ガヤガヤと騒がしい店内の一室、そこから聞こえる嗚咽混じりの声が周りの視線を集めていた。
「だからっ…グスッ…だから、あのっ、ときはですねっ……」
「うんうん、分かった。とりあえず怜、もうお酒はその辺で止めよう。ね?」
私はそう声を掛けて、怜の右手にギッチリと握られていたジョッキグラスを奪い取った。
そして、これ以上飲まないようにと、手の届かないところまで遠ざける。代わりに、先ほど店員が持ってきてくれた、水の入ったグラスを目の前にそっと添えてあげた。
とりあえずこれで大丈夫かなとホッと息をついたところで、彼の隣に座っていた赤毛の男性が、心配そうな面持ちで怜に声をかけていた。
「おい、怜、大丈夫かよ?」
「り"ん"さんっ、僕はっ、いつでもパーフェクトですぅうう」
「うわ、これ酔ってるな……」
と、“凛さん”と呼ばれた男性が、あからさまに面倒そうな顔をしながらも、座布団に丸まって泣きじゃくる怜の背中をさすっていた。
すっかり迷惑を掛けてしまって申し訳なく思っていると、「大丈夫、大丈夫」と言って、向かいに座っていた優しそうな男性が、困ったような顔をしながら私に笑いかけていた。
場所はとある居酒屋で。
そこの大きくもない机を囲みながら、設立当時の岩鳶高校水泳部のメンバーなどを揃えて、小さな同窓会が開かれていた。
なぜ、部外者の私もそれに参加しているのかというと、今日が12月14日で、私の彼氏でもある竜ヶ崎怜の二十歳の誕生日だからである。
事の発端は数日前に遡る。
現在、怜の彼女である私は、誕生日は当然のように一緒に過ごすものだと思っていた。だけど、その日は先の予定があると言われてしまい、彼女は後回しかと小さな痴話喧嘩を勃発させてしまうのだった。結果、仲直りできたし、今となっては馬鹿馬鹿しい話なのだけれども。
結局、怜はどちらかに絞ることはできなかったようで、私を連れて参加することに決めたらしい。私がそれを知らされたのが、昨夜遅くのことだった。
知らない面々に会うことに戸惑いながらも、すでに喧嘩をしてしまった手前、私は仕方なく了承してしまったというわけだ。
私は重い足取りで、怜はいつもと変わらぬ様子で、予約しているという店へ一緒に向かった。
微妙な気持ちと居心地の悪さは一瞬だけで、簡単すぎる自己紹介を終えれば、私もすぐに場に溶け込むことが出来ていた。
とりあえずの乾杯の音頭から、お互いの自己紹介も交えた談笑を開始する。どうやら、私が来ることも自前に知らせてくれていたらしく、怜に“渚くん”と呼ばれていた男性は「怜の彼女」に興味津々だったようで、ウェルカムモード全開で私のことを歓迎をしてくれた。
そのあとは案の定、根掘り葉掘りの質問攻めである。
「それで、それで?その時は怜ちゃん、どうしたの?璃黛ちゃんはなんて言ったの?」
「私も気になります!!」
「あ、え…と」
「こら、渚!あと江ちゃんも!そんなに聞かれたら、一橋さんが困るでしょ」
と、助け船を出してくれたのが、当時は部長を務めていたという“真琴先輩”である。その隣に愛想なく座るのが“遙先輩”で、怜曰く、泳ぎがとても美しくて鯖が好きすぎらしい。
そして三人と、怜に“凛さん”と呼ばれていた赤毛の男性は、小学校時代からの幼馴染でもあるらしい。
部の同窓会と聞いて男性ばかりと思っていたが、当時のマネージャーだったという、可愛らしい女の子も参加していた。頑なに“こう”というその子は、凛さんの妹だそうで。言われてみれば、綺麗な顔立ちがどことなく似ているなと思った。
それと、水泳部という共通点はあるけれども、凛さんはみんなとは違う高校だそうで。だけど、そんなことは関係なしに、怜はよくお世話なったと言っていた。
圧倒されるような歓迎ムードにも馴染んできたところで、サプライズの誕生日ケーキも運ばれてきた。驚きの表情の怜に、口々に「おめでとう」と祝福の言葉を投げ掛ければ、周りもそれに便乗し始めて、場の空気は最高潮に達していた。
そこから更にお酒の進みも加速して、思い出話にも花が咲き始めたと思った頃、怜の様子が一変した。様子がおかしいと思った時には手遅れで、怜は涙ぐむのを通り越して大号泣し始めたのである。
「だがら、あの時あるがぜんぱいがあああ」
と、当時の何を思い出したのか、怜は号泣しながら呂律の回らない口で、遙先輩へと矛先を向ける。無口であろう彼も、怜の勢いに圧倒されてしまい、「お、おう……」とタジタジの返事を返していた。
