いつか、いつか
昔、実家の小さな庭に一匹の野良猫が来ていたことがあった。いけないとは思いつつ餌をやって、あわよくば家で飼いたい、という一心で懐かせるべく毎日奮闘していた。猫は撫でさせてくれる程度には懐いたけれど、抱かせてはくれず、家のなかに入ってくることもなかった。そうしてある日、猫は庭へ来なくなった。
名前もつけていなかった。もしかしたら道で車に轢かれて死んだのかもしれないし、保健所に連れて行かれたのかも、他の住処を見つけたのかも、或いは誰かに拾われたのかも――いずれにせよ私の知るところではない。私の心を惹き付けて、そのくせふらりと消えてしまったその猫は、綺麗なまだらの三毛縞模様だった。
「あっ、」
がぶりと首すじに歯を立てられ、痛みで我に返る。私の首に噛みついた彼は、表情筋を器用に動かして薄く微笑むふりをしてみせた。それでもその目はまったく笑っていないから、かえってゾッとしてしまう。
「他の男のことでも考えてたのかあ? 今日は随分ぼうっとしているようだが」
「……ふふ」
男、といえばそうかもしれない。あの子、確かオスだったから。私が否定せずに笑うと、彼は辛うじて貼り付けてみせた微笑みも剥がして、冷たい瞳に私を映した。
「別に君が他の男とセックスしようが、俺はかまわないけどなあ……だが今君を抱いてるのは俺だろう? 行為中のよそ見はマナー違反だぞお」
「よく言うよね。私のことなんか見てないくせに」と、言おうとしてやっぱり唇を噛み締める。代わりにその広い背中に手を回して爪を立ててやった。
深い緑の瞳が私を映すのは身体を合わせるときだけだ。私がどんな思いでその腕に抱かれているかなんて、きっと彼は知る由もないのだろう。きっと。彼はいつでも私の前から去ってしまえる。
「斑……」
「……うん、良い子だなあ」
私が斑をまっすぐ見つめると、彼はようやく満足そうに笑った。私の心を惹き付けておきながら、きっと彼は呆気なくどこかへ行ってしまうのだろう。いつかの野良猫と同じように。
いつかくる喪失を予感していても、傷つくと知っていても身体を重ねて名前を呼ぶのは愛のためじゃない。いつか私を捨てる彼の心にも、ちゃんと傷が残ればいいって祈っているから。
――広い背につけた爪痕も首筋につけられた歯型も、このままお互い消えなければ良いのに。
名前もつけていなかった。もしかしたら道で車に轢かれて死んだのかもしれないし、保健所に連れて行かれたのかも、他の住処を見つけたのかも、或いは誰かに拾われたのかも――いずれにせよ私の知るところではない。私の心を惹き付けて、そのくせふらりと消えてしまったその猫は、綺麗なまだらの三毛縞模様だった。
「あっ、」
がぶりと首すじに歯を立てられ、痛みで我に返る。私の首に噛みついた彼は、表情筋を器用に動かして薄く微笑むふりをしてみせた。それでもその目はまったく笑っていないから、かえってゾッとしてしまう。
「他の男のことでも考えてたのかあ? 今日は随分ぼうっとしているようだが」
「……ふふ」
男、といえばそうかもしれない。あの子、確かオスだったから。私が否定せずに笑うと、彼は辛うじて貼り付けてみせた微笑みも剥がして、冷たい瞳に私を映した。
「別に君が他の男とセックスしようが、俺はかまわないけどなあ……だが今君を抱いてるのは俺だろう? 行為中のよそ見はマナー違反だぞお」
「よく言うよね。私のことなんか見てないくせに」と、言おうとしてやっぱり唇を噛み締める。代わりにその広い背中に手を回して爪を立ててやった。
深い緑の瞳が私を映すのは身体を合わせるときだけだ。私がどんな思いでその腕に抱かれているかなんて、きっと彼は知る由もないのだろう。きっと。彼はいつでも私の前から去ってしまえる。
「斑……」
「……うん、良い子だなあ」
私が斑をまっすぐ見つめると、彼はようやく満足そうに笑った。私の心を惹き付けておきながら、きっと彼は呆気なくどこかへ行ってしまうのだろう。いつかの野良猫と同じように。
いつかくる喪失を予感していても、傷つくと知っていても身体を重ねて名前を呼ぶのは愛のためじゃない。いつか私を捨てる彼の心にも、ちゃんと傷が残ればいいって祈っているから。
――広い背につけた爪痕も首筋につけられた歯型も、このままお互い消えなければ良いのに。