待っていられない
「もう春ですねぇ」
跳ねる音符のような軽やかさをひそめて、彼は不意にそう呟いた。そのまぶしげに細められたすみれ色の目を横目で見たあと、彼の視線を追って空を見上げる。空はどこまでも高く、水彩の絵の具で塗ったような澄んだ色をしていた。お昼ともなれば空気はずいぶんあたたかく、日差しもやわらかに大気中に散らばって見える。
彼はさりげなく私に歩幅を合わせながら隣を歩いていた。その肩には白い鳩がちょこんとお利口に止まっている。
「もうそろそろ桜も咲くかな」
足は止めないまま、道沿いに植えられたたくさんの桜の木の、まだ花をつけていない枝を見る。
「そうですねぇ、桜が咲いたらお花見でもしましょうか」
「良いね、でも予定合うかな? お花見って行こうと思ってても暇ができるころにはもう散ってたりするじゃん」
ざく、ざく、と一定のリズムで土をふむお互いの足を見下ろし、何気なく、繋いでいた手を握り直してみた。彼はそれに応えるように指にほんの少し力を込める。
そうして突然、ぐいっと手を胸もとくらいの高さまで上げられる。驚いて顔を上げ彼を見ると、にこにこと花が咲くような満面の笑みを浮かべている。その笑顔を見た瞬間、次に彼が何かしでかすであろうことは理解できた。
「では先に咲かせておきましょうか」
彼はそう言うと繋いだままの私の手の甲にくちびるを寄せる。足を止めて彼の一挙一動に目を奪われていると、ほどかれた手のなかに一輪の桜の花が現れた。
「えっ、すご」
「ンフフ、私にかかれば桜のひとつやふたつこのとおり☆ 加えてこちらもどうぞ」
どこからともなく彼の手に現れたのは、小ぶりな梅の花だった。差し出されたそれを指先でつぶしてしまわないよう慎重に受け取る。桜も梅も、まるでドレスのすそのように可憐に、けれどひそやかに、その花弁を開いていた。
「約束ですよ。また桜を見に来ましょうね」
「……うん。約束ね」
からめた小指からぬくもりがじわりと伝わる。彼の長い髪を揺らすそよ風はまだ冬の香りを残していた。
――けれど手のひらのなかには、私だけのちいさな春がもうおとずれていた。
跳ねる音符のような軽やかさをひそめて、彼は不意にそう呟いた。そのまぶしげに細められたすみれ色の目を横目で見たあと、彼の視線を追って空を見上げる。空はどこまでも高く、水彩の絵の具で塗ったような澄んだ色をしていた。お昼ともなれば空気はずいぶんあたたかく、日差しもやわらかに大気中に散らばって見える。
彼はさりげなく私に歩幅を合わせながら隣を歩いていた。その肩には白い鳩がちょこんとお利口に止まっている。
「もうそろそろ桜も咲くかな」
足は止めないまま、道沿いに植えられたたくさんの桜の木の、まだ花をつけていない枝を見る。
「そうですねぇ、桜が咲いたらお花見でもしましょうか」
「良いね、でも予定合うかな? お花見って行こうと思ってても暇ができるころにはもう散ってたりするじゃん」
ざく、ざく、と一定のリズムで土をふむお互いの足を見下ろし、何気なく、繋いでいた手を握り直してみた。彼はそれに応えるように指にほんの少し力を込める。
そうして突然、ぐいっと手を胸もとくらいの高さまで上げられる。驚いて顔を上げ彼を見ると、にこにこと花が咲くような満面の笑みを浮かべている。その笑顔を見た瞬間、次に彼が何かしでかすであろうことは理解できた。
「では先に咲かせておきましょうか」
彼はそう言うと繋いだままの私の手の甲にくちびるを寄せる。足を止めて彼の一挙一動に目を奪われていると、ほどかれた手のなかに一輪の桜の花が現れた。
「えっ、すご」
「ンフフ、私にかかれば桜のひとつやふたつこのとおり☆ 加えてこちらもどうぞ」
どこからともなく彼の手に現れたのは、小ぶりな梅の花だった。差し出されたそれを指先でつぶしてしまわないよう慎重に受け取る。桜も梅も、まるでドレスのすそのように可憐に、けれどひそやかに、その花弁を開いていた。
「約束ですよ。また桜を見に来ましょうね」
「……うん。約束ね」
からめた小指からぬくもりがじわりと伝わる。彼の長い髪を揺らすそよ風はまだ冬の香りを残していた。
――けれど手のひらのなかには、私だけのちいさな春がもうおとずれていた。