愛を識らなくても
愛とはいったいどういうものだろう――とこのごろよく考える。それは抽象的な表現をするなら、何かこう液体のように軟らかく、温度は人肌くらいに温かくて、海のように澄きとおっている、そういうものに感ぜられる。
テレビの向こうでは私の恋人がある青年になりきって愛を語っていた。私はソファに素足を投げ出し、半分横になってスナック菓子をつまみながら彼の演技を鑑賞している。
「……おわ」
ふと、彼は相手を抱き寄せ、そのまま情熱的なキスをした。それを見た途端ひとりで変な声を出してしまった。こんなキスをするのは私の日々樹渉ではない。これはまったくもって彼とは別人であり、私からすれば全然知らない他人なのだ。……そうわかってはいても、やっぱり心の内には靄がかかる。
「ただいま帰りましたあなたの日々樹渉です!」
「おわっ……おかえり。早かったね」
「ええ、あなたが私を呼ぶ声が聞こえたものですから」
「あはは」
身体を起こして、帰宅しいつもどおりの快活な笑顔を浮かべている彼を振り返る。それと同時にリモコンを手に取り、テレビを消した。
「観ていらしたのでしょう、あの、私が出演しているドラマを」
「うん、ちょっとだけ。恋愛ドラマってあんまり得意じゃないけど、やっぱり渉は演技が上手いなぁって思って観てた」
何ひとつ嘘はつかないけれど、ありのままをすべて話すわけでもない。というのは別にこの胸にかかった靄を隠したかったからではなく、その靄にかんすることを適切に説明するだけの言葉を私は知らなかっただけなのだ。彼はニンマリ笑って、その長い脚を組みつつ私の隣に腰掛ける。
「光栄です、しかし意外でしたね。嫉妬のひとつやふたつ、口になさるかと思っていましたが」
「嫉妬」
赤ん坊みたいに、彼の口から出た言葉を繰り返してみる。それはストンと胸に収まって、深く重々しい靄に名前を与えてくれた。
「嫉妬かぁ、そっか。嫉妬はするよ、だってハグもキスもしてるんだもん……でもアレは日々樹渉じゃないから、私が何を言ってもナンセンスだっていうのはわかってるんだよ」
「ふむ、そうですね。ええ、確かに彼は日々樹渉ではありません。けれど良いではありませんか、ナンセンス! たとえ一見してゴミくずのようなものでも、形を与えて言葉にしてみれば良いのです。そうすると案外美しいものが出てくるかもしれませんよ」
彼はそう言って私のくちびるを親指で撫でた。それから慈しむように私の横髪を耳にかけ、耳のふちを撫でる。彼の手は愛そのもののようだった。
「……あんな……あんなふうに強引に、情熱的に、野性的に……なってるところなんて見たことない。私が知らないのに他の人は知ってるなんて嫌、それに渉に恋人みたいに触ってもらえるのが私はすごく好きなのに、それが他の人にも知られてるのがすごく……ムカつく、私の、私のなのに。私が渉のこと一番愛してるのに」
「ええ、ええ、そうですね」
「でも……一番嫌なのは、こんなに愛してくれてるのに、渉の仕事を素直に褒めたりできない自分なの……。ちゃんと自信もって、渉にお疲れ様って言って労わったり褒めたりしたいのに……それができない自分の器のちっちゃさが、恥ずかしくてすごく嫌」
私が拙いながらもなんとか胸の内にあった靄を喉から搾り出すと、彼は何故か心底嬉しそうに笑って私を強く抱き締めた。広い背中に手を回し、そっと抱き返す。
「何も恥ずかしがることはありません。フフ、ナンセンスだなんて! そういうことはもっともっと言ってください、そういう愛の言葉は」
「……ただのわがままじゃない?」
「愛とはわがままなものですよ、私はぜひ聞かせていただきたいです」
「そう……そっか、ありがと」
少しだけ身体を離して私の方から一瞬触れるだけのキスをする。彼はやはり満足気に笑い、ふと私の肩を掴むとそのままソファへ押し倒してきた。
「強引に、情熱的に、野性的に……お望みとあらば求めてみせましょう! 役柄としてではなく、あなたを愛する私自身として」
「おわ……ちょ、ちょっと待って、心臓変になっちゃう」
「ご安心を! 万が一止まってしまっても蘇生いたしますよ☆」
渉はそう言って私の額にくちびるを寄せた。大きな熱い手のひらが肌に触れる。
愛というものは、案外私がイメージしていたような透き通ったやさしいものではないらしい。彼が私の醜い嫉妬を愛と呼んだように、それはまさに海のように広く深く、色々な顔をもった道化のようなものなのかもしれない。
