──彼の凛々しい声が、繰り返し私を呼ぶ。感情豊かに繕われた彼の一挙一動は、まさしく芸術作品のようだ。叶うことなら、私の紡ぐ世界で、文字で、彼を輝かせたい。私の世界を知ってほしい。私のすべてになってほしい。

「……日々樹さん」

中庭で眠っていると、彼は心配そうに顔を曇らせ、私を揺さぶり起こした。今は……もう夜遅いのだろう、校舎の明かりも消えて、辺りは真っ暗になっている。

「どうして、貴女はいつも、普通でないところにいるのでしょう」
「……普通って、何かしら。わからないの、ごめんなさい、理解出来ないの、私には」

寝惚けた頭が馬鹿になる。いつも言葉を選んで、心は濾過されて外界へ放たれる。なのに今は濾紙が破れて、ぼたぼたと無様に心から溢れ出していくようだ。

「理解出来たとて、交わることはできない。でも、私が……私のせいで、皆が醜い感情を抱いて、苦しんでいるなら……私がいなくなるだけで、皆が幸せになるのなら……私は悪者でいるべきなのかもしれない。それならいっそ台本を書いて、完璧に演じてみせるわ。でも、でも……」

冷たいベンチに寝そべったまま、涙が溢れて耳を濡らした。視界に入る星々と、夜闇に輝くような白銀の美しい髪が、眩く私の目を突き刺す。手を伸ばし、彼の髪をひと束掬う。

「貴方が私を天使だって言うから。私を暴こうとするから……私を見ていてくれるから、台本も書けないし、仮面だって割ってしまうの」

ぐちゃぐちゃにされた教科書も、水浸しにされた制服も、花瓶を置かれた机も、画鋲の入れられた上履きも。

私を引きずり落とすには矮小すぎた。否、目の前の彼の言葉の前では、私の翼を軽く引っ張る程度にしかなり得ないのだ。

彼の手が、力強く私の手を掴む。彼に触れられているところだけは、確かに呼吸をしていると感じられた。

彼に触れられていない全身は、まるで土に埋もれているみたいに無力だった。彼の真っ直ぐな眼差しは、無力な私の視線を奪い去って、意識さえも絡め取り、土を取り払う。

「敢えて言いましょう。……名字名前、貴女は人間です。私と同じ、ただの人間です。ただ、私たちには翼があります……才能と呼ばれる翼が。それは周囲の人間を照らしますが、同時に、手に入らないと失望もさせます。それは、最早変えようのない事実です」

静かに真剣な表情をする彼は、初めて見た。……聞いたことがある。彼が私の入学する前、五奇人と呼ばれ悪人に仕立て上げられていたこと、現在とはメンバーの異なるfineというユニットによって処刑されたこと……正直、よく出来た台本だと思った。

「ですが、だからといって、身を任せて我慢しなさいとは言いません。貴女の羽を捥ぐような真似もしたくない。させるつもりもない。……私の天使さま。私は貴女に地獄など見せたくないのです」

彼の手は、握っていた私の手を自身の頬に当てさせる。ひた、と、手のひらに人の体温が伝わる。

あ、生きている。触れ合った肌が、確かに組織で出来ていて、下には血が通っている。そんな不思議な感覚が、優しく私に熱をもたらした。

「演劇科を捨ててください。私の為に」
「……演劇科を……?」

真意を確かめるように言葉を繰り返すと、彼は苦しげに笑って頷いた。身を削るような表情に、胸が締め付けられる。

「プロデュース科に、転科してください。演劇は、私のいる演劇部で続けましょう。……脚本も、執筆も、音楽に関することも学べます。何より、私が貴女を護れる。だからどうか、私を選んで」

縋るように、でも少し諦めてしまうように、彼は長いまつ毛を伏せる。頬に添えた手の、親指の腹でそっと滑らかな頬を撫でた。

上半身を起こして、彼の顔を引き寄せ唇を奪う。柔い感触が唇に触れると、ようやく、真っ当に呼吸ができたような心地がした。

世界が色づいて、彼の美しいアメジストが視界いっぱいに映り込む。

「……私を天使たらしめるのは、後にも先にも、日々樹さん。貴方だけですよ」
「そうですね。そうあってほしいです。……今更言葉にするのは野暮だとわかっていますが、これだけ言わせてください」

ごくんと、彼の喉仏が上下する。囁くように、彼の声帯が震え、空気を揺らして、私の鼓膜に届く。

「愛しています、名前」

言葉を返す前に、今度は彼から唇を塞がれる。心臓も頭も心も、全てが彼に魅了されて、時間を忘れてしまった。唇が離れると、彼は幸せそうに微笑み私を見つめる。

「……好きです、愛してます。私の、神さま」

私に天使を冠する貴方は、きっと私の神さま。貴方の望む限り、傍で聖歌を歌いましょう。

そうして天上の楽園でふたりきり、気が狂うまで舞台を続けられたなら、きっとそれだけが私たちの幸せなんだ。