顔を顰めながらスマホの画面を見つめて、もうどれくらい経っただろう。頭が痛むのだから見なければ良いのに、それでも一人で暗い部屋の中でぼんやりしていると心細くてスマホを手放すことができない。風邪をひいているときってどうしてこう寂しく感じるのだろうか。

「はぁ……」

溜め息をついて一度画面から目を離す。するとスマホがメッセージを受信してブーッと震えた。眩しいブルーライトに目を細めて画面を見ると、思わぬ人から連絡が来ていた。

『おぬしのお家何号室じゃったっけ?』

──どうして今そんなことを、と思いつつふわふわした意識で何度も文字や変換を間違えながら自分のアパートの部屋番号を打って送った。するとすぐに家のインターホンが鳴る。

 驚きつつも立ち上がりふらふら歩いて画面を覗くと、そこには変装してエントランスに立っている朔間さんが映っていた。

「……はい、えと、どうしましたか」

応答のボタンを押して話しかけると、朔間さんはつけていた黒いマスクをズラしてにっこり笑った。そして手に持ったコンビニのビニール袋を掲げる。

『風邪をひいたと聞いたのでお見舞いに来たのじゃ。開けておくれ』
「……ど、どうぞ……?」

カチ、と解錠のボタンを押して彼をアパートの中へ通す。熱で浮かされた頭はいまいち現実を現実として理解できていなかった。

 朔間さんは仕事仲間であり、プライベートでも何度か遊んだりしたことのある割かし気の合う「友人」でもある。風邪をひいたというのは恐らく事務所の誰かに聞いたのだろうけど、どうして彼がわざわざこんな時間に家までお見舞いに来るのだろう。時刻はもう日付の変わる頃だというのに。

 私がもやもやしながらもぼーっと何も出来ずにいると、すぐに玄関のチャイムが鳴った。またしてもふらつく足取りで玄関に向かい、思えばだらしない格好のままドアを開けて来客を迎え入れる。

「えへへ、来ちゃったのじゃ」
「……はあ、どうぞ」

なんだか上機嫌らしい彼は家に上がると、玄関のドアの鍵を後ろ手に閉めたあと、靴も脱がずに私の額に触れた。体温の低い手のひらが心地良い。

「あちち、相当高熱じゃな。起きているのもつらいじゃろう」
「うん……朔間さんなんでいるの?」

彼に支えられながらベッドへ戻って大人しく横になる。彼はマスクを外し、ベッドのそばへ座って微笑みかけてきた。

「事務所におらぬので休日かと思ったんじゃが、風邪で休みと聞いてのう。お仕事で遅くなってしまったが、心配だったのでお見舞いに来たというわけじゃ」
「そっか……」

 風邪だと聞いたって普通来ないだろう、友人ならせいぜい連絡を入れるくらいじゃないだろうか……と思わなくもなかったが、思いのほかそばに誰かがいるというのが嬉しくて何も言わずにいた。何か言って本当に帰ってしまったらと思うと怖かったのだ。

「さて、流石に夕食は済ませておるかの? 一応おかゆさんとゼリーは買っておるんじゃが」
「ん、食べてない。お腹空いてなくて」
「いかんいかん、しっかり食べねば治るものも治らんぞい。どっちがいいかの?」
「……じゃあお粥……梅のやつがいい」
「わかった、ちょっと待っていておくれ」

彼は袋からレトルトのお粥を取り出して、わざわざ私の頭を撫でてから台所へ向かった。ワンルームの狭い台所に立つ彼はなんだかちぐはぐに見える。私はベッドの上から彼がお粥を温めるのをずっと見ていた。

 チン、とレンジが鳴ってお粥が温まると、彼はスプーンとお粥を持って戻ってきた。私が身体を起こしてお椀を受け取ろうとするとやんわり阻まれてしまう。彼はスプーンにお粥をすくい、ふぅふぅと冷ましてから私の方へ差し出してきたのだった。流石に何をしているんだと思ったが、まぁいいか、と思い口を開ける。そんな動物の餌やりみたいな行為を延々続け、ようやくお椀が空になった。

