[零視点]


 きっかけがなんだったのか、自分でもいまいちわからない。最近校内でよく見かけるのう、などとぼんやり考えていた日々の中で、それが偶然ではないことに気づいてしまった。

人混みのなかでも一番に彼女を見つけてしまう。そしてじっと、こちらを見てくれはしないかと期待を込めて見つめてしまう。彼女のいそうな場所や時間を意識して行動してしまう。それが何を意味するかなど残酷なほど明白だ。

 幸いというべきか否か、彼女は「弾き語りができるようになりたい」などと言って軽音部に所属してくれていた。そのお陰で、わんこにギターを習うべく放課後や長期休暇のときも部室に通ってくれている。

そうでなくとも、あんずの嬢ちゃんほどではないにせよ革命にも一枚噛んでいたのだし、数少ないプロデューサーとして接する機会は多かった。

 仮にもプロデューサーという立場の人間に……それも二つも三つも歳が下のいたいけな少女に、易々と手を出してよいものか。恋を自覚した当初は自身にそう言い聞かせ、彼女を見つめるだけに留めていた。

 けれどどうして恋というのは、これほどまでに心を狂わせてしまうのだろう。つまるところ俺は、我慢が出来なかったのだ。重ねてしまった手のひらの柔らかさは今まで触れたどんなものよりも愛おしく、心の奥底にまで深く浸透するようだった。

「いやでも最近名前ちゃんさ〜、俺に話しかけてくれること増えたよね」

 ガチャ、と部室のドアを開けて入って来た薫くんは、どうやら彼女と話しながらここへやって来たらしい。彼女は「お疲れさまです」と皆に挨拶をして、自分のギターケースの近くに腰を下ろした。

「なんじゃい、ふたりでこそこそ話かえ?」
「いえ、ショコラフェスの話なんですけど」

彼女は一切俺と目を合わせようとせず、手もとの資料などを何故か薫くんや晃牙にだけ見せるようにして話を始めた。のそりと棺桶から出て近づくと、ほんの一瞬、彼女の肩がびくりと揺れる。

「……ユニットでの話なら、まずはリーダーの我輩に話を通してくれんかえ」
「ご……ごめんなさい。先に羽風先輩を見かけたので、つい」
「まぁ構わんけども……」

 彼女の瞳は頑なに俺を映さない。その後の軽い打ち合わせでも、他の者とはきちんと顔を見て話すくせに俺の方は絶対に見てくれない。それがたまらなく嫌だった。

「…………よし、じゃあ私はこの辺で失礼します。この後は資料まとめてからも他のユニットのレッスンがあるので、今日部活に参加できないんですけど……すみません」
「待て。少し個人的に相談があるので、すべての予定が終わってからでいいのでまた顔を出してくれんか」
「わ、かりました」
「うむ、頼むぞい」

 彼女は小さく頭を下げて、慌ただしく部室を出て行った。結局滞在中一度も目を合わせてくれなかった。まさかこうも変わってしまうとは……と小さく溜め息をこぼす。

「朔間さん、あの子苦手だっけ? 不機嫌なだけ? どっちでもいいけどあんまり怖がらせるのはよくないよ〜?」
「…………苦手などと、そんなわけがなかろう。しかしそうじゃな、当たりがキツかったかのう?」
「ちょっとね。朔間さんて気迫あるからな〜、真顔になるだけでも女の子からしたら怖いと思うよ」
「……うむ、反省しよう」

 そして夜の七時頃になって、もう自分以外誰もいなくなった部室にようやく彼女が訪れた。立ち上がって彼女を迎え、部室のドアを鍵まで閉める。彼女をドアに追い込むようにして、その手に触れた。

「そんなに露骨に避けられると、流石に……我輩でも傷つく。普段通りにしてほしいというのは無茶な願いかのう」
「ごめんなさい……、や、えっと……避け、たいわけじゃなくて、その……」

距離を詰めると彼女は可哀想なほど真っ赤になって、微かに手を震わせた。その顎を上向かせて無理やり視線を合わせると、彼女は泣きそうに目をうるませて俺を見た。

「っや、見ないで……だめなんです、普通にしようとしても、目が合うだけで好きって気持ちでいっぱいになっちゃって、顔も熱くなるし……こんなの見られたら他の人にバレちゃうと思って、」

 必死に弁明をしようとする彼女の唇を塞ぐ。このままぎゅうっと握りしめてしまいたいほど愛おしかった。彼女の背をドアに押し付け、貪るように、愛を流し込むように何度も唇を重ねる。

「…………我輩も、もっと……大人らしく、余裕っぽく、どんと構えていたいんじゃけど……上手くいかんのう。薫くんにも不機嫌を指摘されてしまったし、バレるのももしかすると時間の問題かもしれぬのう」
「うぅ……」

りんごのように赤くなった彼女の頬を指で撫で、その目蓋にちゅっと唇を寄せる。

「お互い気をつけよう。……目を合わせてくれぬのは寂しいが、こんな顔は間違っても他の者に見せたくないからのう。我輩も不自然にならぬよう肝に銘じておくぞい」
「うん……はい」
「しかし隠すのも、我輩が卒業するまでのほんの一瞬じゃ。あと数ヶ月、何とか隠し通すしかないのう」
「え? 卒業したら、朔間先輩は……」
「ああ、言っておらんかったか? 我輩は一族のこともあるので、卒業したらアイドルは辞める。そうしたら、堂々とおぬしのことを自慢してまわろうかの」

にこ、と笑って彼女の頭を撫でると、彼女は思いもよらず顔を曇らせた。しかしそれ以上は何も言わず、ただ曖昧に「はい」とだけ生返事を残すだけだった。

「……昼のぶん、今、もう少し触れてもいいかや」
「っもう、聞きながら触るのやめてください」
「すまんすまん」

 触れると言っても言葉通り、彼女の腕や、頬や首筋にしか触らない。本音を言えばこのまま襲ってしまいたかったが、それはあまりにも紳士ではないだろう。それにあまり過激なことをして部室に来るたび赤面されてはかなわない。

 何度も優しくキスをしたり慈しむように肌を撫でたりして、胸の欲張りな空洞を満たしていく。こんなじゃれ合いのような幼稚で幸福な瞬間が、いつまでも続けばどんなにいいか。