たとえ正確にはわからなくても、愛を素直に受け取ることはできるだろう。今こうしてたくさんの愛を彼から注がれているように。
テレビの向こうでは私の恋人がある青年になりきって愛を語っていた。私はソファに素足を投げ出し、半分横になってスナック菓子をつまみながら彼の演技を鑑賞している。
「……おわ」
ふと、彼は相手を抱き寄せ、そのまま情熱的なキスをした。それを見た途端ひとりで変な声を出してしまった。こんなキスをするのは私の日々樹渉ではない。これはまったくもって彼とは別人であり、私からすれば全然知らない他人なのだ。……そうわかってはいても、やっぱり心の内には靄がかかる。
「ただいま帰りましたあなたの日々樹渉です!」
「おわっ……おかえり。早かったね」
「ええ、あなたが私を呼ぶ声が聞こえたものですから」
「あはは」
身体を起こして、帰宅しいつもどおりの快活な笑顔を浮かべている彼を振り返る。それと同時にリモコンを手に取り、テレビを消した。
「観ていらしたのでしょう、あの、私が出演しているドラマを」
「うん、ちょっとだけ。恋愛ドラマってあんまり得意じゃないけど、やっぱり渉は演技が上手いなぁって思って観てた」
何ひとつ嘘はつかないけれど、ありのままをすべて話すわけでもない。というのは別にこの胸にかかった靄を隠したかったからではなく、その靄にかんすることを適切に説明するだけの言葉を私は知らなかっただけなのだ。彼はニンマリ笑って、その長い脚を組みつつ私の隣に腰掛ける。
「光栄です、しかし意外でしたね。嫉妬のひとつやふたつ、口になさるかと思っていましたが」
「嫉妬」
赤ん坊みたいに、彼の口から出た言葉を繰り返してみる。それはストンと胸に収まって、深く重々しい靄に名前を与えてくれた。
「嫉妬かぁ、そっか。嫉妬はするよ、だってハグもキスもしてるんだもん……でもアレは日々樹渉じゃないから、私が何を言ってもナンセンスだっていうのはわかってるんだよ」
「ふむ、そうですね。ええ、確かに彼は日々樹渉ではありません。けれど良いではありませんか、ナンセンス! たとえ一見してゴミくずのようなものでも、形を与えて言葉にしてみれば良いのです。そうすると案外美しいものが出てくるかもしれませんよ」
彼はそう言って私のくちびるを親指で撫でた。それから慈しむように私の横髪を耳にかけ、耳のふちを撫でる。彼の手は愛そのもののようだった。
「……あんな……あんなふうに強引に、情熱的に、野性的に……なってるところなんて見たことない。私が知らないのに他の人は知ってるなんて嫌、それに渉に恋人みたいに触ってもらえるのが私はすごく好きなのに、それが他の人にも知られてるのがすごく……ムカつく、私の、私のなのに。私が渉のこと一番愛してるのに」
「ええ、ええ、そうですね」
「でも……一番嫌なのは、こんなに愛してくれてるのに、渉の仕事を素直に褒めたりできない自分なの……。ちゃんと自信もって、渉にお疲れ様って言って労わったり褒めたりしたいのに……それができない自分の器のちっちゃさが、恥ずかしくてすごく嫌」
私が拙いながらもなんとか胸の内にあった靄を喉から搾り出すと、彼は何故か心底嬉しそうに笑って私を強く抱き締めた。広い背中に手を回し、そっと抱き返す。
「何も恥ずかしがることはありません。フフ、ナンセンスだなんて! そういうことはもっともっと言ってください、そういう愛の言葉は」
「……ただのわがままじゃない?」
「愛とはわがままなものですよ、私はぜひ聞かせていただきたいです」
「そう……そっか、ありがと」
少しだけ身体を離して私の方から一瞬触れるだけのキスをする。彼はやはり満足気に笑い、ふと私の肩を掴むとそのままソファへ押し倒してきた。
「強引に、情熱的に、野性的に……お望みとあらば求めてみせましょう! 役柄としてではなく、あなたを愛する私自身として」
「おわ……ちょ、ちょっと待って、心臓変になっちゃう」
「ご安心を! 万が一止まってしまっても蘇生いたしますよ☆」
渉はそう言って私の額にくちびるを寄せた。大きな熱い手のひらが肌に触れる。
愛というものは、案外私がイメージしていたような透き通ったやさしいものではないらしい。彼が私の醜い嫉妬を愛と呼んだように、それはまさに海のように広く深く、色々な顔をもった道化のようなものなのかもしれない。
たとえ正確にはわからなくても、愛を素直に受け取ることはできるだろう。今こうしてたくさんの愛を彼から注がれているように。