「茨ー、いばら〜!」

 俺がせっせと荷解きをしていると、ベランダのほうから彼女の声がした。溜め息をついて立ち上がりベランダへ出ると、彼女がガキみたいににこにこ笑って俺を見た。

「茨、見て見て、海!」
「引っ越す前にも見ましたよ。いつまではしゃいでるんです?」
「だって海だよ、綺麗でしょ」
「それよりさっさと荷解き済ませてください」

俺が適当にあしらうと、彼女は少し不満げに頬を膨らませた。気にせず中へ戻れば彼女も大人しく着いてくる。

 と言っても、二人の荷物は少ない。ほとんど何もかも置いてきてしまった。どうせ三ヶ月でここは引き払ってしまうのだから、当然と言えば当然かもしれない。

俺は星奏館に部屋を取ったままにしているから、必要最低限の荷物だけを持って、ベッドや家具は新しく調達した。

「そういえば何を持ってきたんです?」
「ん? ん〜……本と花瓶と服?」
「花瓶?」
「うん。いるでしょ?」

彼女はそう言いながら、ダンボールから新聞紙に包まれた花瓶を取り出した。ダンボールの側面に「花瓶」と書かれているのを見る限り、持ってきたのは一つや二つではないらしい。

「自分の吐いた花を飾るつもりですか?」
「え、ダメ?」
「汚いですよ普通に」
「ひどい! 私の吐いたお花枯れないんだよ? ね、ちゃんと綺麗に洗ってから飾るからさ」

 彼女はそう言って床に花瓶を並べる。そういう問題か……と眉を寄せるも、彼女が一向に譲ろうとしないので早々に諦めた。変なところで頑固だから、きっと俺が止めてもケロッとした顔で勝手に実行するんだろう。

「自分は世話しませんからね」
「うん! 任せて」

 やがて荷解きを終える頃には、部屋に夕陽が差し込んでいた。綺麗に整えられた小さな部屋。ベッドと小さな座卓と本棚だけの狭い空間だった。それでも彼女は満足そうに頷いて、俺の隣で笑う。

「狭いね」
「急でしたからね。まあ、狭いくらいで良いでしょう」
「狭いほうがくっついてられるもんね」
「……晩飯、どうします?」
「あ、照れてる」
「照れてない」

ソファもないからベッドの縁に並んで腰掛ける。彼女は何がおかしいのかずっと笑っていた。その白い手を取ると、彼女はするりと指を絡めてきた。

「適当でいいよ。まだお腹すいてないや」
「そうですか」
「茨はお腹すいた?」
「いえ、別に」

 にぎにぎと手を揉みながら、彼女は俺の肩に頭を預ける。きっとはしゃぎ疲れたのだろう。何となく眠たげに溶けた声色だった。

「疲れました?」
「ん……うん」
「ちょっと寝ましょうか」
「え〜、えっち」
「馬鹿ですか」

眼鏡を外してテーブルに置き、部屋の明かりを暗くする。彼女はもそもそとベッドの隅に横たわった。狭い新品のベッドの上で、彼女の肩を抱き寄せて目を閉じる。結局その日は、そのまま翌日の朝まで眠ってしまった。

 翌朝目を覚ますと、彼女はベッドのうえにアセビの花を吐いていた。