「しっつれ〜いしまぁす!」

そう大声で言い放ったのと、戸が勢いよく開いたのでは、はたしてどちらが先だったろうか。はて、と音に背を向け思う。
ノックはなかった。建て付けの悪い戸を力任せにガラガラ鳴らせ、元気に入室の声を張りあげ、さも当たり前のように同じ空間へと足を踏み込んだ。相手は先生か、はたまた生徒か。そんなもの、馴れ馴れしい我が物顔の雰囲気から察するに、十中八九で後者だろう。
さてさて今日は何用かと、床を蹴やって回転椅子ごとくるりと回る。ギギィと椅子が、重いと鳴いた。

「また来たんですか、御子柴くん」

と、璃黛は呆れたような目を向けた。
保健室と廊下とを隔てる引き戸を後ろ手で閉めやり、彼はえへへと笑っていた。彼が隔離したことで、閉ざした白の部屋に鮮やかなオレンジ色が不適に映える。
まったく、いつも何をしに来るんだか…なんて思いつつ、職業柄、見える範囲を目視する。頭、顔、首、腕、肘、脚、足首と、おおざっぱに見ても目立ったものはない様子。

「どこも怪我してないじゃん?」

と、聞いてはみたが、外傷じゃないのかとふと思う。もしや具合でも悪かったかと思ったところ、何気なく目に付いた彼の表情は、健康そのもののようだった。加えて「だって今日はさぼりだもん」の追加の言葉。
なるほど、でしょうね。
ここは健康を保つ場だということを忘れているのだろうか…と懸念するほどに、目先の彼はにこやかに笑っている。自然な流れで「ここ座ってもいい?」なんて、隣角に座ってにこにこしている。となると、教室に戻る気はないということか。まぁいいか、どうせ言っても戻ってくれないだろうし、と教師らしからぬ気持ちが脳を掠める。
理想の像と、現実の私。そりゃあ「教室に戻って勉学に励みなさい」とは言いたいけれど、当の私は「頻度によっては私が首切られるのよ」と、冗談が言えちゃうお気楽者。それが居座る原因になるのに、私はとんだ甘ちゃんだな。
ふうと溜めた息を吐き出し、なんで好かれたんだろうと少しばかり頭が痛くなった。

「……綿球でもつくる?」

肘置きに頬杖ついて、暇ならやっての意を込め問うた。と、少しの間のあと、なぜかやれやれと私が呆れられ、「璃黛先生はいつも俺に作らせる」と、彼は一人ごちた。なのに、手元には医療手袋と脱脂綿。私の目の前にあったはずの備品が、彼の前へと移動している。

なんだこいつ、ツンデレだったか。
胸の奥のむずむずを隠すように、「御子柴くんのは使いやすい」と彼をおだてて、誤魔化すように少し笑った。
黙々と手を動かす百太郎を横目に、璃黛は備品の整理をする。たまーに百太郎の様子を伺いながら談笑し、ふと、そういえば、この子は水泳部に入部したんだっけと、つい先日のことを思い出した。

「そういえば御子柴くん、水泳部に入ったらしいじゃん」
「な、なんで璃黛先生が知ってるんすか{emj_ip_0793} もしかして俺って、すでに鮫柄高校の有名人…{emj_ip_0793}」
「いや、違うと思うけど」
「えー」
「私は水泳部の顧問に聞いたのよ」

そう言えば、彼は少し間を置いてから、ああ、なるほどという顔をした。
あーあ、モテモテライフが始まると思ったのになーなんて言ってるけど、その口ぶりからして、ここが男子校ってことを忘れてると思う。

「男子にモテてどーすんのよ」
「あ、たしかに!」
「ばかね〜」
「わざとだし! てか、なんで璃黛先生って顧問と仲良いの?」
「なんでって…普通じゃない? しいて言うなら、私、名ばかりの副顧問と、水泳部のスポーツドクターも兼任してるから」
「へー…それは知らなかった」
「まぁ、常時いるわけじゃないしね」
「ふーん…そっか」

と、後半は、なぜか素っ気ない返事が返ってきた。
なんだと彼の表情を盗み見てみると、なんとなく、つまらなそうな顔をしている。何か失言してしまったかと、自分の言動を振り返るも、特に身に覚えがない。
百太郎のふて腐れるような面持ちを見やり、なんだか、既視感のある雰囲気にピンときた。この子、一丁前に嫉妬でもしてるのか、と。

「なに、御子柴くん、拗ねてんの?」
「……べっつにー」
「仲良いって指導者同士の範囲内だから。まったく、いつまでもそんな顔してないの〜」

ふざけた口調と、持ってたバインダーとを使い、軽く2回、百太郎の頭を叩いた。
からかうつもりで口を開いたのに、相手にされず、応えは変わらず素っ気ない。見てわかる態度に、あー、こいつかわいいな、なんて口元が緩む。私がもう少し若かったら、高校生もありだったかなとか、少しだけ思ってしまった。思っただけ、ね。
話題を変えようと、「あ、そういえば!」と、声のトーンを変えて違う話しを振る。

「来週の部活、個人メニュー作るのに練習してるとこ見に行くから、真面目でかっこいいとこ見せてよ」

なんて、喜びそうな言葉で仰げば、百太郎は嬉しそうに目を輝かせていた。
任せてください、頑張りますと、すでに張り切っている。ああ、なんてちょろいんだろう。言葉に包んで誤魔化すなんて、ずるい大人がすることだ。なんて思いながら、こんな子が弟だったら可愛かったのになぁ〜と、ずるい私はまた偽った。
浮遊した気持ちのついでとばかりに、百太郎の頭を優しく撫で、その照れる顔に満たされた。

2016.02.27
悪いオトナ


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