人間以外のものに生まれて居たらと時々思うことがある。
人間は面倒だ。ただ、生きるわけにはいかない。
生きるためには何か目的を掲げて、それを達成するため目標に向かって生きていかねばならない。そして、その中で強いられる集団生活で、発狂寸前の人間関係に悩むようにして日々を過ごしていかねばならない。
少しでもそこから外れようものなら、変わり者として扱われて村八分にされてしまう。そうならないように、無意味に愛想を振りまいて、周りに気に入られた者だけが皆に愛されるのだ。
無条件な愛なんてこの世に存在しない。そんなことは分かりきっていたつもりで居たんだ。
「……ただの人になってからもう2年、か。」
水面に映る自分へ向かって、そうポツリと呟いた。
誰のお婆ちゃんから聞いた話しだったのかなんて今となってはもう思い出せないけれど、「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」という言葉が、今になって重く重く私の心にのしかかる。
天才でなくていい。只々、愛される凡人で有りたかっただけ。
そんな気持ちは誰も知らない、私しか知らなくていい。
心中を渦巻く不安感を取っ払うように、自然と口に出した「大丈夫だよ、」なんて言葉は湯気と共に小さくなって消えてしまった。泣きそうになるのを寸でのところで我慢して、私は水面に映る偽りの自分に口付けるように目の前の無音の世界へと逃げ込んだ。
「……おい、逆上せるぞ。」
しばらくして、私に向かって声をかける人影が一つ現れた。
余計なお世話と黙ってその場をやり過ごす気でいれば、扉一枚向こうの人物の手によって、何の前触れもなく風呂場の扉が勢いよく開け放たれた。
「女の風呂を覗くなんて、いい趣味してるね。」
「……また、倒れてるかと思った。」
「……大丈夫だよ。心配かけてごめんね、遙。」
そう素直に謝れば、「もう上がれ」と言う声と共に、私に向かって彼の右手が差し出された。私はそれに素直に従い、彼の好意を受け取るようにして立ち上がる。そして、そのまま水面の自分との別れを惜しむことなく、私は浴槽を後にした。
ひたひたと垂れる水滴を見送りながら、されるがままに私はその場に立ち尽くしていた。
「どうかした?」
「……いや、なんでもない。」
ふと、視線を感じて私は彼に声をかけた。
なんでもないと言った彼の瞳の先を追うように辿れば、向けられている視線は私の顔より少し下。
私の視線が同じところを向いていることに気づいたらしい遙は、慌てることなく、私の身体から目を背けるようにして視線を外した。そして、何事もなかったかのように、私の頭には隠すように拭かれていたタオルが乗せられる。
拭かれて揺れる頭をそのままに、私はタオルの隙間から顔を覗かせながら、遙の表情を伺うようにして口を開いた。
「遙、やりたくなったの?」
「……そうじゃない。」
そう彼に言われて、私は面白くないと言わんばかりに「あ、そう。」と冷たく返した。
機嫌を損ねたわけでもないのに、私が不機嫌な顔をすれば、そうされることを嫌う遙は途端に動きがぎこちなくなる。
「もういいよ。」
そう一言だけ遙に告げ、私は頭に乗せられていた手を払い除けた。まるで私に踊らされているような遙の態度に、少しだけ心が満足して、まだ濡れている身体もそのままに私は奥の部屋へと向かった。
遙の行動を見ていれば自分が愛されていることはよく分かる。それと同時に、愛されれば愛されるほど愛されていないと思ってしまうのだ。
きっと、遙もそれに気づいている。
何が悪いかなんて私も彼も百も承知、この言い表しようのない関係が全ての原因だとは分かっている。それでも変えることができないのは、私が今もずっと、昔の記憶に囚われているからだろう。
2014.10.19
修正 2016.07.22
愛して愛してるなんて言わないから