彼と関わることは元々多かった。それは仲がいいからとかではなく、アイドルとプロデューサーという立場だからだ。でもいつから彼をアイドルとして見なくなったのだろう? 彼の前に立つと自分がプロデューサーという立場も何もかも脱ぎ捨ててしまいたくなるのを感じる。だからわざと避けていた部分は確かにあった。

 でもあるときから彼の視線が気になった。多分一番初めは昼休みのガーデンテラスでのことだ。初夏の日差しの下で同じクラスの友也くんや創くんとお昼ご飯を食べていたとき、ふと視線を逸らすと遠くからこちらを見る朔間先輩の姿を見つけてしまった。朔間先輩は真っ黒な日傘の下、真っ白な腕を晒して突っ立っていたけれど、私と目が合うとすぐに踵を返してふらふらと校舎へ戻って行った。

 ──気のせいかもしれない、と自分の胸を抑える。遠くだったから彼の表情や正確な視線の対象はわからなかった。でもこういうことはそれから何度も続いた。

 軽音部の部室でひなたくんやゆうたくんと話をしているとき、何かの弾みで棺桶の上に座っている朔間先輩の方を見ると、大神先輩と話しているはずなのにこちらを見つめている。あるときは廊下で、またあるときは付き添ったレッスンの最中に、目が合う機会は段々と増えていく。でも「私を見てる」だなんて自惚れはできなかった。視線が絡むたびにびくりと心臓が痛むのがいやで、いつもすぐに目を逸らした。



「……もしかして我輩って怖い?」

 もうすっかり冬も深まったころ──ちょうど年が明けてすぐの、冬休みのさなかだった。夕方の軽音部の部室で、朔間先輩は不意にそんなことを尋ねてきた。

そのときは軽音部の面々は用事で帰ってしまっていて、幸運にもというか不運にもというか、部室には私と朔間先輩しかいなかった。私はせっかくの冬休みでも暇を持て余していたからひとりでギターの練習をしていて、もうそろそろ帰ろうと片付けをしているところだった。

「場合によると思いますけど、どうしてですか?」

私は棺桶の上に座る朔間先輩に背中を向けたままギターをケースに戻しながら聞き返す。

「おぬしがいっつも目を逸らすから。もしかして睨んでると思われとるのかのう?」

どき、と心臓が跳ねる。私はギターをケースに収めたあとも、振り返ることができず手を動かすふりをしていた。

「いっつもって、別に……そんなことないですよ。睨まれてるとも思ってないです」
「いや逸らしとるじゃろ、今もそうなのではないかえ」

ギシ、と棺桶の軋む音がして足音が近づいてくる。ギターの収まったケースに触れていた私の手に、後ろから彼の手が重ねられた。

「気づかなかったとは言わせんぞ」

耳もとで低い声が囁く。私が固まったまま何も言えずにいると、朔間先輩の腕が私のお腹に回されてとうとう抱き締められるような形になってしまった。ずっと平行線のままでいようとしていたのに、とうとう線が重なってしまった。

「…………」

 朔間先輩は少し身体の間に隙間を作ると、私を徐ろに振り返らせる。私は抵抗もせず振り返り、その紅い瞳と正面から向き合う。一度絡めてしまったらもうほどけないとわかっていたからずっと逃げてきたのに。磁石が引き合うような自然さで唇を重ねてしまった。

「……だ、だめだってわかってるくせに、なんでこんなことするんですか」
「さぁ……なんでじゃろうな。嫌だったのかえ」

私がなんて答えるのかを知っているくせに、朔間先輩は穏やかにそう尋ねて私の頬を撫でる。胸が痛いほど苦しくて、それなのにどうしようもなく嬉しくて、彼の手に自分の手を重ねてしまう。

「嫌なわけないでしょ……」
「なら良かった」

 そう言った朔間先輩のくしゃりと不器用な微笑みは、今まで見たどんなものより綺麗で愛おしかった。良くないことだと、言ってしまえば大勢の人への裏切りなのだとわかっていても、一度零してしまった執着と恋慕に蓋をすることはもうできなかった。

 誰もいない部室で身を寄せ合い、両胸で鳴る心臓の音に耳を傾けながら、私たちはずっと黙っていた。

たとえ間違いであったとしても、後悔することになったとしても、隣にこの人さえいれば良い。そんな熱に浮かされた馬鹿な考えを本気で握り締めてしまうくらい、私は彼のことが好きだった。