手でも使うぞお、君を手に入れるために」

 彼は私の目を真っ直ぐ見据えたまま、見せつけるように絡めた手の甲へキスをする。もう外の大雨の音も雷の音も聞こえなかった。ただ、自分の鼓動の音が激しく体の中に響くばかりだった。

ああ、私きっととんでもない人に目をつけられたんだろうな……なんて、気づいた頃には何もかもが遅かったのだ。