「天使さま」

私は膝をついて、彼女に頭を垂れる。彼女は静かに睫毛を伏せ、微笑んでいた。

「私を救ってください」

彼女のうつくしく白い手を取り、その艶やかな手の甲に唇を寄せる。彼女は、ぴくりとも動かないまま、ただ笑っていた。

「……やっぱり、いけませんか。貴女にこんな感情を抱く私は、救っていただけませんか」

どろり、足先からどんどん自分の体が溶けて、泥のように汚れていく。彼女の純白が、私の泥で汚れてしまう。

柔らかな唇も、きめ細かな頬も、無垢な瞳も、豊かな長い髪も、なだらかに曲線を描く身体も、すべて私が汚してしまう。

いけない、と思うのに、手は離せない。真っ白なうつくしさが私に穢されるさまは、しかし、私の鼓動を速めてしまう。貴女のすべてを私が穢してしまえたら、どんなに良いか。

彼女の唇が微かに開いた。寂しげで苦しげな表情が目に飛び込んでくる。その刹那の表情に、心臓がばくんと動きを止めた。



「──あっ、」

びくりと身体が跳ねて、目を覚ます。ドッ、ドッ、と心臓が走っている。時計を見ると、早朝四時半頃だった。カーテンの向こうはまだ少し暗い。

下半身に違和感を覚え、そろりとシーツをどけ、ズボンの中を見る。ああ、やってしまった。……はあ、と溜め息をついて、身体を起こす。

寝汗で髪がじっとりと肌にはりついている。下着の中の不快感と汗ばんだ身体の気だるさに、また息を漏らしてしまう。

洗面台でこっそり下着を洗い流し、先程見ていた夢を思い出した。ここのところほとんど毎晩、彼女の夢を見る。

悪趣味なことに、夢の中の彼女はいつも、天使のような格好をしている。そして私はその純潔を穢してしまうのだ。

「……私、疲れているのでしょうか」

ぽつり呟き、鏡を覗く。どうしてあんな夢を見るかなんてわかっているくせに、疲れているのだろうかなど、愚問にもほどがある。

よりにもよって今日は仕事先で彼女に会うというのに、こんな調子ではいけない。元より道化を演じるのが本分なのだ、こんな薄汚い欲望はしまって、綺麗な仮面で隠してしまおう。



「渉さん、こんにちは」
「ほあっ!? ……こんにちは、なまえさん! 今日もお元気そうで何よりです!」

突然後ろから声をかけられて、うっかり取り乱してしまう。すぐに取り繕って笑顔で挨拶をすると、彼女は穏やかに微笑んだ。

「ふふ、渉さんも、今日も元気そうですね」
「……ええ! 私はいつでも元気ですよ」

その微笑みが夢の中の彼女と重なって、つい拳を強く握り締めてしまう。

夢の彼女はうっとりするほど柔らかくて、私がそれを暴いて、服の下の白くなめらかな肌に手を這わせ──

「渉さん?」

はっ、と我にかえる。罪悪感と背徳感で頭が混乱して、思わず後ずさってしまった。彼女は不思議そうに首を傾げ、私の顔を覗き込む。

「……顔、赤いですよ。もしかして風邪ですか?」

ぴたり、と彼女の冷たい手が私の額に触れる。微かに汗ばんだ肌に、柔らかな手のひらが吸い付いた。

ぞわりと腹の奥が熱くなる。心配そうに私を見上げる彼女が、熟れた果実のように見えたのだ。

ほとんど無意識に、彼女の細い手首を掴んで壁に追いやる。夢の中でそうしたように、このまま彼女を穢してしまいたい。

「渉さん、」

緊張したように、彼女は私を呼ぶ。白いのどに噛みつきたい。そのくちびるを奪ってしまいたい。

ああ、貴女と向き合うとどうして、こんなにも私は醜いけものに成り果ててしまうのでしょう。

「……大丈夫、何もしません」

誓うように、自分自身を戒めるように、静かにそう呟いた。ぱ、と手を離して、彼女から距離をとる。彼女はやはり心配そうに眉を下げて、私を見つめていた。

「すみません、突然。仰る通り、少々疲れているようでして」

どうか、その真っ直ぐな瞳に、私をうつさないでいてほしい。貴女の綺麗な視線に捕われると、途端に私の奥底に眠るけものが目を覚ましてしまうから。

「そう、ですか。無理はしないでくださいね」
「ええ……では、また……」

逃げるように踵を返して、彼女に背を向けた。脇目も振らず、彼女を振り返ることもなく、その場から逃げ去った。

きっと今夜もまた、浅ましい夢を見てしまうのだろう。そしていつの日か、耐えきれなくなったけものが、太陽のもとで彼女に襲いかかってしまうのだろう。

そんなおぞましく待ち遠しい日が、ずっと来なければいいのに。