「茨、見て!」
「なんですか……」

 ジワジワとやかましい蝉の鳴き声が響くなか、彼女はベランダで楽しげにはしゃぎながら俺を呼びつける。渋々彼女の隣へ行けば、彼女の指さすほうに虹がかかっているのが見えた。

「あぁ、虹ですか」
「あぁってなに? テンション低くない?」
「逆にそこまではしゃぐようなことですか?」
「だって珍しいでしょ。それにほら、よーく見て。二重になってる」

彼女に手を引かれてベランダから身を乗り出す。目を凝らせば、確かにうっすらと二重の虹が見えた。が、だからなんだという感じだ。

「はいはい、珍しいですね」
「茨……可哀想に、人の心がないんだね」
「しばき倒しますよ」

 あんたの病気のほうがよほど珍しい、とは流石に言わなかった。ここに越してきてからというもの、彼女は一切病気について話さなくなった。

それがわざとなのか、はたまた何も考えていないのかはわからない。わからないうちは俺から言及するのも気が引けた。

 彼女はくすくす笑って俺の腕に抱きつく。すると、彼女のほうからぐぅと腹の虫のなる音がした。

「……お腹すいちゃった」
「言わなくても伝わりましたよ、何食べます?」
「素麺!」
「ああ、良いですね。楽ですし」

俺が踵を返して部屋に戻ろうとしたとき、後ろから彼女の嗚咽が聞こえた。振り返ると、彼女がベランダで膝をつき、その小さな口から花を吐き出している。ぼとりと落ちたそれはレンゲの花だった。

 寄り添い背をさすってやると、彼女は口を手の甲で拭って無理に笑った。

「あは、お腹すいてるのに。どっから出てくるんだろうね。……げほっ、う〜……これ何のお花?」
「……蓮華ですよ」
「レンゲ?」
「春の花です。季節外れですね」

ふぅん、と彼女は自分から出てきた花を手に取った。その後いつもどおりその花を綺麗に洗い、色とりどりの花が生けてある花瓶に挿し込んでいた。花瓶はもう三つ目になる。

 それにしてもレンゲとは。「あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ」だなんて皮肉な花言葉だ。俺が一緒にいても彼女の病が治まることはないのに。

……外から聞こえる蝉の鳴き声は、どうしようもなく鬱陶しく思えた。