次こそは
けたたましく鳴り響くアラームを乱暴に止める。もぞもぞとベッドの上で身動ぎをして、数分してからようやく身体を起こした。こんな朝からわざわざ体に鞭打って起きたのにはもちろん理由がある。枕元に置いてあった端末を手に取ると、ちょうど数分前にメッセージが届いていた。
『おはよ〜、起きれた?』
『おきとるぞい』
メッセージの送り主は、今朝の早起きの理由であり、意中の相手であり、そして今日のデートの相手でもある。返信をたぷたぷと打ち終え送信したら、立ち上がってまずは浴室へ向かった。
彼女と幸運にもデートをすることが決まったのはつい昨日のことだ。特に何か他意があったわけではないが、薫くんが紹介してくれたカフェについて彼女に話したところ、「じゃあ行こうよ」と言われ、そのままトントン拍子で今日のデートが決まった。
彼女と二人で出掛けるのは今日が初めてだ。だからこそ彼女が何気なくあっさりと誘ってきたときは、思わず缶コーヒーを握りつぶしてしまう程度には驚いた。
朝からシャワーを浴び、どうせ見せることもないだろうにわざわざ勝負下着まで穿いて、服など選ぶのに三十分はかかった。我ながら年甲斐もなくはしゃぎすぎだとは思うが、何としても彼女に意識されたいのだから仕方ない。
姿見の前で何度も念入りに自分の格好を確認し、いよいよ財布と端末を持って外に出た。忌々しい太陽も今日ばかりは障壁にすらならない。それくらい心が浮き足立っていた。
待ち合わせ時刻より早めに着いてドキドキしながら彼女の姿を探していると、時間ギリギリになって彼女からメッセージが届いた。
『うしろ』
「? うぉッ」
首を傾げて振り返ってみると、いつの間にやら彼女がにこにこと無邪気な笑顔を浮かべて後ろに立っていた。かなり驚きはしたが、なんだか恋人同士のやり取りのようで少し嬉しい。
「いつの間に来たんじゃ、まったく気づかんかったぞい」
「ふふ、びっくりしたでしょ。ごめんね、待たせちゃって」
「別に構わんよ、我輩が早く来ちゃっただけじゃし。じゃあ早速、行こうかの」
「うん! ケーキ楽しみだな〜」
彼女はそう言いながらさりげなく俺の腕に自分の腕を絡めて歩き出した。思わず固まって立ち止まると、彼女が俺を見てから「あっ」と声を上げた。
「ごめん。間違えた」
「だ…………いや別に構わんぞい。おぬしさえ良ければ」
「ほんと? 良かった」
間違えたって誰と……とは怖くて聞けなかった。が、その後も腕を組んでくれているのを見る限り、恋人がいるというわけではないらしい。涼しい顔をしながらも心中穏やかでないまま、会話もそこそこに例のカフェへ向かった。
カフェは流石薫くんのおすすめというか、贅沢な休日を過ごすのに丁度いい、落ち着いた雰囲気の店だった。ケーキの販売もしているらしく、店内に入ると甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「わ、お洒落〜……もっと綺麗な格好してきた方が良かったかな」
「何を言っておるんじゃ、十分可愛いじゃろ」
「そう……?」
愛想のいい店員さんに案内されて席につくと、今日初めて彼女と真正面から目が合った。思わずピンと姿勢を正してしまう。俺が緊張して何も言えないでいると、彼女がくすっと微笑んだ。
「朔間さんってケーキとか似合わないね」
「……えっ、なんで?」
「甘いもの食べるイメージないっていうか……朔間さんって、かっこいい男の人みたいな感じするからかな」
「かっこいい男の人」
彼女はメニューを広げながらさりげなくそんなことを口にする。これは脈があるのか、と一瞬舞い上がりそうになったが、彼女の話しぶりは何となく他愛もない世間話というふうな調子なので、ぬか喜びはできない。
「んー、何食べようかな……キッシュとスープと飲みものと、あとケーキがついてるセット……食べすぎかな」
「小鳥か。食べすぎなんてことはなかろう、好きなだけお食べ」
うんうん悩みながら、彼女はメニューを覗き込む。ちょうど真ん中に広げたので、二人でメニューを見ると自然と距離が近くなってしまう。
ふわりと彼女の髪からいい香りがした。その髪に、或いはその柔らかそうな頬に手を触れたくなって、ひとりで下唇を噛み締める。恋人なら越えられる一線も、今のままでは越えられない。それが何よりもどかしかった。
「決めた! キッシュとケーキのセットにする!」
ところで彼女は、もしかすると本当に何も意識してくれていないのではなかろうか。俺が何も言わずに彼女を見つめていると、彼女はきょとんと不思議そうな顔をしたあとににこにこと笑って見せた。
