人生で一度だけ、手に入らなかったものがある。

欲しいと思えば全て手に入れた。死に物狂いで努力して、いつも勝者であり続けた。けれど彼女だけは、どれだけ足掻いても手を伸ばしても、その髪の先にすら触れられなかった。

「……義姉さん、こんにちは。兄上に会いに来たの?」
「日和くん……こんにちは。うん、でもお仕事で会えないみたい。…………日和くんは、お休みなの? 家にいるの、珍しいね」

客間にぽつんと佇んでいた、兄の婚約者。彼女はふわりと花の精のような微笑みを浮かべて、僕を見た。僕は彼女のいるソファに腰掛け、ついと脚を組む。

「最近は忙しくって、全然お休みがなかったね。悪い日和! ……兄上も、義姉さんに会う日くらいちゃんと休めばいいのに。結局結婚式だって挙げてないし、何だか腑に落ちないねっ」
「ふふ、怒らないで。あのひと、私のことは好きじゃないもの」
「……そうなの?」

彼女の横顔を覗き込んだのは、付け入る隙を窺うためだ。彼女は少しだけ寂しそうな顔をして、すっかり冷めた紅茶に口をつける。

赤い唇が濡れる。僕が兄上なら、僕が婚約者なら、そんな寂しい冷たさで放っておくことなんてしないのに。

「お仕事が忙しいでしょう、私に構う暇なんてないのよ。……そもそも結婚だって家の都合でしかないから……私は、別に……」
「嘘。なまえ、小さい頃からお嫁さんになりたいって言ってたね。……ねぇ、何か思うところがあるなら……悩みがあるのなら、僕に聞かせて」

つい、幼い頃からの癖で、彼女の名前を呼んでしまった。彼女は驚いたように僕に向き直る。このまま彼女の細い手首を掴んで、冷たい唇を奪ってしまいたい。

「……日和くん。あのね……誰にも言わないで、あのひと、職場の人と…………」

じわ、と、僕を見つめる彼女の瞳が揺らぐ。ぽたぽたと熱い涙を流して、彼女は両手で顔を覆った。俯く彼女を抱き寄せると、たちまち腹の奥に棲むけものが吠え昂る。

「仕返ししちゃおうか。……兄上に」
「日和くん……」
「最初から、僕が婚約者だったら良かったのにね」

彼女から言葉を奪うようにキスをすると、彼女は涙を零し、そっと睫毛を伏せた。こんなふうに身体を暴いてみても、どうせ彼女は僕のものにはならない。

兄上が他人と浮気しようが、彼女が僕と体の関係を持とうが、彼女が兄上のものだということは変わらない。

どれだけ足掻いても、どれだけ手を伸ばしても、やはり届かない。それでも諦めるなんて今更出来なくて、僕は愚かにも彼女に手を伸ばし続けるのだ。