ちゃんと伝わってる?
「私……赤ちゃんがほしい」
家に帰って玄関のドアを閉めるなり、彼女はぽそりと呟いた。呟くというにはあまりにはっきりと、けれど訴えるというにはあまりに頼りなげに、彼女はぼくにそう言ったのだ。ぼくは玄関で立ち尽くす彼女を振り返って俯いた顔に手を添え、顔を上げさせた。
「ちゃんと聞いてあげるから、先にリビングまで行こうね。ほら、おいで」
「うん……」
彼女の手を取ってリビングへ上がり、ふたり並んでソファにゆったりと腰掛ける。ぼくがいつもどおり脚を組んでも、彼女はどこか緊張したように行儀よく座ったまま、俯きがちに自分の膝を見つめていた。
「それで……うん、えっと。きみは赤ちゃんがほしいの? ずいぶん急なおねだりだけど何かあったのかね?」
「……ううん、何か……とかじゃないの。ただ、私」
彼女はうすくくちびるを開くけれど、その空洞から続きの言葉が出てくることはなかった。もし、彼女がただ単に、たとえばよその赤ん坊を見て自分も同じような幸福を望んでいる――とかいうだけなら、もちろんぼくだってそれを無闇に否定したりしない。順序というものがあるから今すぐにというわけにはいかないけれど、それでも愛しい彼女の希少なおねだりなら叶えてやりたいとも思う。
けれどどうにも彼女のようすがおかしい。赤ちゃんがほしいというのならもっと未来への希望に満ちた瞳でねだっても良いはずなのに、その細いのどの奥の奥に何かが詰まったような、何か引っかかるようすだった。
「赤ちゃんができたら、ぼくたちはどう変わるだろうね。きみはお母さんになって、ぼくはお父さんになる。たぶんきっと、それだけじゃないし、こうして簡単に言うよりずっと大変なことなんだろうね」
「うん……うん、そうだね」
「覚悟があるかどうかで聞かれたら、あるね。ぼくはきみもぼくらの子どもも、みんな幸せにする覚悟があるし、覚悟だけでは終わらせないね。でもだからこそ、きみがそんなふうに曇った顔をしているのに赤ちゃんをつくるなんてできないね」
「…………」
彼女の膝の上に置かれた握りこぶしをそっと手のひらで包み込む。彼女の横顔を覗き込むと、五秒ほど間を置いて、彼女がこちらを向いた。
「どうして日和くんには全部バレちゃうのかな」
「ふふ、そんなの。ぼくがきみをどれだけ見つめているのかを知っていれば疑問にすらならないね。さあ話してみて、胸の内のわだかまりも何もかも、きみはぼくのものなんだから隠す権利なんてないね!」
彼女の手の甲を親指の腹で撫でれば、彼女は眩しそうに目を細めて微笑んだ。そして自分の横髪を耳にかけると、少し恥ずかしそうに話し始めた。
「赤ちゃんができたら、ずっと、ずっと日和くんと一緒にいれるのになぁって思ったの。それだけ。赤ちゃんさえいたら捨てられることもないのかなって」
「ふぅん? ずいぶんな言い方だね、ぼくがきみを捨てるだなんて。悪い日和っ」
「……でもわからないよ、この先どうなるのかなんて」
「そうだね、未来のことなんてわからないね。でもぼくの未来を決めるのはぼくだから、これにかんしては断言できるね」
不安そうに眉をハの字にしている彼女にずいと近づき、睫毛が触れるくらいの距離でまっすぐに彼女の瞳孔を見つめる。彼女は息をするのも忘れて黙り込んでいた。
「きみもいい加減、今さらぼくから逃げられるだなんて思わないことだね。……それがきちんとわかったうえでふたりの子どもがほしいって言うのなら、喜んでつくってあげる」
彼女の返答を待たずに、その柔らかいくちびるにキスをする。そのあとも額や、頬や、手の甲にたくさんキスをして、最後に彼女の目元にくちびるを寄せた。すると彼女は未だに慣れないのか少しもじもじしたあと、思いきってぼくにキスを返してくれた。
「あははっ、きみっていつまで経っても下手っぴで可愛いね!」
「もう、じゃあもうしない」
「そんなのきみが勝手に決めていいことじゃないね! ほらほら、上手くなるにはたくさん練習するしかないね……☆」
とは言いつつも彼女をソファに押し倒し、ぼくのほうから思う存分キスをした。これだけ惜しみなく愛を降り注いでみても、きっとまだまだ伝わっていないのだろう。
子どもをつくるよりも前にきちんとわからせてあげないといけない。ぼくがどれだけ彼女を愛しているのか、その愛がもう褒められたものではないほど熱く固まって、二度とほどけなくなってしまっているということを。
