お昼どき、随分うす色になった空を見上げて溜め息をついた。つい最近まで日射しが強かったビルの空中庭園も、今ではすっかり秋めいて涼やかな風が通っている。

ひざの上にのせたお弁当箱を開けないままぼんやりしていると、案の定隣に茨くんがやって来た。

「隣、失礼しますね」
「あぁ、はい」

空中庭園の、木陰に置かれた綺麗なベンチ。二人で座っているにしては少し距離が近いようにも思えるけれど、彼がこうして後からやって来ることもこうして距離を詰めてくることも、もはや日常になってしまった。

 ちらりと隣に座る茨くんの横顔を覗き込むと、パチリと大きな瞳と目が合った。

「おや、どうなさいました? 自分の顔に何かついています?」
「ううん、別に」
「いやぁ、貴女のような美しいひとにそうして見つめられると思わず緊張してしまいます!」
「あはは」

いつもの癖のようにすらすらと出てくる褒め言葉をてきとうに流して、ひざに乗せていたお弁当箱のフタを開ける。

「いただきます。……茨くん、またゼリーだけなの?」
「ええ、このほうが効率がいいですから」
「ふぅん。よく足りるね、レッスンに事務にって忙しくしてるのに」
「こまめに補給していますので。それより今日も手作りですか? いつ見ても鮮やかな出来栄えでありますな」

 小さなお弁当箱は、そんなに綺麗な出来ではない。夕べの余りものや、冷凍食品だって入れてあるし、手の込んだものはひとつもない。それでも毎朝一応は早起きして作っているので、こうして褒めてもらえるとそれはそれで何だか嬉しいものだ。

「ね、茨くんってアレルギーとかある?」
「いえ、ありませんよ。猛毒でさえなければ何でも平らげられます」
「じゃあこれあげる」
「えっ」

お弁当箱のフタの裏に、珍しく綺麗に出来た卵焼きを一つ乗せて茨くんに差し出した。すると一、二秒ほど固まったのち、私が何か言う前に彼がひょいと卵焼きをつまんで一口で食べてしまった。

 案外男の子らしいんだなぁ、と、口をいっぱいにして咀嚼する茨くんを見つめていると、ようやく飲み込み終えた彼がにやりと笑った。

「いやぁ、これはこれは、料理の才能がおありなようで! シンプルな料理にこそ腕が表れるというものであります! しかし施していただいてばかりというのもなんですし、どうでしょう、今夜仕事のあとにディナーでもご馳走させていただけませんか?」
「……わらしべ長者でもそんなこと言わないと思うよ」
「あっはっは! ユーモアのセンスもお持ちとはさすがでありますな!」

ふざけていないでさっさと答えろ、返事はイエスかハイだ……とでも言われているような気分だった。どうしようかなぁ、と少しだけ迷っていると、不意に空中庭園の入り口のほうからこちらへ手を振る人影が見えた。

「あれ……、ねぇ、あそこにいるのジュンくんかな?」
「は? ……チッ」
「いま舌打ちした?」
「いえいえまさか」

 手を振り返すと、ジュンくんは小走りで駆け寄ってきた。どうやら茨くんでなく、私のほうに用があったらしい。

「お疲れ様です、あのホント不躾で申し訳ねぇんすけど、今晩って空いてます? 実は急ぎで用意してほしいモンがあって」
「ありゃ」
「ジュン、他を当たってもらえます?」
「は!? あっいや、用があるなら無理にとは言わねぇっすけど……なんで茨に断られねぇといけないんすかねぇ?」

さも当然かのように私の代わりに断ってみせた茨くんは、一歩も引く様子なくジュンくんを追い払おうとさえした。どうしてそこまで――と、わからないほど鈍くはないけれど、こうも我が物顔をされると少し腹が立つ。

「ジュンくん、用意してほしいものってなに? 残って用意するよ」
「マジすか! 助かります! え〜と、ホールハンズでデータ送りますね」
「ちょっと待ってください、自分は」
「茨くん。この用意しないといけないものが早く用意できたら、さっさと上がれるんだけどな〜」

 ちらりと視線を寄越すと、彼は心底不服そうな顔をしたあと、数秒間思考を巡らせた末に口を開いた。

「……残業なんてさせませんからね。なんとしてでも定時退社し、その後はディナーに付き合っていただきますから」
「はーい」

本当に、策士のわりには扱いやすいひとだと思う。もしかすると私には随分甘い態度を取ってくれているのかもしれないけれど。

 少し冷えた卵焼きを口に含み、ちらりと横目で隣にいる茨くんを盗み見る。わかりやすい好意もアプローチも、こうして隣に居ても良いと思うくらいには受け入れているつもりなのだが、彼がそれに気付くのは一体いつになるのだろうか。秋が過ぎ去るまでに気づいてくれればいいけど。