「ん"〜〜…………ふらふらする……気のせいかな……気のせいだな……」

独り言を呟きながら廊下を歩いていると、ぐらりと視界が回って、ふらりと壁に倒れ込んでしまった。意識もふわふわして、いまいち何かしらの判断ができない。

お偉いさんの接待で飲まされて、お見送りしたあと、コズプロの事務室にスマホを忘れてきたことに気がついたのだ。ふわふわの頭は最初こそ単に能天気で、明日お休みだし取りに行こ〜〜なんて思ってビルまでやって来た。

でも歩くうちにアルコールが回りまくって、結局深夜の薄暗いビルの廊下で、こうしてひとり壁にもたれかかって座り込んでいる。

「んふふ……かべつめたい……」
「ウワッ……こんな時間にこんな所で何やってんですか貴女」

頭の上から声が聞こえて、ゆっくりとそちらを見る。視線を移すだけなのに、なんだか目の動きが緩慢で、意識と齟齬を起こしているみたいだ。なんというか、夢の中にいるみたい。

声の主は茨くんだった。スーツを着て、鞄とジャケットを手に持っている。きっと今から帰るところなのだろう。もう日付が変わる頃なのに……

「いばらくんだ」
「……今日は接待でしたか。お互い、二十歳超えると苦労しますねぇ」

彼は溜め息をついて私に近付き、しゃがみこんで私の顔を覗き込む。眼鏡越しの鋭い視線が、私をジッと見据える。毒蛇なんて言われているけれど、実は彼のことは大好きだった。だって蛇ってすごく可愛いもん。

「いばらくんはかわいいね、いいこいいこ」
「あっはっは!皮肉ですか?自分は良い子の対義語ですよ!」
「そおなの?」
「えぇ。今の貴女なら上手く言いくるめて持ち帰れそうだと思いますしねぇ」

そう言って目を細めたその顔が、あんまり格好良くて、思わず笑ってしまった。笑うというか、頬が弛んでしまうというか。へらへら笑う私を見て、茨くんは呆れたようにため息を着く。

「はぁ……貴女、今度から接待ではお酒を控えてくださいね。そんな様子では酷い目にあいますよ。ほら、立ってください。どうせ事務所に忘れ物でもしたんでしょう?肩くらい貸してあげますから」
「……スマホはね、さっき取ったの。だから帰るだけなの……でも暑いから、壁、冷たくて気持ちいいから……」
「動きたくない、と?成程、蹴り飛ばしていいですか?」
「あはは、やだあ」

立ち上がった彼の手を取って立ち上がると、また視界がぐらりと回る。今度は茨くんの胸に倒れてしまって、そのまま支えられた。

「おっと、大丈夫ですか?ほら、さっさと帰りますよ」
「ん……茨くんの手、つめたくてきもちい」
「なら俺の手で満足していてください」

彼に連れられて廊下を歩く。きっともう誰もいない。茨くんと私ののろまな足音だけが木霊している。エレベーターに乗り、ドアが閉まると、茨くんはちらりと私を見た。

「タクシーを呼びますから、運転手に住所を告げて帰ってくださいね」
「……持って帰ってくれないの?」
「はあ?」

バカかこいつ、と言わんばかりの彼の表情と声音に、また笑ってしまう。でもこのままお別れしたくなかった。何とかして、酔った勢いでも何でも構わないから、彼に食べられてみたかった。

「何言ってるんですか貴女」
「だから、セックスしないの?ってきいてる」
「……貴女も大概悪いひとですね。わかりました、どうせ俺の家のほうが近いですし、招待しますよ」
「やったあ、えへへ」

チン、とエレベーターが一階に着いて、また二人で歩きだす。茨くんは職場の近くのマンションに暮らしていた。何かあってもすぐ駆けつけられるように……とは言っていなかったけど、多分そういう理由なんだと思う。

「おじゃまします〜」
「はいはい、どうぞ上がってください」

殺風景な家だった。リビングにも、ちらと見えた寝室にも、余計なものは全然ない。散らかっている様子もない。生活感のない家だ。私をリビングのソファに座らせ、茨くんはキッチンから水を持ってきた。

「ほら、飲んでください」
「あいあと……」

ごくごくと冷たいお水を飲むと、茨くんは不満げな顔で私を見つめた。コップを机に置いて首を傾げると、そのままソファに押し倒される。

「貴女、本当に俺に犯されてもいいと思ってるんですか?」
「ぇ、……うん」

私が頷けば、茨くんは大きくため息をつく。バカにしてるというより、呆れているみたいだった。私はと言うと、いつも饒舌な唇がすぐそばにあるから、あぁキスしてほしいな、なんてボーッと考えていた。

「そんな顔しても犯しませんよ、セックス中にゲロでもぶっかけられたら殺してしまいますからね」
「そんなによってにゃ、ないもん」
「兎に角、アルコールが抜けてもその気があれば、明日抱いてやりますよ。ほら、ベッドはお譲りしますから寝てください」

彼はあっさり身体を起こして、また私に手を差し伸べる。むぅ、とむくれる私に知らんぷりして、彼は私の手を取り寝室へと引っ張る。

「……いばらくんは?ねないの?」

大人しく彼のベッドに腰を下ろすと、茨くんはすぐに部屋を出ようと私に背を向ける。咄嗟にその手を掴むと、彼は面倒そうに私を振り返った。

「自分はリビングのソファで寝ますから、何かあれば呼んでください」
「だめ!いつもダンスとか、がんばる、がんばってるのに……からだ痛くなっちゃう、」
「貴女って本当めんどくさいですねえ……わかりましたよ、狭くなりますがベッドで寝ましょう。蹴り落としたりしないでくださいよ」
「うん!がんばる」

彼の手を離してベッドに潜り込むと、茨くんの匂いでいっぱいになる。いい匂い、と笑いながら彼を見れば、服を脱いで寝巻きに着替えていた。

「いばらくん、いばらくん」
「はいはい、さっさと寝てくださいね」

茨くんがもそもそとベッドに入り、母親が子供をあやすように私の腹の辺りをぽんぽんと叩く。私は、眼鏡をかけてない彼が珍しくて、ついジッと魅入ってしまっていた。

「茨くんって、どうしてそんなにかっこいいの?」
「さあ?遺伝ですかね。貴女こそどうしてそんなに馬鹿なんです?」
「ばかじゃないもん……」
「どうですかねぇ」

うとうとと、急に睡魔が襲う。彼を見つめていたいのに、瞼が重くて重くて仕方がない。何度か意識を飛ばしたあと、気づけば夢の中へ落ちてしまった。