彼のポッケや鞄にはきっと魔法がかかっている。なんにもないような顔をして、いつもその中から色々なものが飛び出してくるのだ。タネがある手品だと言われたところでそのタネの想像すらつかないのだから、魔法がかかっていると言っても差し支えないだろう。

「おや、なまえ。あなた、傘はどこへやってしまったんです?」
「へ?」

ある日のデート中のことだった。その日は夕方から雨だと聞いたので、家を出て渉と会った時には傘を持っていた。しかし今、カフェから出てまさに雨が降ってきたときに肝心の傘はなくなっていた。

 どくんと心臓が跳ねる。もちろんカフェの店内に忘れていた……なんてことはない。いつから持っていなかっただろう、どこへ置いてきてしまったのだろう……と私が嫌な汗をかきつつ思い出そうとしていると、渉は傘をさして私の肩を抱き寄せた。

「どうやらお昼に食べたレストランに置いてきてしまったようですね! ふふ、今日の私はツイているようです、こうしてあなたと相合傘ができるだなんて……☆」
「わたる」
「さぁさぁ、仲睦まじく寄り添って歩きましょう! んふふ、いかにも恋人って感じでドキドキしちゃいますねぇ」

渉は大げさに喜びつつそう言って、私の方へ傘を傾けた。──いつもそうだ。私が何かやらかして「まただ」と気分が落ち込みそうになったとき、いつも渉が光を与えてくれる。すぐそばにいる彼を見つめると彼も私を見てニッコリと笑顔を返してくれた。すると心臓は綿で優しく包まれたように安堵し、甘い安らぎだけが湧き上がってくる。

 傘をさす彼の左腕に恐る恐る自分の腕を絡めて距離を詰めた。少しでも近く、彼が濡れないように、いつもより思いきって彼に密着する。

「相合傘なら半分ずつでしょ、渉も濡れないで」
「ふふ、そうですね。もっとくっつきましょうか」
「歩ける程度にね」

ぽたぽた、雨粒が傘を叩く音、ぴちゃぴちゃ、靴が水たまりをふむ音、それから一番大きく聞こえるふたりの心臓の音。全部が混じりあって、けれどお互いを邪魔せず優しい調和を保っている。

「……いつもごめんね」

 ふと私がそうやって調和を崩すと、渉はこちらを見てちょっと困ったように微笑んだ。

「どうして謝るんです、私はこんなに幸福だというのに。あなたは違うんですか、なまえ?」
「ううん、違わない」
「なら良いでしょう」
「でも……」

私がそう言いかけたところで、彼は突然足を止めて私の腕を引っ張った。そして誰からも見えないように傾けた傘のなかで、一瞬触れるだけのキスをされる。睫毛が触れるほどの距離で、渉は静かに目を細めた。

「それ以上はいけませんよ、私が傷つきます」
「……ずるい」
「あなたこそ、そんなに愛らしい顔をなさるのはずるいですよ」

ぱちんと軽やかにウインクをして、渉はまた私に寄り添って歩き出した。

 彼の指先や、ポッケや鞄やその言葉は、いつも私の曇り空に光を与え、雨模様のときには傘をさし、晴れのときには鮮やかな色彩を加えてくれる。それが私にはやっぱり魔法のように思えて仕方ないのだ。