家に帰って玄関のドアを閉めるなり、彼女はぽそりと呟いた。呟くというにはあまりにはっきりと、けれど訴えるというにはあまりに頼りなげに、彼女はぼくにそう言ったのだ。ぼくは玄関で立ち尽くす彼女を振り返って俯いた顔に手を添え、顔を上げさせた。
「ちゃんと聞いてあげるから、先にリビングまで行こうね。ほら、おいで」
「うん……」
彼女の手を取ってリビングへ上がり、ふたり並んでソファにゆったりと腰掛ける。ぼくがいつもどおり脚を組んでも、彼女はどこか緊張したように行儀よく座ったまま、俯きがちに自分の膝を見つめていた。
「それで……うん、えっと。きみは赤ちゃんがほしいの? ずいぶん急なおねだりだけど何かあったのかね?」
「……ううん、何か……とかじゃないの。ただ、私」
彼女はうすくくちびるを開くけれど、その空洞から続きの言葉が出てくることはなかった。もし、彼女がただ単に、たとえばよその赤ん坊を見て自分も同じような幸福を望んでいる――とかいうだけなら、もちろんぼくだってそれを無闇に否定したりしない。順序というものがあるから今すぐにというわけにはいかないけれど、それでも愛しい彼女の希少なおねだりなら叶えてやりたいとも思う。
けれどどうにも彼女のようすがおかしい。赤ちゃんがほしいというのならもっと未来への希望に満ちた瞳でねだっても良いはずなのに、その細いのどの奥の奥に何かが詰まったような、何か引っかかるようすだった。
「赤ちゃんができたら、ぼくたちはどう変わるだろうね。きみはお母さんになって、ぼくはお父さんになる。たぶんきっと、それだけじゃないし、こうして簡単に言うよりずっと大変なことなんだろうね」
「うん……うん、そうだね」
「覚悟があるかどうかで聞かれたら、あるね。ぼくはきみもぼくらの子どもも、みんな幸せにする覚悟があるし、覚悟だけでは終わらせないね。でもだからこそ、きみがそんなふうに曇った顔をしているのに赤ちゃんをつくるなんてできないね」
「…………」
彼女の膝の上に置かれた握りこぶしをそっと手のひらで包み込む。彼女の横顔を覗き込むと、五秒ほど間を置いて、彼女がこちらを向いた。
「どうして日和くんには全部バレちゃうのかな」
「ふふ、そんなの。ぼくがきみをどれだけ見つめているのかを知っていれば疑問にすらならないね。さあ話してみて、胸の内のわだかまりも何もかも、きみはぼくのものなんだから隠す権利なんてないね!」
彼女の手の甲を親指の腹で撫でれば、彼女は眩しそうに目を細めて微笑んだ。そして自分の横髪を耳にかけると、少し恥ずかしそうに話し始めた。
「赤ちゃんができたら、ずっと、ずっと日和くんと一緒にいれるのになぁって思ったの。それだけ。赤ちゃんさえいたら捨てられることもないのかなって」
「ふぅん? ずいぶんな言い方だね、ぼくがきみを捨てるだなんて。悪い日和っ」
「……でもわからないよ、この先どうなるのかなんて」
「そうだね、未来のことなんてわからないね。でもぼくの未来を決めるのはぼくだから、これにかんしては断言できるね」
不安そうに眉をハの字にしている彼女にずいと近づき、睫毛が触れるくらいの距離でまっすぐに彼女の瞳孔を見つめる。彼女は息をするのも忘れて黙り込んでいた。
「きみもいい加減、今さらぼくから逃げられるだなんて思わないことだね。……それがきちんとわかったうえでふたりの子どもがほしいって言うのなら、喜んでつくってあげる」
彼女の返答を待たずに、その柔らかいくちびるにキスをする。そのあとも額や、頬や、手の甲にたくさんキスをして、最後に彼女の目元にくちびるを寄せた。すると彼女は未だに慣れないのか少しもじもじしたあと、思いきってぼくにキスを返してくれた。
「あははっ、きみっていつまで経っても下手っぴで可愛いね!」
「もう、じゃあもうしない」
「そんなのきみが勝手に決めていいことじゃないね! ほらほら、上手くなるにはたくさん練習するしかないね……☆」
とは言いつつも彼女をソファに押し倒し、ぼくのほうから思う存分キスをした。これだけ惜しみなく愛を降り注いでみても、きっとまだまだ伝わっていないのだろう。
子どもをつくるよりも前にきちんとわからせてあげないといけない。ぼくがどれだけ彼女を愛しているのか、その愛がもう褒められたものではないほど熱く固まって、二度とほどけなくなってしまっているということを。