「……よし」

イメトレもばっちり。ネットやら雑誌やらでの予習もばっちり。今夜の、恋人である凪砂くんとの初のセックスに向けて抜かりはない。

普段あんなにぽやぽやしていて、世俗にも無関心というか浮世離れしている彼が、そういう、性的なことに関して博識であるとは思えない。確かに仕事では色気が感じられるけれど、それ以外は穏やかで無垢で可愛らしいひとなのだ。

そもそも今夜本当に出来るかもわからない。頑張って誘うつもりではあるけれど、彼があまりに性行為について知らなかったら、諦めてしまうかもしれない。……正直これが一番有り得ると思う。

体のどこにもおかしいところがないことをしっかり確認してから、お気に入りの服に着替えてばっちり気合を入れる。いざ勝負。デートの食事の後、私の家に二人で帰って、なんとかいい雰囲気にもっていって……うん、細かいことはそのとき考えよう。

そう意気込んで凪砂くんと会い、いつも通り楽しくデートをしていた、のだけれど。緊張のあまりいつもよりお酒を飲みすぎてしまったらしく、段々意識が蕩けていった。

「なまえ、大丈夫?顔赤いよ」
「へぁ……へーきだよぅ、ぜんぜんへーき……凪砂くん、ぎゅうして!」
「うん、家に帰ったらね」
「みゃー……」

いまいち自分が何を言っているのかわからない。凪砂くんとタクシーに乗って、気付けば自分の家に戻って来ていた。

凪砂くんにお姫様抱っこされて、家のベッドまで運ばれる。心配そうな綺麗な顔に、無意識に頬がゆるんで笑ってしまった。

「なぎさくん、ちゅうして……」
「お水は飲まなくていいのかな。……お酒を飲みすぎると、お水を飲むべきだって聞いたけど」
「んーー、さきにきすして」

そっか、と彼は優しく唇を塞いでくれる。熱い舌先で彼の唇をなぞると、彼は口を開き私の舌を自らのもので絡めとる。磁石が引き合うように手を重ねて、自由なままの右手で彼の頬を撫でた。

「……凪砂くん、」

彼の紅い瞳を見つめる。胸もとを見ればすぐに鼓動がわかるほど、心臓が高鳴っていた。酔い潰れたぐちゃぐちゃの頭でも、今夜の本来の目的は覚えていた。

けれど本当は、上下逆の体勢から始めるつもりだった。私が凪砂くんを押し倒す感じで始めるつもりだったのだ。でも上下を反転させられるような力はない。ただでさえ力が入らないのだからこのままいくしかない。

重ねた手をそっと胸もとに導いて、はだけたブラウスの上から肌に触れさせる。少し冷たい彼の手が心地好くて、つい頬を弛めてしまった。

「さわ、って……」
「……なまえ、駄目だよ」

凪砂くんは手を離して私から距離を取ろうとする。咄嗟にその腕を掴むと、凪砂くんは困ったような顔をして私の頭を撫でた。

「酔っているから、駄目。」
「だ、だめじゃないもん、だって、だって……今日、したいって……しようって思って…………」
「……だから、お酒をたくさん飲んだの?」
「うぅ……緊張してたの……。」

凪砂くんはやさしく微笑み、私の額にキスをする。慈愛に満ちた母親のようなそれに、少し心がゆるむ。

「じゃあ、尚更だめ。……明日の夜、私の部屋においで。お酒はなしで、良い夜にしてあげるから。」

凪砂くんの笑顔は、柔らかくてあたたかいのに、何故だか色気のようなものもあった。途端に心臓がどきどき締めつけられて、黙りこくってしまう。

「苦しくない?お水飲みたくなったら言ってね。」
「う、うん……。」
「大丈夫、焦らなくてもいいよ。今夜はゆっくり休もうね」

額に優しくキスをされて、すっかり毒気が抜かれてしまった。安心したら急に眠気が襲ってきて、そのまま重い瞼を閉じてしまう。

「……愛してるよ」

甘い囁きにも返事はできず、ゆっくりと意識が溶けだした。──翌朝目を覚ますと、凪砂くんは私を軽く抱いて同じベッドで眠っていた。一晩経った今になって、凪砂くんの言葉が心臓を締め付ける。

「……私も、だいすき……」

彼の白銀の髪を撫でて、そっと小さく囁いた。起きたらとりあえず謝らなくちゃな、と思いながら、今晩どうなるかについては考えずにおこうと決心した。