※続きものの後編です。こちらは零視点です。




 人のいないフロント。人気のないホテルのなか。たくさんの部屋が並ぶ画面のうち、ランプのついた部屋から適当にひとつを選んでちいさなボタンを押した。鍵を持って部屋へ向かい、ドアの鍵を回してさっきからずっと無言の彼女を部屋に入らせた。ドアを開けて彼女に入るようほほ笑みかけると、彼女は曖昧に笑ってそそくさと部屋に入り、靴を脱いだ。

 バタン、とドアを閉めて鍵を回す。するとなんだか急に、世界から隔離されてしまったような気になった。何の音も聞こえない。ただ、彼女の足音や衣擦れの音だけが聞こえている。

「汗かいちゃったし、先にお風呂入ってもいい?」
「ああ、うむ。入っておいで」
「ありがと」

彼女は無意識にか、目を合わせようとしなかった。脱衣場へ入っていってしまったので俺はそれ以上何も言えず、溜め息をついてソファに腰掛けた。

 彼女には「何もしなくていい、傍にいるだけでいい」と言われたが、きっと本心ではないだろう。満足させてやりたいという気持ちは本当なのに、彼女にはいまいち信用してもらえないらしい。変にそういうことに興味がないだなんて打ち明けず、性欲があるふりをすればよかっただろうか。これからずっと一緒にいたい相手に嘘をつくのは、少し苦しい。

「……零? 大丈夫?」

 ふと、彼女の声が俺を呼んだ。顔を上げるとぶかぶかのバスローブに身を包んだ彼女が俺を見つめている。そのとき何故かドキンと胸が苦しくなった。

「ん、あぁ、すまぬ。少しぼーっとしておったようじゃ。……我輩も風呂を済ませてしまおうかの」
「うん。いってらっしゃい」

彼女はまだ濡れた髪のままで笑った。それがなんだか妙に色っぽくて、ふいと目を逸らし逃げるように立ち上がって風呂場へ向かう。

「う、嘘じゃろ…………」

久しぶりに下半身を襲った感覚は、バカ正直にもそれを臨戦態勢にさせてしまった。自分の現金さに呆れながら、俺は黙って冷水を浴びた。

 ──シャワーを浴び終えてバスローブを羽織る。流石にその頃には体も心も落ち着いていて、なんでもないふりで彼女のもとへ戻ることができた。ドアを開けると、彼女はベッドに寝そべり、その細い脚を投げ出したまま目を閉じていた。ごくりと唾を飲んで、ベッドに膝をつき彼女に近づく。

「……ん、……れい。おかえり」
「うむ……」

彼女は俺の気配に気がつくと、眠そうな目のまま柔らかく笑った。はだけた胸もとはかつてないほど無防備で、やわらかそうで、綺麗だった。

「電気、消す?」
「…………うん」

彼女が腕を伸ばして、ベッドのすぐ上にあるプレートを操作し電気を消してしまおうとした。けれどその手を掴んでそれを阻んでしまう。

「……ん、どしたの? まだ眠くない?」
「ねむ……くないのじゃ」
「ん〜……じゃあほら、おいで」

彼女は寝返りをうち、ごろんと仰向けになって手を広げた。誘われるまま上から覆い被さるようにハグをすれば、彼女は俺の背中に手を回し、ぎゅっと抱き締めてくれた。手はポンポンと俺の背中をやさしく撫でる。

「よしよし、いいこいいこ」

 そっと、シーツのすき間から彼女の背に手を回し、薄い身体を抱き返す。首もとに顔を埋めると何かやさしい甘い香りがした。こうして素肌をくっつけて、目を閉じ彼女の匂いに包まれたまま温まっているだけでも十分すぎるほど幸せだ。それなのにどうして胸が痛むのだろう。

「……」

顔を上げて彼女と間近で目を合わせる。無言で見つめ合い、ごくりと唾を飲んでそっと唇を重ねた。何度もキスをして彼女の首すじを撫でる。

「ふ、…………っ零、ちょっと……」
「……うん」
「うん、じゃ、なくて……しないって言ったじゃん、変な触り方しないで」

彼女は俺の胸板に手を当ててぐいと押し返す。その瞳には幽かに熱が灯っているように見えた。俺の色が映り込んでいるだけだったかもしれない。

「…………すまぬ。しかし……もう少し、いやもっと、おぬしに触れていたい。……我儘がすぎるかのう」

胸板に当てられた彼女の手を取り、その手のひらへキスをする。温かい手のひらはぴくりと驚いたように跳ね、彼女の目は不安そうに俺を見つめ返した。

「……私に気をつかってる?」
「そうじゃな、おぬしに気をつかって一生懸命我慢しておる真っ最中じゃ」
「嘘だったら殴るよ」
「嘘などつかぬよ、おぬしには」

 目を逸らさずにいれば、この胸のうちにある愛おしさももどかしさも、或いは奥のほうに根を張る汚い欲望までもが彼女に伝わるのではないかと思った。彼女の瞳はまっすぐに俺だけを映しこむ。一度長いまつ毛が伏せられ、握っていた彼女の手が俺の頬を撫でた。

「じゃあ、好きにしていいよ。……好きにしてほしいな」
「……うむ、ありがとう」

額にキスをして、鼻先をすり合わせて、それから唇を重ねる。それだけではもう足りなかった。彼女の手の指に自分の指を互い違いに深く、ほどけないよう絡める。こんなふうにけもののような卑しさに振り回される俺を、朝がきたら彼女は笑うだろうか。