はじめての嫉妬
「そう、それでね。たまたまショッピングモールで巴さんにお会いして……凪砂くんの話で盛り上がってたの。お茶をご馳走してもらったから、お礼にクッキーでもと思って。でも会う機会もそうそうないし、申し訳ないんだけど凪砂くんから渡してもらえないかな?」
ある休日の昼下がり、お互い話せていなかった最近の些細な出来事について雑談していたときだった。私はその週の平日に休みがあり、出かけると偶然オフの日の巴さんに出くわした。
凪砂くんは巴さんと本当の家族のように仲がいい──というよりは彼らこそ真の意味で『本当の』家族なのかもしれない──から、私はてっきり彼の穏やかな微笑が返ってくるものと思い込んでいた。
「……日和くんと会ったんだね。そっか……ふたりきりでお茶してたの?」
「え……あ、うん。凪砂くんの小さい頃の話とか聞かせてもらってて」
「そう。わかった、クッキーは私から日和くんに渡しておくね」
「うん……」
元々感情が読み取りやすいわけではないにしても、今の彼の反応はひどく曖昧なものだった。少なくともそれが快いものではないことだけは確かだった。けれど彼はそれ以上何も言わず、不機嫌や不快を滲み出すこともなく、先程までと同じようにリラックスした態度で雑談を再開した。結局彼の曖昧な心情について、私は一歩も踏み込めないままだった。
──その日の晩、凪砂くんは私より先にベッドに横になった。珍しく読書もせず、押し黙って布団を被っている。部屋の明かりをパチンと消せば寝室はベッドサイドのテーブルランプが仄かに灯っているだけのぼんやりした空間に変わった。ベッドに入ってランプを消そうとすると、伸ばした腕ごと包み込むように抱き締められる。銀色の柔らかな髪が首や胸元を優しくくすぐった。
「……凪砂くん?」
彼があんまりジッと黙り込んでいるので、私はそっと彼の名前を囁いてみた。彼は充分な沈黙のあと、恐る恐る顔を上げて私を見た。
「……ごめんね。お昼に君の話を聞いて、私、なんだか変な気分になってしまったんだ」
彼の言っているのが巴さんの話をしたときのことだというのは、何となく伝わってきた。そして彼自身、それを聞いたときの自分の感情がいまいちわからないらしかった。私は彼の頭を撫でながら、黙って話を聞いていた。
「日和くんのことは愛しているよ。君のことも。だから君が日和くんと仲良くなってくれるなら、私もとても嬉しいんだ。……けれど、君から日和くんのことを聞いたとき、私はちっとも嬉しくなかった。ううん、嬉しかったのに、それを掻き消すくらいの強い感情が沸き立ってきたんだ」
凪砂くんは、終始、叱られる前の子どものような顔でそんな胸の内を吐露してくれた。それは嫉妬なんじゃないかと言うのは簡単だったけれど、彼の心の内にあるものに私が勝手に形を与えるのはすごく傲慢なことのようにも思えた。柔い髪を撫でて、彼の額にそっとくちびるを寄せる。
「私が他の男の人とふたりきりでお茶するのは、嫌だった?」
「……わからない」
「正直に言っていいんだよ」
「……うん、そうだね。私は嫌だったんだと思う」
それがまるで極悪かのように、彼はばつの悪い顔をした。彼にとっては、まさかそんな彼の感情が私を喜ばせるとは思いもしないことなのだろう。
「じゃあ、これからは控えてほしい?」
「ううん。君を縛りたくない」
「……わかった。でも、嫌だと思ったらちゃんと教えてね。嫌だと思うことは自然なことなんだから」
「……君も、私に対して同じように思うの?」
今度は甘えるような眼差しを向けて、彼は私に訊ねた。私はちょっと気恥ずかしくなりつつも、包み隠さず話してくれた彼の誠実さに応えようと正直に話した。
「うん、思うよ。私は心が狭いから、きっと凪砂くんより何回もそう思ってると思う。……でも私も凪砂くんと同じ。嫌だなって思っても、それであなたのこと縛りたくない」
「……そう。そっか」
凪砂くんは心做しか安堵したような表情を見せ、しかしすぐに腕を伸ばしてテーブルランプを消してしまった。真っ暗になった寝室のなか、変わらず彼の腕が私をぎゅうっと抱き締めている。
「……教えてくれてありがとう」
「こちらこそ。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
温かくて大きな手が、手さぐりで私の頭を優しく撫でた。目を閉じていてもすぐそこに彼がいるのがわかる。うとうとと微睡んでいると、暗闇のなかでぼんやり低い声が鼓膜に溶けた。
