《Day1:昼》思い出づくり
行先は東京から少し外れたところにある、険しい山間に作られた小さな温泉街に決めた。特にこれといった名所はないが、夜には星がよく見えるし客室には露天風呂もつくというので、ゆったり過ごすには快適だろうとのことだ。知人がそこで宿を開いているというので、有難くその宿に泊まらせてもらうことにした。
「あ、あの……これどこまで行くんです? すごい山道ですけど」
「さぁ、どこまで行っちゃうんじゃろうな〜?」
最寄り(と言っていいかわからないほど遠いが)の液から車で送迎をしてもらっている途中、彼女はちょっと不安になってきたようでひそひそと耳打ちしてきた。車の後部座席にふたりで腰掛け、もう誰も見ていないからと早くも手を繋ぎ、俺は内心かなりはしゃいでいた。
もうすぐ着きますよと運転手に言われ、ほんの十分もしないうちに趣のある宿が数軒現れた。そのうちのひとつの玄関口に停車し、ようやく車から下りる。簡単にチェックインを済ませ、オーナーである知人とも話をし、いよいよ部屋に入る。隣を歩く彼女は心做しか緊張しているようで、しっかり俺の手を握りしめていた。
「……おおう、これは中々広いのう」
「わ……えっ待ってこれめっちゃ高いんじゃないですか!?」
「お友だち価格なので大丈夫じゃよ♪ ってあれ?」
部屋に入り、鍵を閉めてキャリーケースを隅に置く。そして部屋の中にあるデカいベッドを見て首を傾げた。当初、一応念の為にとツインを予約していたはずなのだが。……どうやら恋人と一緒だと言ってしまったので変な気を使われたらしい。
「わ〜すごっ、見て見てお風呂! 露天風呂ですよ、わぁ、景色すご!」
「……ふ、よしよし」
彼女が抑えきれずうきうきし始めたので、つい微笑ましくなり頭を撫でてしまう。すると彼女ははしゃいでいた足を止め、珍しく自分から俺に抱きついてきた。
「……ぎゅってしたいときにできるの嬉しいです」
「う……あんまり可愛いことをされると夜まで待てないんじゃけど〜?」
彼女をぎゅうっと抱き締め返し、顔を擦り寄せる。彼女はくすぐったそうに笑いながら俺を見て、これまた珍しく自分からキスをしてくれた。
「朔間先輩、……大好き」
「…………うん、俺も好き」
なんだかんだ、彼女はずっと自分を律して我慢してくれていたのだろう。他人に関係がバレないように、思いが溢れてしまわないように、しかしこれまで通り振る舞えるように……思えば随分気苦労をかけてしまった。
それに俺が卒業すれば公言しようなどと言っておきながら、結局、卒業後もアイドルを続けることになってしまったのだ。これからも彼女に我慢を強いることになるのだろう。
だからそのぶん、今日は彼女をとことん甘やかしてやりたかった。
「さて。少し辺りを散策でもしようかのう、一応甘味処などもあるらしいので小腹を満たして……」
「待って、やだ、もうちょっとだけこのままがいいです」
彼女が頑なに俺の背中に回した腕をほどこうとしないので、なんだかきゅんと胸が締め付けられ、衝動のまま彼女を持ち上げベッドに押し倒してしまった。
俺はベッドのうえで彼女を抱き締め、そのままじっと動かずにいた。
「あんまり甘えちゃだめってわかってるんですけど、でも」
「だめではないじゃろ。少なくとも我輩は嬉しい」
柔く優しい香りのする髪を撫でながらそう言うと、彼女は嬉しそうに笑って俺の手に擦り寄った。その唇や額や鼻先にたくさんキスを落とす。
「朔間先輩、」
「今だけは零と、下の名前で呼んでくれんかえ。名前」
「え、と……れ、零さん……?」
「さん〜?」
恥ずかしそうにぎこちなく名前を呼ぶ彼女をからかうように笑うと、彼女はくすくす笑ってまた考え直した。
「ええ、呼び捨ては無理ですよ。ん〜……零くん? あっ、零ちゃん?」
「ちゃん……?」
「……あの、お母さんがお父さんのこと、あだ名っぽくちゃんづけで呼ぶの……なんか仲良しでいいなって、先輩が嫌じゃなかったら零ちゃんって呼びたいかもです」
「ほほう、夫婦間でちゃんづけか。なるほど、それなら構わんぞい。つまり我輩と夫婦になりたいということじゃな?」
「うん……」
そういうことじゃない、と笑わせるつもりで言ったのだが、思いもよらず肯定されてしまった。俺がびっくりして彼女を見ると、彼女はハッと我に返ったように口もとを手で隠す。
「あっ違います、うそうそ、嘘です」
「……前々から思っておったが、誤魔化すのが下手じゃのう? いや、構わんぞい。少なくとも今は……この旅行の間だけでも、夫婦のように過ごそうではないか」
「ん……はい」
