メメント・モリ
⚠️夢主の親族の死があります。
母方の祖父の葬儀の間、何が一番悲しいのか、どうして泣いているのか自分でもいまいちよくわからないまま涙を流していた。おそらく一番悲しかったのは、もう二度と会えないという事実を突きつけられたことだったのだろう。最後に会ったのがいつかわからないほど長らく会っていなかったくせに、おかしなものだ。
「……ただいま」
祖父の住んでいた山奥での葬儀や納骨、初七日、それから遺品整理など諸々のことを終え、私は半月ぶりくらいにやっと家へ帰ってきた。帰宅したのが日付の変わる少し前くらいだったのに、英智は部屋の明かりをつけたまま、私を迎えてくれた。
「おかえり。大変だったね」
英智は気を遣うようにそう言って、私を抱き寄せた。私はずっと強く握りしめていたキャリーケースの取っ手から手を離し、弱々しく彼の背中に腕を回す。骨ばった不健康な背中からは、規則的で穏やかな心拍が伝わってきた。
「英智、あのね」
「うん」
「みんないつか死んじゃうんだよ、しかもそれって、全然想像できない遠い未来のことじゃないの」
「そうだね、うん。その通りだ」
彼のために駅で買ったお土産の話とか、お母さんが英智に会いたいと言っていたこととか、或いは通夜のときに聞いた祖父の面白い思い出話とか――彼に話すことはとにかくたくさんあった。それでも私の口からは、絶望しか溢れてこなかった。
病弱な彼にするべき話ではないということはもちろんわかっていた。私なんかよりずっとそれについて深い理解がある彼に、わざわざ言うようなことではないと、新幹線の窓にうつる自分に何度も言い聞かせながら帰ってきた。
けれど、いやだからこそ、どうしても彼に話したかったのだ。「死」というものがいったい何ものなのかについて。
「死んだらそこで終わりなんだよ。もう二度と会えない。おじいちゃんにも、もう会えない。会ってなかったよ、会ってなかったけど、会わないのと会えないのは全然別のことなの」
「そうだね。死んでしまったら、この世からはもう永遠に喪われてしまう。仕方ないよ、僕らにはどうすることもできない。死後の世界なんてないんだから」
「じゃあなんで、」
私は子どもみたいにしゃくりあげながら、息を吸う。言うべきじゃないことは無論承知のうえだった。英智はいつもと変わらない温度で私を見つめていた。
「なんで生まれてくるの、どうして、どうせ死んじゃうのになんで……」
彼の肩を掴む手は、みっともなくがたがたと震えていた。涙というよりは体液がひたすら目から分泌されて頬をべたべたと濡らしてしまう。英智は形のいい指先で私の汚れた頬を拭い、それから愛撫するように私の髪を撫でた。
私の嘆きは、暗に「生まれてこなければ良かった」と言っているのと同じだった。私がもっと正常だったなら、それが彼に対する侮辱であることを理解できただろう。けれど今の私はちょっとおかしかった。おかしいということだけが唯一確かで、ほかの価値判断はすべてごちゃごちゃと歪んでしまっていた。
「……どうして生まれてきたのかは、誰にも知りようのないことだよ。強いて言うとすればそれは、僕や君の両親が望んだからだ。でもそれだって単なる事象の原因でしかない。僕らが生きていることに特別な理由とか、生まれてくることへの哲学的な原理とか、そんなものはひとつだってないんだ。みんな、なぜだか生まれて、やがて死んでいく」
彼は淡々と語った。まるで葬儀のときの読経のようだった。でもまるきり意味がわからないようなものでは決してなく、彼の眼差しや僅かな声の抑揚や言葉選びは、すんなりと私のくずれた脳に溶け込んできた。彼は真っ直ぐに私を見ていた。
「考えたってどうせわからないよ。いつかそう遠くないうちに死ぬ、それだけが事実なんだ。でもきっとそれは絶望じゃない」
「どうして?」
「どうせわからないなら、好きに理由をつけちゃえばいい。たとえば……君に出逢って、君を愛するために生まれてきたんだ……とかね」
彼は自分でそう言って、照れくさそうに微笑んだ。つられて私も笑う。今までの人生のなかで一番不恰好な笑い方だった。
「……でも、好きな理由をつけてみたって、英智もいつか死んじゃうんだよね」
「もちろん。君もだよ。残されたほうはたまらないけどね……けれどそれだけはどうしたって変えられないから、いつ死んでもいいように生きるしかないんだろうね。僕はそうやって生きてきた。今日死んでしまってもかまわないと思えるように、そのためならどんなことでもする」
彼は強く、自分に言い聞かせるようにそう断言した。彼の人の良さそうな柔和な顔立ちも、今だけは誰より生命力にあふれているように見える。
彼の言葉を咀嚼していくうちに、私の絶望は徐々に漂白され、心が凪いでいくのを感じた。心にかかったもやを吐き出すように深く深く息を追い出して、新しい酸素を取り込む。
「そう、そうよね。うん。……今夜寝て、そのまま死んじゃってもいいように……生きなきゃ」
まるで言霊のように、それを口にしたとたんスッと心が軽くなった。と同時に、地に足がつくようなずっしりとした重力をも感じる。立っている、という自覚がようやく芽生えた。
「おいで。まずは身体を休めよう。ふたりでゆっくり眠って、もし明日の朝も生きていたら、そのときはふたりで美味しい朝食でもとろう」
英智はそう言いながら私のキャリーケースの取っ手を掴み、もう一方の手で私の手を握った。重ねた手からは微かな脈拍と体温が伝わってくる。
……結局次の日も当たり前のようにやってきて、私たちはいつもどおりに目を覚ました。けれどいつか、必ずいつかはくる。それを忘れずに生きていかなくちゃいけない。
