※R15くらい 若干性的描写あります
※夢主は女優的なひと



あの日の舞台のことは、正直、あまり覚えていない。

私も彼女も舞台の熱が冷めなくて、打ち上げなど参加せず二人でずっと役になりきっていた。夜が更けて雨が降ってくると、ようやく公園での演劇ごっこは終わった。

そのまま逃げるようにホテルに駆け込んで、それから……電気もつけず、ベッドに彼女を押し倒したのだ。

薄暗がりの中、シーツに埋もれながら、彼女の柔らかな身体を暴いた。長く黒い髪も、陶器のような白い肌も、触れると手に伝わる熱も、思い出そうとすれば鮮明に思い出せる。

翌朝、彼女も私も特に何も言わないまま、それじゃあまた、と別れてしまった。ベッドの上ではあれほど激しく愛をぶつけ合ったのに、正気に戻れば何のことはなかった。あれはきっと、日々樹渉とみょうじなまえではなくて、お互いの演じた劇中の人物だったのだ。

だから言うなればあれは一夜の過ちであって、役を脱ぎ去った私にとって、あのことにわざわざ頓着する必要も意味もない。と、思うのだけれど。

どうしても、彼女の声が忘れられない。繋がったときのあの満ち足りた幸福感も、熱を分け合う快感も、毎晩毎晩思い返しては蝕まれてしまうのだ。

「あれ? 日々樹くん。こんにちは、久しぶりだね」
「ほあっ!? ……こ、これはこれはなまえさん! お久しぶりです、あなたの日々樹渉です……☆」

今日、また新しい舞台の顔合わせで、彼女に会うことは予め知っていた。けれどあまりに突然、それもあの夜のことを思い出しているときに声をかけられたものだから、つい驚いて間抜けな声をあげてしまった。

彼女は私の声に少し驚いてから、くすりと悪戯っぽく笑う。高い声が、鼓膜を揺らす。

「ふふ、日々樹くんでも驚くことがあるのね」

細めた瞳も、綺麗な首筋も、襟から覗くデコルテも、全てが鮮烈にあの夜を思い出させる。仮面を被らなければ、と、思った時にはもう遅かった。

毎晩情けなく引きずっていた執着が、見えないふりをしていた彼女への劣情が、堰を切ったように溢れ出す。顔が火の出るように真っ赤になるのがわかった。

「すみません、こんなつもりでは…………」

ドキドキと心臓が高鳴っている。台詞を言うよりずっとたどたどしく、なんとか心の内を伝えようともがき、声を出した。

「驚くことばかりです、貴女といると。……私、きっと一晩だけのことだろうと思っていたんです。でも夜を越えるたびに、益々貴女のことが頭から離れなくなって……どうか私を否定してください、あれはお互いただ、役に呑まれて犯した過ちだったと。貴女に否定してもらわなくては、私、きっとこの先ずっと勘違いをしたままです」

私が懺悔をするようにそう話すと、彼女はくすりと微笑んだ。そして背伸びをして、そっと私に耳打ちをする。くすぐるような甘い声が、悪魔のように私の脳に響いた。

「私、あのとき、貴方の名前しか呼んでないよ」

途端に、あのときのことが思い起こされる。渉、と確かに彼女はそう言ったのだ。

あぁそうだ、どうして忘れていたのだろう。彼女の蜂蜜のような甘ったるい声は、ただひとり、私の名前を呼んでいたのだ。

そして私も、なまえ、と彼女の名前をこの喉で呼びつけたのだった。

「……なんてことでしょう! なら私、もう貴女をすっかり愛してしまっているようです。言い逃れなどできません」

私がそう言うと、彼女は嬉しそうにはにかみ笑った。これまで数々の台本で愛を囁き、愛と驚きを振りまくことを生業としていたのに、私は自分が持つものが何かに気付けなかった。

気付いてしまった今、もはやその心は如何ともし難く、ただより一層彼女を欲することしかできない。

「私も愛してるよ。……渉」

けれど、彼女がそんなふうに笑って受け止めてくれるから、この心はとどまるところを知らないのだ。きっとこれからも、私は毎晩彼女を思うのだろう。それはまるで、幸福な呪いのように。