※俺零です
※ふわっとファンタジーです


家に帰ると、すぐ、浴室へ向かう。制服を着たまま中に入ると、浴槽にはいつも通り彼女が眠っていた。

ゆらゆらと水面に広がる豊かな黒髪に、真珠のような白い肌。しなやかな身体の腹辺りから下は、魚のような出で立ちをしている。浴槽から尾ひれが少しはみ出たまま、水に体をつけ彼女はすやすやと眠っていた。

「おい、昼間は起きとけっつ〜の」

ぺしぺしと頬を軽く叩くと、長いまつ毛が震える。それから嫌そうな顔をしながら目を覚まし、彼女は俺を見上げた。

「ん〜〜……おかえり、零ちゃん……」
「おう、ただいま。暇なのはわかるけどよ、あんまり真っ昼間から寝るもんじゃね〜ぞ。別にお前は日に弱いわけじゃね〜んだろ?」

バスタブの縁に腰掛けてそう言うと、彼女はぐっと伸びをして誤魔化すように笑った。

「んん、そうだけど……でもやっぱり、零ちゃんを待ってるのは暇なんだもん。ねぇ、学校なんて行くのやめて、一緒に遊んでよ」
「そうしてやりてぇのは山々だけどな。……お前が人間になったら良いのにな。そしたらこんな狭いところに押し込めないで済むし、日中でも夜中でも傍にいてやれる」

彼女の濡れた白い肌に触れると、彼女は少し唇を尖らせた。拗ねているような顔をしつつも、ちゃんと俺の手には擦り寄ってくる。

「おとぎ話みたいに魔法使いがいるわけじゃないんだから……私だって叶うなら、零ちゃんみたいな脚で、零ちゃんの隣を歩いてみたいよ」
「……そうだな」

でも、もし本当にそんなことが叶うとして、俺は素直に彼女を人間にしてしまうだろうか。脚があれば何処へでも行ける。誰にでも会える。これまでのような狭い浴室より、もっともっと広い世界に出会える。

そうなったとき、彼女は今と同じように俺に擦り寄ってくれるのだろうか。

「零ちゃん? どうしたの?」
「ん、あぁ、別に……」

人間にもしたくない、海にも放してやりたくない。ただこのまま狭い浴室に閉じ込めて、沢山愛してやりたい。べき、の話をすれば、これは最もすべきでない選択だ。

「……俺が大人になったら、もっとデカい……そうだな、プールでも用意してやるよ」
「ぷーる?」
「おう、海よりは小せぇけど、お前ならそれで十分だろ」
「ん〜……海じゃなければどこでもいいよ」

予想外の言葉に、つい首を傾げて彼女を覗き込む。てっきりこんな狭い場所に辟易しているのかと思っていたのに。

「……海は嫌なのか?」
「うん。だって、海は広いけど零ちゃんがいないじゃない。それにこの間凛月と見たんだよ、海にはこーんなでっかいサメがいてさ、ほら、ぐわーっ! って食べに来るんだって」

両手を広げてオーバーアクションをした彼女は、俺の方を見て楽しそうにくすくす笑った。どうやら凛月とサメのB級ホラーでも観たらしい。無邪気な様子に、つられて俺も頬が緩む。

すると不意に、白く細い手が俺の腰あたりを掴み、浴槽の中に引きずり込んだ。思わず体勢を崩し引っ張られるまま浴槽に落ちてしまう。

「っぶね〜な、何……」
「あははっ、零ちゃんなんかすぐサメに食べられちゃうよ。だから海なんて行かない、零ちゃんと一緒にいられるならどんなに狭くっても全然へーきだよ」

制服をびちゃびちゃに濡らして、目の前で楽しげに笑う彼女を見下ろした。俺はこんなに自分勝手に彼女を振り回しているのに、彼女は心底幸せそうに笑うばかりだ。

「……うん、そうだな。俺もお前がいりゃなんでもい〜わ」

そう笑って彼女を撫で、濡れた額に唇を寄せる。彼女はくすぐったそうに笑うと、パタパタと尾ひれの先を振った。

――狭い浴槽でいい。何をすべきかはわかったうえで、それでも今この時に執着している。俺の薄汚い独占欲と寂しさが滲んだ狭い浴槽で、彼女は宝石のようにきらきら光りながら、ただ俺の全てを受け入れてくれるのだ。……あぁ、今はまだ、先のことなんて考えたくない。