帰り道、空を見上げると薄い羊雲が見えた。ついこの前まではもくもくした入道雲が浮かんでいたのに、もう夏が終わってしまうみたい。空を見上げながらふらふら歩き、何気なく前を向き直すと向かいから歩いてくる見慣れた人影が見えた。

「……あれ、偶然だね。こんにちは」
「わ、凪砂さん。こん……にちは」
「こんばんは、のほうが良かったかな」
「いえ……」

 気付かないふりをせず声をかけたのは、どうしてだろう。私は彼女をわざわざ引き留めて、他愛もない話をしようとした。

「空、雲が綺麗だね」
「え? あぁ……ほんとだ。きれいですね」

私の視線をおって、彼女も顔を上げる。不意にビルの隙間から射し込んだ真っ赤な夕陽が彼女の瞳孔を照らした。茶色がかった瞳が透き通って見えるのを、私はじっと見つめていた。

 すると、彼女の瞳孔がゆらりと滲んで、ひとつぶ、星屑のような涙がこぼれおちた。

「えっ」
「あ……ごめんなさ、」

慌てて顔を俯けて、彼女は手の甲で乱暴に涙を拭う。私はその手をやわく阻んで彼女の顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」
「……大丈夫、です」
「そっか、こういう聞き方だとその答えしかできないよね。ええと……少し、休んでいこう」

 彼女の手を握って、すぐそばにあった公園に向かって歩きだす。堰が切れたように泣き出してしまった彼女をベンチに座らせ、私は黙って今かけるに相応しい言葉を探していた。

「ごめんなさい、ちょっと、疲れちゃって」
「……そっか。お疲れさま」

一瞬迷ってから、慎重に、努めてやさしく彼女の頭を撫でた。ふんわりとした髪の毛とすっぽりおさまる小さな頭に触れると、なんだか胸がいっぱいになった。そのまま頭を撫でていると、しばらくしてから彼女が顔を上げて私を見た。

「凪砂さんの手、あったかくておっきくて、なんか安心します」
「そう? なら良かった。もっと撫でていてもいいかな?」
「いえ、多分はたから見たら割と変な絵面なので……」
「そう……残念。なら次は二人きりのときに撫でるね」

私がそう言って微笑むと、泣き止んだ彼女がちょっと困ったように笑った。

 気がつくと空はもう暗くて、雲もかすかにしか見えなくなっていた。欠けた月が浮かんでいる。なんの変哲もない月だったけれど、不思議と胸が高揚した。並んで月を見上げる彼女を見て、ついまたその頭を撫でてしまったけれど、彼女は笑って許してくれた。