店員さんに注文をしたら、料理が来るまでしばらくおしゃべりをする。話すことなど所詮他愛もないことだが、彼女が何かと楽しげに話すので内容などさして気にならなかった。どれだけ中身のない会話でも交わせるだけで嬉しいものだ。
そうして会話に花を咲かせていると、やがて料理が運ばれてきた。彼女はわかりやすく目を輝かせ、何故か俺とキッシュのプレートを交互に見る。
「食べていい?」
「勿論」
「いただきますっ」
食事をすすめる彼女を見てようやく気がついた。恐らく、彼女は食べることが好きなのだ。だからカフェの話題が出れば「美味しいものを食べたいから」という理由で何気なく相手を誘うのだろう。
何となく察してはいたが、流石に俺個人に対して何か特別な思いがあるというわけではなさそうだ。そのくらい、食事をするときの彼女は幸せそうだった。
カフェの食事はどれもたいそう美味かった。雰囲気も良く、会話も弾んだ。けれど手応えらしいものはひとつもないというのも事実だった。
そうしてランチを終えてカフェを出ると、彼女はまた自然に腕を組む。ふと気になって、駅までの道すがら今朝のことを訊ねてみた。
「そういえば、最初に腕を組んだ時間違えたと言っておったけど、あれはどういう間違いだったんじゃ」
「ん? あぁ……え〜、あれはね……」
ちょいちょいと小さく手招きされ、少し屈んで耳を貸す。すると彼女は、俺の耳もとでこっそりと甘く囁いた。
「朔間さんと腕組むイメトレしてたから」
彼女の言葉が脳で処理された途端、また数秒固まってしまった。格好つけてやりたいのに無様にも顔に熱が集まってしまう。
「あはは、なんちゃって。普通に友達と腕組むの好きで癖になってるだけだよ。期待した?」
「こ、この……っこの、…………はあ……」
見事に手のひらのうえで転がされ、何か言おうとしたが結局ため息しか出てこなかった。
「しくしく、弄ばれたのじゃ……」
「ごめんごめん、朔間さん意外と反応良いから面白くて」
駅に着く。彼女が手を離す。が、咄嗟にその手首を掴んで引き止めた。
「つ……次もあるかの?」
「……じゃあ私、次はオムライス食べたいな。良いお店教えてよ」
「うむ!」
じゃあね、と笑って、彼女はあっさり改札の向こうへ行ってしまった。
今日のところは完全敗北と言わざるをえない。が、次があるのなら話は別だ。次でもその次でも、いつか必ず彼女に意識させ赤面させてやろう。腕に仄かに残る彼女の体温を思い出しながら、ひとり、駅前で鳩に囲まれながらそう決意した。
『おはよ〜、起きれた?』
『おきとるぞい』
メッセージの送り主は、今朝の早起きの理由であり、意中の相手であり、そして今日のデートの相手でもある。返信をたぷたぷと打ち終え送信したら、立ち上がってまずは浴室へ向かった。
彼女と幸運にもデートをすることが決まったのはつい昨日のことだ。特に何か他意があったわけではないが、薫くんが紹介してくれたカフェについて彼女に話したところ、「じゃあ行こうよ」と言われ、そのままトントン拍子で今日のデートが決まった。
彼女と二人で出掛けるのは今日が初めてだ。だからこそ彼女が何気なくあっさりと誘ってきたときは、思わず缶コーヒーを握りつぶしてしまう程度には驚いた。
朝からシャワーを浴び、どうせ見せることもないだろうにわざわざ勝負下着まで穿いて、服など選ぶのに三十分はかかった。我ながら年甲斐もなくはしゃぎすぎだとは思うが、何としても彼女に意識されたいのだから仕方ない。
姿見の前で何度も念入りに自分の格好を確認し、いよいよ財布と端末を持って外に出た。忌々しい太陽も今日ばかりは障壁にすらならない。それくらい心が浮き足立っていた。
待ち合わせ時刻より早めに着いてドキドキしながら彼女の姿を探していると、時間ギリギリになって彼女からメッセージが届いた。
『うしろ』
「? うぉッ」
首を傾げて振り返ってみると、いつの間にやら彼女がにこにこと無邪気な笑顔を浮かべて後ろに立っていた。かなり驚きはしたが、なんだか恋人同士のやり取りのようで少し嬉しい。
「いつの間に来たんじゃ、まったく気づかんかったぞい」
「ふふ、びっくりしたでしょ。ごめんね、待たせちゃって」
「別に構わんよ、我輩が早く来ちゃっただけじゃし。じゃあ早速、行こうかの」
「うん! ケーキ楽しみだな〜」
彼女はそう言いながらさりげなく俺の腕に自分の腕を絡めて歩き出した。思わず固まって立ち止まると、彼女が俺を見てから「あっ」と声を上げた。
「ごめん。間違えた」
「だ…………いや別に構わんぞい。おぬしさえ良ければ」
「ほんと? 良かった」
