夏のさくら
「桜っちいうもんは、そんな綺麗なもんとちゃうよ」
すっかり青々と色づいた夏の桜並木の下、さくら色の繊細な髪を揺らして彼はそう言った。私はそれを見て、綺麗だ、と思い、そうしてやはり桜というものの美しさを疑えず黙り込んでしまった。私が納得していないことに気がつくと、彼は少し困ったように大人びた微笑を浮かべた。
「でも、まぁ、主はんには綺麗に見えとるんやろうね」
「私がきちんと見ていないから、上辺だけを見ているから綺麗に見えるのかな」
「どうやろうなぁ。少なくともわしには、ただ綺麗なだけのもんには見えへんわ」
「そっか」
夏風に揺られるさくらに目を奪われる。彼はふと、桜の幹に手を当て葉を見上げた。彼の深い紫色の瞳に深い緑が溶け込むのを、私は少し離れたまま、じっと見つめる。
「桜の樹の下には死体が埋まっとるんよ」
「……えっと、梶井基次郎?」
「コッコッコ、よう知っとるな」
「本当に死体が埋まってるのかな」
「そりゃあ、埋まっとらんよ。死体なんかそうそうそこらに埋まっとるもんとちゃう」
彼の足が桜の根を軽く踏んだ。そうして根の辺りの地面をほんの少し掘るように靴裏でなぞり、やがて足を止めた。
私は彼の言わんとすることがいまいちわからなくて、それでもなんとか理解しようと彼の一挙一動に集中していた。
「……桜が綺麗に見えるんは、たぶん、死体が埋まっとるからとかそういうことやないんちゃうかな。主はんの目が綺麗やから綺麗に見えるんやない?」
自分とは違って、と暗に言われているような気がした。彼の瞳が私を映す。私の瞳にも同じように彼が映り込んでいることだろう。
「さくらが本当に綺麗でも、そうじゃなくても、私はどっちでも好きだよ」
「…………さよけ」
「本当だよ」
「うん、そないに慕われとるんやったら、さくらも果報者やわ」
くすくすと、くすぐったそうに彼は笑った。涼しい風がひゅうと吹き抜けて葉や枝を揺らしてゆく。私にはやっぱり、目の前のさくらが何より愛おしく見えた。
すっかり青々と色づいた夏の桜並木の下、さくら色の繊細な髪を揺らして彼はそう言った。私はそれを見て、綺麗だ、と思い、そうしてやはり桜というものの美しさを疑えず黙り込んでしまった。私が納得していないことに気がつくと、彼は少し困ったように大人びた微笑を浮かべた。
「でも、まぁ、主はんには綺麗に見えとるんやろうね」
「私がきちんと見ていないから、上辺だけを見ているから綺麗に見えるのかな」
「どうやろうなぁ。少なくともわしには、ただ綺麗なだけのもんには見えへんわ」
「そっか」
夏風に揺られるさくらに目を奪われる。彼はふと、桜の幹に手を当て葉を見上げた。彼の深い紫色の瞳に深い緑が溶け込むのを、私は少し離れたまま、じっと見つめる。
「桜の樹の下には死体が埋まっとるんよ」
「……えっと、梶井基次郎?」
「コッコッコ、よう知っとるな」
「本当に死体が埋まってるのかな」
「そりゃあ、埋まっとらんよ。死体なんかそうそうそこらに埋まっとるもんとちゃう」
彼の足が桜の根を軽く踏んだ。そうして根の辺りの地面をほんの少し掘るように靴裏でなぞり、やがて足を止めた。
私は彼の言わんとすることがいまいちわからなくて、それでもなんとか理解しようと彼の一挙一動に集中していた。
「……桜が綺麗に見えるんは、たぶん、死体が埋まっとるからとかそういうことやないんちゃうかな。主はんの目が綺麗やから綺麗に見えるんやない?」
自分とは違って、と暗に言われているような気がした。彼の瞳が私を映す。私の瞳にも同じように彼が映り込んでいることだろう。
「さくらが本当に綺麗でも、そうじゃなくても、私はどっちでも好きだよ」
「…………さよけ」
「本当だよ」
「うん、そないに慕われとるんやったら、さくらも果報者やわ」
くすくすと、くすぐったそうに彼は笑った。涼しい風がひゅうと吹き抜けて葉や枝を揺らしてゆく。私にはやっぱり、目の前のさくらが何より愛おしく見えた。