母方の祖父の葬儀の間、何が一番悲しいのか、どうして泣いているのか自分でもいまいちよくわからないまま涙を流していた。おそらく一番悲しかったのは、もう二度と会えないという事実を突きつけられたことだったのだろう。最後に会ったのがいつかわからないほど長らく会っていなかったくせに、おかしなものだ。
「……ただいま」
祖父の住んでいた山奥での葬儀や納骨、初七日、それから遺品整理など諸々のことを終え、私は半月ぶりくらいにやっと家へ帰ってきた。帰宅したのが日付の変わる少し前くらいだったのに、英智は部屋の明かりをつけたまま、私を迎えてくれた。
「おかえり。大変だったね」
英智は気を遣うようにそう言って、私を抱き寄せた。私はずっと強く握りしめていたキャリーケースの取っ手から手を離し、弱々しく彼の背中に腕を回す。骨ばった不健康な背中からは、規則的で穏やかな心拍が伝わってきた。
「英智、あのね」
「うん」
「みんないつか死んじゃうんだよ、しかもそれって、全然想像できない遠い未来のことじゃないの」
「そうだね、うん。その通りだ」
彼のために駅で買ったお土産の話とか、お母さんが英智に会いたいと言っていたこととか、或いは通夜のときに聞いた祖父の面白い思い出話とか――彼に話すことはとにかくたくさんあった。それでも私の口からは、絶望しか溢れてこなかった。
病弱な彼にするべき話ではないということはもちろんわかっていた。私なんかよりずっとそれについて深い理解がある彼に、わざわざ言うようなことではないと、新幹線の窓にうつる自分に何度も言い聞かせながら帰ってきた。
けれど、いやだからこそ、どうしても彼に話したかったのだ。「死」というものがいったい何ものなのかについて。
「死んだらそこで終わりなんだよ。もう二度と会えない。おじいちゃんにも、もう会えない。会ってなかったよ、会ってなかったけど、会わないのと会えないのは全然別のことなの」
「そうだね。死んでしまったら、この世からはもう永遠に喪われてしまう。仕方ないよ、僕らにはどうすることもできない。死後の世界なんてないんだから」
「じゃあなんで、」
私は子どもみたいにしゃくりあげながら、息を吸う。言うべきじゃないことは無論承知のうえだった。英智はいつもと変わらない温度で私を見つめていた。
「なんで生まれてくるの、どうして、どうせ死んじゃうのになんで……」
彼の肩を掴む手は、みっともなくがたがたと震えていた。涙というよりは体液がひたすら目から分泌されて頬をべたべたと濡らしてしまう。英智は形のいい指先で私の汚れた頬を拭い、それから愛撫するように私の髪を撫でた。
私の嘆きは、暗に「生まれてこなければ良かった」と言っているのと同じだった。私がもっと正常だったなら、それが彼に対する侮辱であることを理解できただろう。けれど今の私はちょっとおかしかった。おかしいということだけが唯一確かで、ほかの価値判断はすべてごちゃごちゃと歪んでしまっていた。
「……どうして生まれてきたのかは、誰にも知りようのないことだよ。強いて言うとすればそれは、僕や君の両親が望んだからだ。でもそれだって単なる事象の原因でしかない。僕らが生きていることに特別な理由とか、生まれてくることへの哲学的な原理とか、そんなものはひとつだってないんだ。みんな、なぜだか生まれて、やがて死んでいく」
彼は淡々と語った。まるで葬儀のときの読経のようだった。でもまるきり意味がわからないようなものでは決してなく、彼の眼差しや僅かな声の抑揚や言葉選びは、すんなりと私のくずれた脳に溶け込んできた。彼は真っ直ぐに私を見ていた。
「考えたってどうせわからないよ。いつかそう遠くないうちに死ぬ、それだけが事実なんだ。でもきっとそれは絶望じゃない」
「どうして?」
「どうせわからないなら、好きに理由をつけちゃえばいい。たとえば……君に出逢って、君を愛するために生まれてきたんだ……とかね」
彼は自分でそう言って、照れくさそうに微笑んだ。つられて私も笑う。今までの人生のなかで一番不恰好な笑い方だった。
「……でも、好きな理由をつけてみたって、英智もいつか死んじゃうんだよね」
「もちろん。君もだよ。残されたほうはたまらないけどね……けれどそれだけはどうしたって変えられないから、いつ死んでもいいように生きるしかないんだろうね。僕はそうやって生きてきた。今日死んでしまってもかまわないと思えるように、そのためならどんなことでもする」
彼は強く、自分に言い聞かせるようにそう断言した。彼の人の良さそうな柔和な顔立ちも、今だけは誰より生命力にあふれているように見える。
彼の言葉を咀嚼していくうちに、私の絶望は徐々に漂白され、心が凪いでいくのを感じた。心にかかったもやを吐き出すように深く深く息を追い出して、新しい酸素を取り込む。
「そう、そうよね。うん。……今夜寝て、そのまま死んじゃってもいいように……生きなきゃ」
まるで言霊のように、それを口にしたとたんスッと心が軽くなった。と同時に、地に足がつくようなずっしりとした重力をも感じる。立っている、という自覚がようやく芽生えた。
「おいで。まずは身体を休めよう。ふたりでゆっくり眠って、もし明日の朝も生きていたら、そのときはふたりで美味しい朝食でもとろう」
英智はそう言いながら私のキャリーケースの取っ手を掴み、もう一方の手で私の手を握った。重ねた手からは微かな脈拍と体温が伝わってくる。
……結局次の日も当たり前のようにやってきて、私たちはいつもどおりに目を覚ました。けれどいつか、必ずいつかはくる。それを忘れずに生きていかなくちゃいけない。