まさか怜が泣き上戸だったとは。
とりあえず、落ち着かせようと声を掛けたところで、逆に神経を逆撫でてしまうらしい。結果、更に悪化させてしまい、周りのお客さんの視線までも集めまくるという状態になってしまっている。
怜の新たな一面に遭遇して困惑している中、渚くんだけは、爆笑をしながらスマートフォンでムービーを撮っていた。現場は相当なカオスである。
どうしようかと全員で頭を悩ませていたところ、怜の手に固く握られていたグラスジョッキが、ゆっくりと口元へと運ばれていく。
「…っあ、ちょ、ストーップ!!」
と、それをいち早く見つけた真琴が待ったをかけ、璃黛がお酒を取り上げて水を置き、凛が怜の背中をさすって宥めるというところまでが、今までに起こった一連の流れであった。
とりあえず、落ち着きを取り戻しつつある怜を見て、私はホッと胸をなで下ろす。まさか泣き上戸だったとは露知らず、次回から飲酒量の注意が必要だなと思ったところで隣の二人をチラリと見遣る。
凛さんと呼ばれていた男性は、面倒そうにため息を吐きながらも怜の話を聞きつつ、未だに背中をさすってくれていた。迷惑を掛けている詫びを入れようと私が言葉を発する寸前、真琴先輩と呼ばれていた彼に、困ったような笑顔で「大丈夫、大丈夫。」と呼び止められたのである。
「一橋さん、平気だよ。」
「え、でも…」
「任せてて大丈夫だよ。意外そうだけど、凛は昔っから面倒見はいいから」
と、その困ったような笑顔のまま、凛と呼ばれる彼の方へと顔を向けていた。
一緒になって視線を向けると、真琴が「ね?」と一言だけ、凛に同意を得るようにして聞き返す。話の種である凛は、酔いで頬を紅潮させながら「うっせーな」とは言うものの、思うところがあるのか少しだけ照れたような顔をしていた。
見た目も含めた印象、色々と正反対なんだと思っていたが、二人は随分と気心が知れた仲らしい。今も背中をさすられている怜を見て、彼の過ごしてきた環境に安心すると同時に、私は少しだけ羨ましいような気持ちになった。
少し経って落ち着いた頃、今日の集まりはお開きになった。
別れ際、私に対して当たり前のように「またね」と言ってくれる面々に、私も同じように「またね」と言葉を返した。嫌な気持ちには一つもならず、また会いたいと思った本音から、自然とそう言葉に出ていた。
なびく夜風が火照った体を冷ましていく。だけどそれも一瞬で、次には曝け出された肌に冬の寒さをヒシヒシと感じた。
時間はすでに深夜を迎えていて、昼の賑わいとは一変し、街はシンと静まり返っている。そんな道を、怜と並んで帰路に着く。フラフラする彼の手を引きながら歩いていると、静かだった怜が「璃黛さん」と唐突に口を開いた。
「ん?」
「……なんか、情けない姿を晒してしまって……すみません……」
「はは、まさか泣き上戸だとは思わなかったよー」
と、私が冗談めかしでそう言えば、怜はいたたまれないのか、恥ずかしさを隠すようにして言葉を濁していた。
「あ…と、その……本当にすみません。久しぶりの再会で羽目を外してしまったようで……」
「うん。私は平気だけど、みんなには改めてお礼言っとかないとね。特に凛さん」
「そうですね。……からかわれそうですが」
「そこは腹括って。あと、今日は私も連れてってくれてありがとう。良い人たちばっかりだったし、私の知らない怜の話も聞けたりして楽しかった。」
「それは…良かったです」
「あと、今日だからじゃないけど、怜に出会えて良かったなぁって思った。みんなと怜が出会ってなかったら、もしかしたら私とも出会ってなかったかもしれないし…ね。だから怜、生まれてきてくれてありがとう、大好きだよ」
酒の勢いも手助けして、いつもは言えない率直な気持ちを彼に伝えた。
照れとか恥ずかしさは全くない。
今あるのは、怜のことを想う、言いようのない気持ちだけだった。
「……っ、ちょっと、それっ……反則じゃ、ない、ですか……」
そう聞こえた声に、頭一つ高い彼の顔をチラリと覗き見れば、また泣き出していた怜に苦笑いを零す。
そんな泣き虫な彼の手をギュッと握り、「怜って意外と涙もろいよね」と笑って、私は静かにハンカチを手渡した。
日常の狭間
2014.12.14
2016.03.11了
泣き虫にハンカチ