「こんにちは、あなたの日々樹渉ですよ」

春の麗らかな昼下がり、私は花を一輪持って彼女に会いに行く。声をかけてもいつも通り、彼女の返答はない。

「ふふ、ご機嫌ななめですか? まぁいいでしょう、今日は桔梗の花を持ってきたんです」

花瓶に桔梗をさし、彼女の近くに腰を下ろす。彼女と視線は合わないまま、私はめげずにひとりで話を続ける。

「……昨日は空に虹がかかっていたのですよ。ご覧になりましたか? 何度見ても美しいですね、稀に現れたかと思えばすぐに薄れて消えてしまって……貴女に似ている気がします」
「……」

彼女の手に、自分の手を重ねる。彼女の手はほんのり暖かい。ぎゅ、と彼女の手を握りしめ、彼女の顔をじっと見つめた。

――彼女の目はかたく閉じられていて、ただ、規則正しい寝息だけが聞こえる。手首には点滴の針がつけられていた。

命に関わるような重い病気ではない。ただ、一度眠ってしまうと長期間目を覚まさないだけ。ねむり姫症候群とも呼ばれる睡眠障害は、ここ最近、ずっと彼女を夢に閉じ込めていた。

「私も、眠り姫を演じたことがありますよ。北斗くんが王子役で……ふふ、そう、貴女もご覧になりましたよね。あのときの北斗くんと言ったら、カチコチで演技も下手くそで……」

在りし日に思いを馳せて微笑み、ふと、口を噤んだ。暫く目を覚ましそうにもない彼女の顔を見つめてから、自嘲気味に笑って口を開く。

「いえ、私も人のことは言えませんね。私が王子なら、貴女を目覚めさせられたのでしょうけれど……いやはや、ご満足いただけないようですね。それとも私がキスをすれば、貴女はその瞼をあげて、宝石のような目に私を映してくださるのでしょうか?」

ベッドに膝をつき、体を乗り出す。ぱさりと自分の長い髪がカーテンのように下りて、彼女の顔に影が差した。そのまま顔を近づけ、一瞬、触れるだけのキスをする。

甘い動悸に淡い期待を浮かべながら彼女を見つめるけれど、やはり、その瞳に私が映ることはなかった。

「……私が脚本家だったら、貴女を眠りから覚めさせる素敵な台本をご用意できたのですが……或いは私が貴女の王子であれたなら……なんて、もしもなど幾ら空想してもないというのに」

彼女の頭を撫で、ベッドから下りる。清潔なシーツに包まれて眠りにつく彼女は、まるで緩やかに自殺をしているようだった。

「…………明日も、来ますね。また……花を持って」

そうつぶやき、ベッドサイドのパイプ椅子を畳んだ。病室を後にして、静かに息を吐く。

――明日も明後日も、その次の日も。貴女の王子になれなくとも、どうか貴女を愛することだけはお許しください。貴女が目覚めたその時には、きっと貴女を楽しませる道化になってみせますから。


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