「大好き……ううん、愛しているよ」
それが夢だったのかどうかは定かでない。私は返事も出来ないまま、深い眠りの奥底へ沈んでしまった。
ある休日の昼下がり、お互い話せていなかった最近の些細な出来事について雑談していたときだった。私はその週の平日に休みがあり、出かけると偶然オフの日の巴さんに出くわした。
凪砂くんは巴さんと本当の家族のように仲がいい──というよりは彼らこそ真の意味で『本当の』家族なのかもしれない──から、私はてっきり彼の穏やかな微笑が返ってくるものと思い込んでいた。
「……日和くんと会ったんだね。そっか……ふたりきりでお茶してたの?」
「え……あ、うん。凪砂くんの小さい頃の話とか聞かせてもらってて」
「そう。わかった、クッキーは私から日和くんに渡しておくね」
「うん……」
元々感情が読み取りやすいわけではないにしても、今の彼の反応はひどく曖昧なものだった。少なくともそれが快いものではないことだけは確かだった。けれど彼はそれ以上何も言わず、不機嫌や不快を滲み出すこともなく、先程までと同じようにリラックスした態度で雑談を再開した。結局彼の曖昧な心情について、私は一歩も踏み込めないままだった。
──その日の晩、凪砂くんは私より先にベッドに横になった。珍しく読書もせず、押し黙って布団を被っている。部屋の明かりをパチンと消せば寝室はベッドサイドのテーブルランプが仄かに灯っているだけのぼんやりした空間に変わった。ベッドに入ってランプを消そうとすると、伸ばした腕ごと包み込むように抱き締められる。銀色の柔らかな髪が首や胸元を優しくくすぐった。
「……凪砂くん?」
彼があんまりジッと黙り込んでいるので、私はそっと彼の名前を囁いてみた。彼は充分な沈黙のあと、恐る恐る顔を上げて私を見た。
「……ごめんね。お昼に君の話を聞いて、私、なんだか変な気分になってしまったんだ」
彼の言っているのが巴さんの話をしたときのことだというのは、何となく伝わってきた。そして彼自身、それを聞いたときの自分の感情がいまいちわからないらしかった。私は彼の頭を撫でながら、黙って話を聞いていた。
「日和くんのことは愛しているよ。君のことも。だから君が日和くんと仲良くなってくれるなら、私もとても嬉しいんだ。……けれど、君から日和くんのことを聞いたとき、私はちっとも嬉しくなかった。ううん、嬉しかったのに、それを掻き消すくらいの強い感情が沸き立ってきたんだ」
凪砂くんは、終始、叱られる前の子どものような顔でそんな胸の内を吐露してくれた。それは嫉妬なんじゃないかと言うのは簡単だったけれど、彼の心の内にあるものに私が勝手に形を与えるのはすごく傲慢なことのようにも思えた。柔い髪を撫でて、彼の額にそっとくちびるを寄せる。
「私が他の男の人とふたりきりでお茶するのは、嫌だった?」
「……わからない」
「正直に言っていいんだよ」
「……うん、そうだね。私は嫌だったんだと思う」
それがまるで極悪かのように、彼はばつの悪い顔をした。彼にとっては、まさかそんな彼の感情が私を喜ばせるとは思いもしないことなのだろう。
「じゃあ、これからは控えてほしい?」
「ううん。君を縛りたくない」
「……わかった。でも、嫌だと思ったらちゃんと教えてね。嫌だと思うことは自然なことなんだから」
「……君も、私に対して同じように思うの?」
今度は甘えるような眼差しを向けて、彼は私に訊ねた。私はちょっと気恥ずかしくなりつつも、包み隠さず話してくれた彼の誠実さに応えようと正直に話した。
「うん、思うよ。私は心が狭いから、きっと凪砂くんより何回もそう思ってると思う。……でも私も凪砂くんと同じ。嫌だなって思っても、それであなたのこと縛りたくない」
「……そう。そっか」
凪砂くんは心做しか安堵したような表情を見せ、しかしすぐに腕を伸ばしてテーブルランプを消してしまった。真っ暗になった寝室のなか、変わらず彼の腕が私をぎゅうっと抱き締めている。
「……教えてくれてありがとう」
「こちらこそ。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
温かくて大きな手が、手さぐりで私の頭を優しく撫でた。目を閉じていてもすぐそこに彼がいるのがわかる。うとうとと微睡んでいると、暗闇のなかでぼんやり低い声が鼓膜に溶けた。
「大好き……ううん、愛しているよ」
それが夢だったのかどうかは定かでない。私は返事も出来ないまま、深い眠りの奥底へ沈んでしまった。