先月のいつ頃だったか。彼、ハイマンス・ブレダは、己の上司と仲間と共に中央司令部勤務となった。
中央司令部といえば、キング・ブラッドレイ大総統が自ら統治している、国軍の本拠地である。その国のトップと同じ敷居を己の足で跨ぐのだ。それは誰もが憧れる定石と言えよう。普通に考えれば、喜ばしいことである。
出世街道への軌道に乗って浮かれる輩が多い中、彼は疲労困憊していた。慣れない都会暮らしからくる疲れだろうと高を括ったが、そんな生易しいものではないようだ。
疲弊した体に癒しを求めるように、ブレダは通り沿いにあるカフェに立ち寄った。手早く肉入りサンドイッチを注文し、レジに紙幣を雑に一言、「テイクアウトで」と短く添えた。
受け取った紙袋がずしりと重い。そう感じるのは、サンドイッチの中身の肉が、ぎっしりと詰まっているからだけではないのだろう。鉛をおぶってるかのような自身の重さに、ブレダはそんなことを思った。
ここ何日かは幾多の予定に秒刻みで追われ、家に帰る暇さえも惜しかった。
ブレダはいま、表向きは軍に忠誠を誓う真面目な兵を装いつつ、裏では反逆行為ともとれる行動を水面下で実行している。そして先ほど、その1つから解放されてセントラルに戻ってきたばかりである。
数日前、リゼンブールから更に奥、知られざる田舎の秘境地で仲間数人と待ち合わせた。次いで、足が付かないようにとブローカーを雇い、クセルクセス遺跡を目指しての砂漠越え。極め付けに、他国の法にもこそっと触れ、とある人物を隣国に密入させる肩入れをしてきたばかりである。
両国にバレれば、セーフなどかすりもしないで堂々のアウトである。即、首切りは免れないだろう。もしかしたら、と考えるだけで頭が重くなる話しだと、溜息を一つ零した。
とりあえず明日、知り得た情報の共有に行かねばなるまいと、しばらく振りに上司の顔を思い出す。
そういえば、彼の優秀な副官伝いに、入院をしたとの報告を受けている。命に別状はないらしいが、あの人のことだ。おおかた、無茶でもしたのだろう。のこのこと現場に出て、後に副官にどやされたであろう姿が目に浮かぶ。この先、ますます危険な橋を渡るのだから、自己の有意性については、しっかりと理解して欲しいところだ。…なんて、多分あの人には通用しないとは思うが。
何はさておき、病人にはしっかりと療養してもらいたい。狙われてる心配があるにせよ、周りの方が過敏になってる時くらい、ゆっくり休んで欲しいと思う。いざという時に使えなければ、野望はおろか、積み上げた徒労さえおじゃんになってしまうのだから。
切羽つまった状況に、やれやれと肩をすくめて天を仰ぐ。拭えない人手不足に対し、やることはまだまだ多すぎる。自分ができる範囲は、そう多くない。
まったく、大佐もあと少しだけでいいから、信用できる手駒を増やしておいて欲しかっただなんて、一人ごちた。
「……ゴタゴタ悩むのは性に合わねーなー」
いま自分にできることといえば、さっさと飯を食って寝てしまうこと。そして、また忙しくなるだろう明日に備え、心身ともに回復しておくことだ。
そう思うが早いか、少しでも時間の短縮にと抱える紙袋に手を伸ばす。ガサガサと音を鳴らして探り当てたものを、食いちぎるようにひとくち、勢いよく頬張った。程よい塩気が、そのまま身体に染みていくようだ。うん、うまい。サンドイッチと称するにはもったいないほど、具はぎっしりと詰まっていて食べ応えも充分。立地も悪くなかった。しばらく、贔屓にしようか。
もぐもぐと口を動かすのに専念し、歩みを止めずに向かった足は、気付けばアパートメントの借間の前。鍵はどこだったかと鞄の中を不器用に漁り、食べかけのファストフードを咥えながら鍵を開けた。
一人暮らしの誰もいない暗い部屋。久しぶりに帰宅した我が孤城。
手探りで明かりを灯し、咥えたものから具が滑り落ちる前にと靴を脱ぐ。もぐもぐと食べるのを再開し、なんとなく、明かりがついた部屋に目を向けた。
――――ん?