間違えたって誰と……とは怖くて聞けなかった。が、その後も腕を組んでくれているのを見る限り、恋人がいるというわけではないらしい。涼しい顔をしながらも心中穏やかでないまま、会話もそこそこに例のカフェへ向かった。
カフェは流石薫くんのおすすめというか、贅沢な休日を過ごすのに丁度いい、落ち着いた雰囲気の店だった。ケーキの販売もしているらしく、店内に入ると甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「わ、お洒落〜……もっと綺麗な格好してきた方が良かったかな」
「何を言っておるんじゃ、十分可愛いじゃろ」
「そう……?」
愛想のいい店員さんに案内されて席につくと、今日初めて彼女と真正面から目が合った。思わずピンと姿勢を正してしまう。俺が緊張して何も言えないでいると、彼女がくすっと微笑んだ。
「朔間さんってケーキとか似合わないね」
「……えっ、なんで?」
「甘いもの食べるイメージないっていうか……朔間さんって、かっこいい男の人みたいな感じするからかな」
「かっこいい男の人」
彼女はメニューを広げながらさりげなくそんなことを口にする。これは脈があるのか、と一瞬舞い上がりそうになったが、彼女の話しぶりは何となく他愛もない世間話というふうな調子なので、ぬか喜びはできない。
「んー、何食べようかな……キッシュとスープと飲みものと、あとケーキがついてるセット……食べすぎかな」
「小鳥か。食べすぎなんてことはなかろう、好きなだけお食べ」
うんうん悩みながら、彼女はメニューを覗き込む。ちょうど真ん中に広げたので、二人でメニューを見ると自然と距離が近くなってしまう。
ふわりと彼女の髪からいい香りがした。その髪に、或いはその柔らかそうな頬に手を触れたくなって、ひとりで下唇を噛み締める。恋人なら越えられる一線も、今のままでは越えられない。それが何よりもどかしかった。
「決めた! キッシュとケーキのセットにする!」
ところで彼女は、もしかすると本当に何も意識してくれていないのではなかろうか。俺が何も言わずに彼女を見つめていると、彼女はきょとんと不思議そうな顔をしたあとににこにこと笑って見せた。
店員さんに注文をしたら、料理が来るまでしばらくおしゃべりをする。話すことなど所詮他愛もないことだが、彼女が何かと楽しげに話すので内容などさして気にならなかった。どれだけ中身のない会話でも交わせるだけで嬉しいものだ。
そうして会話に花を咲かせていると、やがて料理が運ばれてきた。彼女はわかりやすく目を輝かせ、何故か俺とキッシュのプレートを交互に見る。
「食べていい?」
「勿論」
「いただきますっ」
食事をすすめる彼女を見てようやく気がついた。恐らく、彼女は食べることが好きなのだ。だからカフェの話題が出れば「美味しいものを食べたいから」という理由で何気なく相手を誘うのだろう。
何となく察してはいたが、流石に俺個人に対して何か特別な思いがあるというわけではなさそうだ。そのくらい、食事をするときの彼女は幸せそうだった。
カフェの食事はどれもたいそう美味かった。雰囲気も良く、会話も弾んだ。けれど手応えらしいものはひとつもないというのも事実だった。
そうしてランチを終えてカフェを出ると、彼女はまた自然に腕を組む。ふと気になって、駅までの道すがら今朝のことを訊ねてみた。
「そういえば、最初に腕を組んだ時間違えたと言っておったけど、あれはどういう間違いだったんじゃ」
「ん? あぁ……え〜、あれはね……」
ちょいちょいと小さく手招きされ、少し屈んで耳を貸す。すると彼女は、俺の耳もとでこっそりと甘く囁いた。
「朔間さんと腕組むイメトレしてたから」
彼女の言葉が脳で処理された途端、また数秒固まってしまった。格好つけてやりたいのに無様にも顔に熱が集まってしまう。
「あはは、なんちゃって。普通に友達と腕組むの好きで癖になってるだけだよ。期待した?」
「こ、この……っこの、…………はあ……」
見事に手のひらのうえで転がされ、何か言おうとしたが結局ため息しか出てこなかった。
「しくしく、弄ばれたのじゃ……」
「ごめんごめん、朔間さん意外と反応良いから面白くて」
駅に着く。彼女が手を離す。が、咄嗟にその手首を掴んで引き止めた。
「つ……次もあるかの?」
「……じゃあ私、次はオムライス食べたいな。良いお店教えてよ」
「うむ!」
じゃあね、と笑って、彼女はあっさり改札の向こうへ行ってしまった。
今日のところは完全敗北と言わざるをえない。が、次があるのなら話は別だ。次でもその次でも、いつか必ず彼女に意識させ赤面させてやろう。腕に仄かに残る彼女の体温を思い出しながら、ひとり、駅前で鳩に囲まれながらそう決意した。