大学一回生のころ、あるライブハウスでバイトをしていたことがある。そこへ時々やって来て、ステージに上がったり上がらなかったりするのが彼、朔間零だった。

 当時まだ高校生だった彼はその実年齢に似合わず大人びたことを言ったり、時折悲しくなるほど冷たい目でぼんやりしていることもあった。私は彼に男性的な魅力を感じたことはなかったけれど、どうしてこんなに何もかも諦めたような目で世界を見ているのだろうかと、それが私の心には色濃く疑問として残っていた。

 私が一年間続けたバイトを辞めて、もう二年が経った。春先、たまたまそのライブハウス付近でショッピングをしているときに、私は偶然彼に出会した。遠目にでも彼だとわかったけれど、声をかける気にはなれなかった。気付かないふりをして通り過ぎようとすると、思いもよらず腕を掴まれ引き止められたのだ。

「なまえ」
「うわっ……ど、どうも」
「……ひ、久しぶりじゃな。どうしてこんなところにおるんじゃ」
「え?」

彼には違いないのだが、二年前と変わらない声が発した言葉はなんだか前とは全然違っている。おじいちゃんのような言葉遣いに驚いてどう返すべきか困っていると、彼のほうがハッと口を抑えて咳払いをした。

「ごほん、いや、久しぶりだな。いきなりバイト辞めてそれっきり探しても見つかんね〜からどうしたのかと思ってたんじゃ、思ってたんだが」
「……よくわかんないけど、話しやすいように話してくれたら良いよ。日本語でさえあれば……」
「うむ……ありがとう」
「いいえ。ていうか私が散々敬語使えって言っても使わなかったくせに、今さら何を気遣ってんの」

私がそう言って軽く笑うと、彼はちょっと安心したように緊張した表情をくずした。しかし何故か腕は掴まれたままで会話は続く。

「我輩、色々あって今はあそこのでっかいビルでアイドルやってるんじゃよ」
「へぇ、そっか。そういえば夢ノ咲の人だったもんね」

ということはこの口調もキャラ作りだったりするんだろうか……とぼんやり考えながら、ふと彼の瞳を見る。鮮血のように紅い瞳には鉄さえ溶かすような熱が宿っているように見えて、私は少し驚いた。

「……アンタがいなくなってから色んなことがあったんだよ、本当に」
「そっか。でもつらいことばっかり、って顔じゃないよね」
「うん、でも俺はあの頃みたいにアンタになんでも話したかった」

 彼の大きな手が、掴んでいた腕から下へおりていき、私の手を優しく包み込む。私はただ黙って彼の目を見つめていた。

「このまま、じゃあまたって言って別れて、会えなくなるのはすげ〜嫌」
「……じゃあどうしたいの?」
「…………れ、連絡先……教えてほしい」

彼は眉間に皺を寄せて、顔に似合わずそんな可愛らしいお願いをしてきた。それがなんだか不格好で、ついふきだしてしまった。

「何を笑っておるんじゃ!」
「いや、ごめんごめん。良いよ、連絡先交換しよ」

手を離してスマホを開く。連絡先を教えると、彼は友だち登録された画面を見て嬉しそうに微笑んだ。交換した連絡先のアイコンの後ろには、楽しそうに笑う彼と友人らしきひとが一緒に写っていた。

 口調とか外見とか、そういう些細な変化ではない大きな変化が彼に訪れたのだと私は勝手に推測した。彼の瞳には諦めの色なんて少しも滲んでいなかったのだ。私はなんだかそれがたまらなく嬉しくて、つい弟にでもするように彼の頭を撫でてしまった。

「……前から思っておったんじゃけど、おぬし、我輩のこと子どもじゃと思ってるじゃろ」
「流石に子どもとは思ってないよ」
「どうじゃろうな」

拗ねたような声は出しつつ、彼は満更でもないような表情を隠せずにいた。そんな人間らしい不器用さは案外私の心を上手く掴んでしまうのだが、気づかれないよう微笑みで誤魔化した。しかしこの日以来始まった彼のアプローチはまったく可愛げも不格好さもなく、わずか一ヶ月で陥落させられることになるのだった。