恥ずかしさと幸福感とが半分半分といったふうな表情で彼女は微笑む。そしてようやく満足したのか身体を離すと、一呼吸おいて一歩下がった。
「えっと、じゃあお散歩しに行きましょうか」
「うむ、そうしよう♪」
「あ、あの……これどこまで行くんです? すごい山道ですけど」
「さぁ、どこまで行っちゃうんじゃろうな〜?」
最寄り(と言っていいかわからないほど遠いが)の液から車で送迎をしてもらっている途中、彼女はちょっと不安になってきたようでひそひそと耳打ちしてきた。車の後部座席にふたりで腰掛け、もう誰も見ていないからと早くも手を繋ぎ、俺は内心かなりはしゃいでいた。
もうすぐ着きますよと運転手に言われ、ほんの十分もしないうちに趣のある宿が数軒現れた。そのうちのひとつの玄関口に停車し、ようやく車から下りる。簡単にチェックインを済ませ、オーナーである知人とも話をし、いよいよ部屋に入る。隣を歩く彼女は心做しか緊張しているようで、しっかり俺の手を握りしめていた。
「……おおう、これは中々広いのう」
「わ……えっ待ってこれめっちゃ高いんじゃないですか!?」
「お友だち価格なので大丈夫じゃよ♪ ってあれ?」
部屋に入り、鍵を閉めてキャリーケースを隅に置く。そして部屋の中にあるデカいベッドを見て首を傾げた。当初、一応念の為にとツインを予約していたはずなのだが。……どうやら恋人と一緒だと言ってしまったので変な気を使われたらしい。
「わ〜すごっ、見て見てお風呂! 露天風呂ですよ、わぁ、景色すご!」
「……ふ、よしよし」
彼女が抑えきれずうきうきし始めたので、つい微笑ましくなり頭を撫でてしまう。すると彼女ははしゃいでいた足を止め、珍しく自分から俺に抱きついてきた。
「……ぎゅってしたいときにできるの嬉しいです」
「う……あんまり可愛いことをされると夜まで待てないんじゃけど〜?」
彼女をぎゅうっと抱き締め返し、顔を擦り寄せる。彼女はくすぐったそうに笑いながら俺を見て、これまた珍しく自分からキスをしてくれた。
「朔間先輩、……大好き」
「…………うん、俺も好き」
なんだかんだ、彼女はずっと自分を律して我慢してくれていたのだろう。他人に関係がバレないように、思いが溢れてしまわないように、しかしこれまで通り振る舞えるように……思えば随分気苦労をかけてしまった。
それに俺が卒業すれば公言しようなどと言っておきながら、結局、卒業後もアイドルを続けることになってしまったのだ。これからも彼女に我慢を強いることになるのだろう。
だからそのぶん、今日は彼女をとことん甘やかしてやりたかった。
「さて。少し辺りを散策でもしようかのう、一応甘味処などもあるらしいので小腹を満たして……」
「待って、やだ、もうちょっとだけこのままがいいです」
彼女が頑なに俺の背中に回した腕をほどこうとしないので、なんだかきゅんと胸が締め付けられ、衝動のまま彼女を持ち上げベッドに押し倒してしまった。
俺はベッドのうえで彼女を抱き締め、そのままじっと動かずにいた。
「あんまり甘えちゃだめってわかってるんですけど、でも」
「だめではないじゃろ。少なくとも我輩は嬉しい」
柔く優しい香りのする髪を撫でながらそう言うと、彼女は嬉しそうに笑って俺の手に擦り寄った。その唇や額や鼻先にたくさんキスを落とす。
「朔間先輩、」
「今だけは零と、下の名前で呼んでくれんかえ。名前」
「え、と……れ、零さん……?」
「さん〜?」
恥ずかしそうにぎこちなく名前を呼ぶ彼女をからかうように笑うと、彼女はくすくす笑ってまた考え直した。
「ええ、呼び捨ては無理ですよ。ん〜……零くん? あっ、零ちゃん?」
「ちゃん……?」
「……あの、お母さんがお父さんのこと、あだ名っぽくちゃんづけで呼ぶの……なんか仲良しでいいなって、先輩が嫌じゃなかったら零ちゃんって呼びたいかもです」
「ほほう、夫婦間でちゃんづけか。なるほど、それなら構わんぞい。つまり我輩と夫婦になりたいということじゃな?」
「うん……」
そういうことじゃない、と笑わせるつもりで言ったのだが、思いもよらず肯定されてしまった。俺がびっくりして彼女を見ると、彼女はハッと我に返ったように口もとを手で隠す。
「あっ違います、うそうそ、嘘です」
「……前々から思っておったが、誤魔化すのが下手じゃのう? いや、構わんぞい。少なくとも今は……この旅行の間だけでも、夫婦のように過ごそうではないか」
「ん……はい」
恥ずかしさと幸福感とが半分半分といったふうな表情で彼女は微笑む。そしてようやく満足したのか身体を離すと、一呼吸おいて一歩下がった。
「えっと、じゃあお散歩しに行きましょうか」
「うむ、そうしよう♪」