彼女がひらりと舞うたびに、制服のスカートの裾が綺麗な円形を描いて広がる。ぎりぎりまで見える美しい肌色にどきりと心臓を跳ねさせつつも、やはり目は離せず、ジッと彼女に見入っていた。

 音に合わせて、透き通った硝子のような歌声が心地好く鼓膜を揺らす。重力を忘れたような静かなステップで、彼女はぴょんと飛び跳ねる。指先まで丁寧に洗練された動きは、まるで羽でも生えているのではないかと錯覚するほど軽快だ。

 「…………あ……巴さん?」

透き通った声が僕の名前を呼ぶ。見蕩れていたところを急に現実に引き戻され、反応が遅れてしまった。すぐに笑顔を浮かべて、地に足をつけた彼女にタオルを渡す。

「こんにちは、なまえちゃん。今日も楽しそうだね」
「う……仕事は終わってますので……」

彼女は恐る恐る僕の差し出したタオルを受け取り、自分の汗を拭いた。あぁ、生きていたのか、とぼんやり当たり前のことを認識する。

 彼女の本職はプロデューサーだ。自分でアイドルなりなんなりやればいいのに、目立つのは怖いからとコズプロでプロデューサーをしている。仕事が終わったあと、頻繁に、空いているレッスンルームでこうして踊っているのだ。

 数週間前、彼女に用があって、偶然彼女がここで踊っているのを見つけた。そのときはかなり驚いて、彼女も恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていたけれど、それ以降彼女の歌とダンスを見に来るのは習慣になっていた。とはいえ、僕も彼女も忙しいから、週に1回程度の習慣だ。

 「別に責めてなんかないね!でもちゃんと休んでる?休息は必要だからね。ほら、ちゃんとお水飲んでね」
「はい……」

いつも我を忘れて踊り続けるものだから、こうして水分を無理に飲ませないと倒れてしまう。まるで赤い靴を履いた少女みたい、なんて思いながら、彼女がこくこくと水を飲むのを見つめる。ううん……これはハムスターみたいだね。

 「巴さんは……」
「日和って呼んでって前言ったね!」
「駄目です。巴さんは、今からお帰りですか?」

きっぱり拒絶され、思わず唇を突き出して眉を寄せる。何度お願いしても、何度命令しても、彼女は僕を名字でしか呼んでくれない。

 「なまえちゃんが帰るなら帰るけど……」
「なら帰りましょうか。明日は早朝から来ていただかないといけませんし」
「僕と帰りたいからじゃなくて、明日仕事だから帰るの?」
「えぇと……巴さんとは家が逆なので、一緒には帰れませんよ」

僕が望む答えを、彼女は絶対に口にしてくれない。わかってやっているのか無自覚なのか知らないけれど、こんなに頓珍漢な返答をされると何だかいやになってくる。

 「きみって女神さまみたいだね」
「……それ、玲明学園にいたときも言われました」
「うんうん、聞いたね!非特待生にチャンスを与えたり助けたりするなんて時間の無駄だと思ってたけど、案外成果は出たみたいだね」

彼女が玲明学園でプロデューサーとして働いていた頃、夢ノ咲のように全員にチャンスを与えたいだなんて世迷言を実行して見せたのが彼女だった。

 それがきっかけで天使だの女神だのと呼ばれることになったのだ。けれど今は女神のような彼女が憎らしい。

 そっと彼女の頬に触れると、彼女は不思議そうに僕を見つめる。無垢で真っ直ぐな瞳。誰にでも等しく優しい、慈愛の瞳。その髪も目も肌も指先も、全部誰にも触れられないものだ。

「きみが林檎を食べて、人間に堕ちてくれたら良いのにね」

赤い唇を親指でなぞると、彼女は一瞬まつ毛を伏せて悲しそうな顔をした。

 きみの、髪の一本一本からつま先まで全部、僕だけのものになればいいのに。平等に優しいだけで触れられないなんてあんまりだ。こんなにも胸が張り裂けるほどきみを欲しているのに、そう思えば思うほど、伸ばした手が遠ざかっていく。

「僕は林檎を食べてしまったから、きみには触れられないんだね」
「……ごめんなさい」

「謝らないで、諦めるつもりなんかないからね。絶対、引きずり落としてあげるから。……そのときは、大人しく僕に抱き締められてくれる?」
「……はい、きっと」

彼女の微笑は、陽だまりのように柔らかく僕を受け容れた。僕も微笑みを返して、彼女の頬から手を離す。

 いつかきっと、女神なんてやめさせてあげる。とびきり甘い林檎できみをただの人間に堕としてあげる。そのときやっと、僕はきみの全てに触れられるのだ。それまでは悔しいけれど、我慢してあげるから。