人がいる。しかも、女の子。部屋の真ん中あたりに、堂々と。しかも、めちゃくちゃこっち見てる。
互いに見つめ合った時間は、およそどれくらいだっただろう。数分か、はたまた数時間か。実際は、ほんの数秒程度のことだったかもしれない。それは、いやに長く感じた。蛇に睨まれた蛙のごとく、動けずにいたからだろうか。
そんな中、咥えていたパンだけが時間を取り戻したかのように、ボトリと音を立てて、床に落ちた。
「あ…え、と……もしかして、私のこと見えてます?」
と、その子は言った。
問われたことに、思わずコクリと首を縦に頷いた。その様子を眺めて、彼女は少しだけ困ったような顔で、にへらと笑った。
頷いたものの、先ほどの彼女の発言には少しの違和感を覚える。
見えてるかと問われたが、普通は、自分のことを「見えてるか」ではなく、「見ているか」と訊くだろう。おかしなヤツだ。誰もいないと思って居れば、そりゃ誰だって見るだろう。そこまで思ったところで、もしや部屋を間違えたかという疑惑に至る。
視線でぐるりと部屋を一周。見慣れた家具はいつもの配置だし、雰囲気が違うとか、妙な違和感とかも全くない。それに、ちゃんと鍵が掛かっていたのだ。ここは正真正銘、自分の借間である。
ああ、良かったと安堵したのも束の間、こんな年端もいかない女の子が、なぜ自分の部屋にいるのか。それに、鍵も閉まっていたというのに、どうやって部屋に入ったのだろうとつぎの疑問に直面した。
彼女は、空き巣や強盗の類なのだろうか。見たところ、悪そうな子には見えないし、彼女の雰囲気からは育ちの良ささえ窺える。それとも、彼女は単なる囮で、他の仲間が悪事を働く算段なのか。……と、ここまで考えたところでハッとした。
もしかしたら、上司絡みの新手かもしれないという可能性。先に得た情報で、ホムンクルスのエンヴィーとかいうやつが、化けるのに特化しているという。
そう思った瞬間、どっと汗が吹き出した。最悪だ、油断したと、自身のジャケットの下に隠れるホルスターに意識を向ける。目の前の少女が動いてから、銃で対応するまでを脳で再現し終えそうなとき、
「お兄さん、銃なんて持ってるんですか?」
と、その声はやたら近くで聞こえた。
それもそのはずで、目の前にいたはずの少女は、いつの間にかブレダの背後にまわって、ホルスターに収まる銃を眺めていた。すかさず反応して距離をとったものの、彼女がいつ動いたのかが全く分からず、苦虫を噛む。彼女の、人間離れした身のこなしに苛ついた。
クソ、わっけ分かんねぇ、ほんと、
「お前、なんなんだよ…!!」
焦りと怒りを言葉でぶつけた。
すると、彼女はそれを問いと受け取ったのか、なんだと言われても困るなぁ、と考える素振りをし始めた。うーん、うーん、と口に出して唸る様は、少しだけ癪にさわる。大人げないのは充分承知だ。
しばらくすると、唸っていた声が止んだ。見ると、然も閃いたというような顔をしている。かと思えば、お互いに距離を取っていたはずなのに、彼女はすでにブレダの目の前に来ていた。そして言う。
「分かった、幽霊!」
少女は、あけからんと答えた。思いもよらぬ言承けに、しばし、場の空気が固まったような感じがした。
はは、冗談きついわー…とは思うものの、気持ちに反して、心臓の脈を打つ速度が速くなる。彼女を直視できなくなった。いやいや、ないない。ありえない。それは分かってる。分かってることなのに、なぜか、冷や汗までもが滲んできた。
おいおい、マジでやめてくれよ。こう見えて俺は怖がりなんだ。冗談抜きで、すげービビりなんだよ。霊とか不確かなものは、犬の次くらいに苦手なんだよ。本当、からかうのも大概にしてほしい。
そう、そこまで思ったところだった。
「あっ、見て! 念じたら透けた!!」
見てみて〜と、年相応に楽しむような声が耳まで届く。
いくら無垢を装っても、そんな誘いには騙されるものかと思った。なぜなら、霊などという非科学的なものは、生まれて此のかた見たことがない。霊感なんて皆無だと信じている。しかし、怖いものは怖いというのもまた事実。
正直、彼女の発言に対しては、恐怖と興味の半々だった。
「……んなの、あるわけねーだろ」
と、少しの葛藤の末、はしゃぐ彼女に目を向けた。恐怖に興味が勝ったのだ。だが直後、ブレダは自身を呪うこととなる。
なぜなら、彼女は本当に透けていたのだから。
なんで見たんだと後悔した途端、頭が真っ白になった。しばしの沈黙のあと、ははは、と乾いた笑いが勝手に漏れる。
そういえば、ここ最近は毎日のように忙しかった。加えて、神経を尖らせすぎたんだ。全ては幻覚、全ては幻。人は透けない、大丈夫。女の子も見ていない。きっと、目を開ければ、いつもの部屋に安心するんだ。うん、間違いない。俺は疲れてたんだ、そうだ、早く休んでしまおう。
そう、穏やかな気持ちのまま、先の像を消し去るように頭を左右に振った。そして、再度、目を開けた。……後悔した。目の前には女の子がいた。透けていた。おまけに、にゃははと悪戯顔で笑んでいる。
ああ、こいつは幽霊なのだと認識し、俺は恐怖のあまりに失神した。そして、薄れゆく意識の中、幽霊のくせに足あるじゃんかと見当違いなことを思っていた。
2018.03.08
1日目