「よしよし、ちゃんと食べられてえらいのう」
「……朔間さんって、こういうの好きなの? 人のお世話みたいな」
「うん? まぁ好きなほうかのう……? ほら、我輩お兄ちゃんじゃから」
「あはは、じゃあ私が妹なの? 零お兄ちゃんって呼んだほうがいい?」

 軽くそんな冗談を言ってみると、朔間さんはお椀を持った手を膝の上に置いて照れくさそうに笑った。

「くく、それもなかなか悪くないんじゃがのう……。まぁ良い、早くお薬を飲んでおねんねしよう」
「……私のこと赤ちゃんだと思ってる?」
「まさか。ちゃんと立派な女性として認識しておるぞい」
「それでそんな感じなの……」

朔間さんは空のお椀を流しに持っていき、コップに水を汲んで持ってきた。市販の風邪薬とコップを渡され、ごくんと錠剤を飲み込む。空になったコップを返すと、またよしよしと頭を撫でられた。

「ちゃんとごっくんできてえらいのう」

もはや何を言っても変わらない気がしたので、私は何も言わなかった。それに案外彼の大きな手に撫でられるのは気分が良い。あとは寝るだけかと私が軽く息を吐いたとき、朔間さんが思わぬことを言い出した。

「さて、それでは身体を拭いてからおねんねじゃな」
「…………えっ」
「タオルを借りるぞい」
「えっ、えっ」

 朔間さんは私の返答も待たず、コップをテーブルに置いて洗面所へ向かう。そしてレンジで蒸しタオルを作った朔間さんは、戻ってくるとベッドのふちに腰掛けた。

「え〜と……まぁ見ないようにするので脱いでもらって良いかの?」
「ちょちょちょ、ちょっと待って流石に無理っ、自分でできるから」
「良いから良いから♪ ほれ、ばんざ〜い」

何も良くない、と思いつつ、上手く抵抗できなくて彼にされるがままになってしまう。彼は私の背後に回って本当に寝間着を脱がせると、髪を前へ流し、背中にタオルを当てた。タオルは温かく心地良かったが、それよりもこんな格好で彼の前にいるのが恥ずかしくてますます熱が上がっていくような気になってしまう。

 彼は人形を磨くように背中、脇、腕を拭き、背後から手を回すようにして胸やお腹を拭いた。私はなんだかどうでもよくなってきて、だらんと脱力し彼にもたれかかって黙っていた。

 やがて全身を大体拭き終えると、また寝間着を着せて彼は満足そうに笑った。そうしてようやくベッドに横たえられる。

「ふう、さっぱりしたかえ?」
「……私のこと絶対、赤ちゃんだと思ってるでしょ。そうじゃなかったら性犯罪だよ」
「ぅぐ……そ、そんなに嫌だったかや?」
「嫌じゃないけど……裸見られて何とも思われないの、ちょっとむかつく……。いいよ、どうせ、朔間さんが見てきた美女に比べたら赤ん坊みたいな身体ですよ、もう寝る」

自分でも何を言っているのかいまいちよくわからなかった。が、朔間さんは私の顔を覗き込み、頬を撫でてくしゃりと笑った。

「流石に我輩も男じゃから、好きなおなごの身体を見れば思うところも勿論あるぞい。ただ大事に思っとるからなんにもしておらぬだけじゃ」

耳を撫でる優しい声に、そっか、と返事をしかけてバッと身体を起こした。

「いま好きって言った?」
「てへ、言っちゃったのう」

 ちょっとふざけて照れを誤魔化す彼を睨んで、再び横になって布団を頭まで被る。

「そういうのは元気なときにちゃんと言って、この意気地無し! 聞かなかったことにしてあげるから明日絶対言い直してよ、おやすみ!」

ぶっきらぼうにそう言うと、朔間さんはしばらくの沈黙のあと、なんとも腑抜けた声で「わかった」と返事をした。やがてパチリと電気が消され、そのときは気にする余裕もなかったが朔間さんはソファで眠ったらしかった。

そして翌朝、起きるとちょっとしんどそうにしつつも、第一声に告白をし直してくれたのだった。