放課後、夕暮れの廊下を歩いていると、何処からか微かに歌声が聞こえた。声の主を探して歩き回ってみると、校舎裏の木陰で、女生徒がアコースティックギターを抱えて一人弾き語りをしているのを見つけた。

暫く、彼女の歌声に耳を傾け、声をかけずにいた。声をかけて歌声を失うのが勿体ないというのも無論あったけれど、何より、かける言葉も見つからないほど歌声に夢中になってしまったから。

そうしているうちに、アコースティックギターの柔らかな音色が途絶えた。ふぅ、と小さなため息が聞こえ、すかさず窓から飛び出し女生徒の前に着地する。

「Amazing! 素晴らしい歌声でした、もしや天使さまでいらっしゃいますか?」
「……貴方こそ、まるで翼が生えているみたいね」

彼女はそう言って柔らかく笑う。一瞬、心臓が止まってしまったような錯覚をしてしまう。いやまさか!

にこりと笑って片膝をつき頭を垂れ、彼女と視線を合わせていつも通りを取り戻す。

「いえいえ!私は天使ではありませんよ、あなたの日々樹渉です……☆ 貴女は、音楽科の方ですか?」
「いえ、演劇科の者です。芸術はみんな好きなの、絵を描くのも、歌を歌うのも、本を書くのも、演技をするのも」

彼女はそう言ってギターをポロンと鳴らす。幸せそうに頬をゆるめているのを見る限り、本当に芸術に触れているのが好きらしい。

夕陽が木陰から差し込み、彼女の髪を照らしている。キラキラ光がちらばって、栗色の髪が金色に輝く。目を奪われてしまうようだった。

ほぼ無意識に、彼女の頬に手を添えていた。彼女は大して驚く様子もなく、ただ慈愛に満ちた瞳で私を見つめ返す。

「……本当に人間なんですか?些か信じられません」

馬鹿みたいな問いをする私に、彼女はそっと微笑み私の手に自分の手を重ねる。柔らかく、少し冷たい感触がじわりと手の甲に馴染んだ。

「人間って、何かしら。貴方と私、姿かたちも中身も全然違っているのに、同じ人間ってくくりにいるの、なんだか不思議ですよね。だから、皆が私を人間じゃないと言うのも、当たり前なのかもしれません。誰も、自分を人間だと証明することは出来ないのですから」
「不思議なひとですね。なら、私にとって貴女は天使ということにしましょう!構いませんか?天使さま」

なるだけ明るい声で、この甘い動悸を悟られぬようにそう言うと、彼女は少し寂しそうに笑った。

「……可笑しなひと。ふふ、構いませんよ」
「では天使さま、もう日が暮れてしまいますから、帰りましょう。駅まで送りますよ」
「いえ、大丈夫です。でも貴方は帰ってください、日が暮れてしまう前に」

突き放すような冷たい声に、そっと頬に添えていた手を離す。彼女は一度長いまつ毛を静かに下向かせ、それから花が咲くようにパッと笑顔を浮かべた。

「私、まだ帰れないので。どうぞ、お先に」
「……また会えますか?」
「えぇ、貴方が望むなら」
「では、今日は大人しく引き下がりましょう。また美しい歌声を聞かせてください、天使さま」

名残惜しさを遺して、素直に立ち上がりその場を後にした。数歩歩いてから振り返ると、もうそこに彼女の姿はなかった。