イベントの当日、ライブに参加する生徒は自身の準備等に追われていた。また、参加しない生徒も特設会場へと足を運んでいる最中であった。
教室棟はもちろんのこと、特別棟さえ無人の状態。
賑やかしい音は、少し離れたところにある野外ステージから、換気にと開け放たれた廊下の窓を伝って聴こえてくるのみ。よって、閉め切られた教室の中では、騒つきはわずかにしか伝わらない。そこが防音室であれば尚更である。
軽音部の部室として使われている音楽室は、まさにそれであった。
そこには、部屋に似つかわしくない黒塗りの棺桶がひとつ。異彩を放つその中からは、布擦れの音と、欲をかき立てるような小さな吐息が漏れていた。
それらから連想するのはご想像の通り、といったところ。今日、この部屋に立ち入る者がないのが幸いである。
何も見えない真っ暗で狭く、お互いの存在しか分からないようなそこで、二人の男女は密着していた。
「〜〜〜〜ふ、ぅ…んッ……っ!」
くちゅり。
くぐもるような声の合間に、子宮が疼くような水音が鳴る。
どのくらいこうしていたのだろう。恋人たちが親睦を深めるような軽いキスは、いつしか男女を求めるようなねっとりとしたものへと変わっていた。
じゅるりと音を立てて唾液ごと吸われた舌に興奮し、息が荒くなる。ふわふわとした心地のなか、感じる空気が熱くて、身体はじっとりと汗をかき始めていた。
狭い空間で、粘っこいものを混ぜあわせたような音が直接的に響いてくる。酸素が少なくて息苦しい。だけど、なんだかきもちがいい。詰まっていない脳みそがとろとろにとろけてしまいそうだった。
自分が何をしにきたのか。欲まみれの熱に浮かされ、もう何もかもどうでも良いとまで思い始めた頃、ぴったりと触れ合っていた粘膜同士がはなれてゆく。
……ん?どうしたんだろう? なんて思っていると、突如として眩い光が差し込み、その光源の強さに目がくらんだ。
「すまんな、嬢ちゃん。盛り上がってきたところ悪いが、しばらくのあいだお預けじゃ」
長めの前髪を耳に引っ掛けながら男は言った。
強い光の正体は、棺桶を内側から開けたことにより差し込んだ自然光だった。更に、新鮮で冷ますような空気が流れ込んできたことで、さっきまでの雰囲気も有無を言わさずリセットされていた。
「なんじゃ、ずいぶんとがっかりした顔をしてくれるのう。はては、行為に没頭し、己の目的を忘れておったな? 嬢ちゃんが呼びに来たのだろう、我輩は今から仕事じゃよ」
言われて、そうだと思い出した。
私はこの人を呼びに来たんだったと当初の目的を思い出して、流されてしまった自分を恥じた。自身の軽率な行いに、顔から火が噴く勢いだった。
野外ステージで行われているイベント。その出番がもうすぐに迫ってきているのを確認し、直近まで休むと言っていた朔間零を呼びに来たのだった。
時間に余裕を持って足を運び、部室になっている音楽室と、彼の眠る容れものをコンコンと軽くノックした。驚かせないように棺を薄く開いて、「朔間さん」と声をかけるつもりでいたのに、言い切る前にすき間から伸びた手に引きずり込まれて組み敷かれて。気が付いたときには、あれよあれよと先ほどまでの状況に持ち込まれていたのだから不覚にもほどがある。
「ううう……恥ずかしい…し、情けない……」
「くっくっく、それだけ我輩に夢中になってくれたということであろう?」
「〜〜〜〜朔間さん! ……て、時間!そんなことより、時間、大丈夫ですか!?」
「なぁに、我輩にとて飼い猫と戯れる時間くらいあるわい。なんてな、嬢ちゃんが余裕を持ってきてくれたから大丈夫じゃよ」
にこりと笑って、彼は頭を撫でてくれた。
その瞳が、まるで愛しいものを慈しむような、触れる手もペットを愛でるようなそれで、嬉しいような、少しだけ恥ずかしいような気持ちになった。
ややして、彼は簡単に身支度を整えてから、棺桶の外に自身の脚を繰り込んだ。着込んだジャケットのしわを引き伸ばして襟を正す。
そうすると、彼はただの朔間零という人間から、アイドルの、UNDEADの朔間零の顔になるのだ。
「そういえば、嬢ちゃんはこのところ働き詰めじゃったのう……ここで休んでいたらどうじゃ? 特別に棺桶を遣わしてやってもよいぞ」
「それ、すごく魅力的ですが、そういうわけにもいかないので」
「そうか。出るなら嬢ちゃんの気持ちが落ち着いてから出ておくれ。その顔で出られては、変な輩に絡まれるやもしれん」
「ないですよ」
「そう思うとるのは嬢ちゃんだけじゃよ。なんせ、今の嬢ちゃんはとても『えっち』な顔をしておるからのう。もしかしたら、うちの『わんこ』があたりが発情するかもしれぬ」
「なっ! 〜〜〜〜い!絶対ない!」
「 “もし” の話じゃよ。だが我輩とて、その “もしも” を望んでいるわけではない。……ちと心配なのじゃ、我輩の気持ちも汲んでおくれ」
「…………は、い」
「嬢ちゃんはお利口さんじゃ。では、我輩は先に行ってくるからの〜」
最後によし、よしと撫でてから、朔間零は扉に向かって歩き出した。
彼の弟を思わせるような間延びした語尾に加え、ひらひらと振られた手を目で追って見送る。パタリと閉められたドアをしばらく見つめてから、私は彼のテリトリーにぽすりと倒れこんだ。
愛と欲の補食