目をあけてすぐに天井がみえた。その一点だけをみつめたまま、しばらくはぼうっとしていたような気がする。
 シミのない、真っさらな天井から視線を変えてみると、目についたのはカーテンレール。そこからぶら下がる、やわらかそうな白い布。それに既視感を覚えてすぐに、ここが保健室であることに気がついた。
 よく寝た、というのは分かるけど、前後の記憶がまったくない。それより今は何時だろう。そう思って起き上がろうとしたときに、仕切られていたカーテンが勢いよくひらかれた。
 ぱちり。びっくりした、お互いの目が合わされた。

「……なんだ、よかった、顔色も良さそうね。よく眠れたのかしらァ?」

と、先に口をひらいたのは相手のほうだった。
 早口のようでゆっくりと紡がれた言葉に、肯定の意味をこめて首を縦にふる。その答えに安心したのか、彼は目尻をゆるめて、ほっとしたような顔をしていた。
 とつぜん私のスペースに顔をのぞかせたのは、友人のナルちゃんことKnightsに所属している鳴上嵐だった。
 今日、彼は外部での仕事がはいっていたはずなのに、なんでこんなところにいるんだろう。それが顔に出てたのか、彼はウフフと笑いながら教えてくれた。

「不思議そうな顔をしているけれど、仕事が予定していたよりもはやく終わったのよォ。だから、学校に来てみたの」

 ああ、なるほど。もしかしたらトラブルでも、と悪いほうを予想していただけあって、その理由をきいて安心することができた。
 私が胸をなで下ろす様子をながめながら、彼は近場にあったパイプ椅子を引きよせる。そこに小さなおしりをおさめつつ、彼はまた口をひらいた。

「それでね、教室にはいって早々に、真緒ちゃんがやたらと目配せをしてきたのよ。だからアタシ、授業中だったけど、『なぁに、どうしたの?』ってきいてみたの。そしたら、璃黛ちゃんが倒れただなんて言うんですもの、肝が冷えたわァ……」
「えっ、ごめん…… てか、えっ……私、倒れた、の……?」
「そうよォ。Trickstarのレッスン中に、前触れもなく倒れたって。びっくりして慌てたって、真緒ちゃんが言ってたわァ」
「まじか……ごめん……」
「それはあとで、みんなに言ってあげなさいね。まったくもう、ずうっと言ってることだけど、璃黛ちゃんは女の子なんだからもう少し身体に気をつかってちょうだいっ!」
「は、い……ごめんなさい……」
「わかってくれたならお姉ちゃんも安心よォ」

そう言って、ナルちゃんは私の手をにぎってくれた。しゅんと、俯いていた顔をあげると、柔く綻ばせた瞳と目が合った。
 クラスはとなりだというのにわざわざ来てくれたのだから、彼にもさぞ心配をかけたのだろう。そう思うと、再度『ごめんね』を口にせずにはいられなかった。

「あらあら。なんだか、こんな璃黛ちゃんを見るのは貴重ねぇ……写真にでもおさめておこうかしらァ?」
「……ひどい」
「ふふ、冗談よぉ〜 でも今回、人がいるところで倒れてくれてよかったわァ。誰も知らないところで発見でもされたら、『プロデューサーが過労で倒れてた!』って、学内中にうわさが飛び交ってたかもしれないわねぇ……」
「うっ……」
「危うくおおごとになるところだったんだから、Trickstarのみんなには感謝もしなくっちゃ」
「ほんとだね……良かった、悪目立ちしなくて……」

 ざわざわ、がやがや。うしろ指をさされる様子が容易に想像できて、背筋が冷えてしまった。そんな私の様子をながめて、ナルちゃんはくすくすと笑いをこぼしている。
 それだけ璃黛ちゃんが、りっぱなプロデューサーになってきたってことよね、なんて。喜ぶべきところなのか、すこし、迷った。

「あっ、それとね、真緒ちゃんたちがお昼休みに来るそうよ。伝言をあずかってきてたの、すっかり忘れてたわァ」
「あれ? もうお昼すぎてると思ってたけど、まだだったんだ」
「授業でいうと、三限がおわるくらいかしらァ? アタシのクラスは古文だったんだけど、璃黛ちゃんが心配で抜けだしてきちゃった」
「えっ、大丈夫なの? 怒られたりしない?」
「平気よォ。おじいちゃん先生にはわるいけど、仮病を使ってきたから。でも、先生以外のみんなにはバレバレでしょうけどねぇ……」

 だって、璃黛ちゃんのことよろしくって、目が語ってたんですもの。そう言って、ナルちゃんは思い出したように、うふふと笑っていた。

「そっか。でもいまから戻れば、次の授業には頭から出れそうだよね。たしか、うちは数学……」

 そう呟きながら起きあがろうとしたのに、強いちからで体をベッドに押し戻されてしまった。えっ、なんで。
 その気持ちのままナルちゃんを見ると、彼はベッドに頬杖をつきながら、器用に片手だけを使って私に布団を掛けなおした。そして、ぽんぽんとリズムよく布団をはたいて、子供にするように私をあやしてくれている。けど、でも、

「なんで!?」
「あら? こうされるの、嫌かしら?」
「そういうわけじゃない、けど……そうじゃない! 私、もう元気だし、授業に出ようと思ったんだけど」
「あらあら、それは駄目よォ〜? 璃黛ちゃんが倒れた原因は、寝不足と過労。だから、もう少しねんね、しましょうね」

 ぽんぽん、よしよし、おりこうさん。言葉の羅列に、赤ちゃんに逆戻りしてしまったような複雑な気持ちになった。
 意思を曲げられてしまった不満と、ちょっとだけ恥ずかしい気持ちが私の眉間にしわをつくってしまう。それを見たナルちゃんは、ため息をひとつこぼした。

「んもぅ、そんな顔してもダ〜メ! アタシはみんなに頼まれてきたようなものだもの、絶対におれないわよォ」
「眠くないのに…… こうやって時間を無駄にして、単位が足りなくて留年したらナルちゃんのせいだ……」
「あらあらどうしたの、拗ねちゃったの? 璃黛ちゃんったらほんと、か〜わいいんだからっ!つんつん」

 ナルちゃんのきれいな指が、ぶすくれる私の頬を無遠慮につついてきた。つんつん、つんつん。
 ちょっとだけうっとうしい気持ちはあるのに、蔑ろにしづらいのは、きっとナルちゃんの特性なのだろう。
 璃黛ちゃんのほっぺた、やわらかいわねェ〜、なんて。この人はほんと、マイペースなんだから。そう思うと、まぶたと一緒に少しずつ、気持ちもゆるんでいくような気がした。
 だから、ナルちゃんが冗談で言ったであろう、「お姉ちゃんが添い寝してあげましょうか?」の言葉にも、素直に頷くことができてしまった。

「あらあらあら。璃黛ちゃんったら、今日はずいぶんと甘えたさんなのねぇ……扱いがあんまり幼稚だったから、赤ちゃん返りでもしちゃったのかしら?」

 うふふ、と笑いながらも、彼はジャケットを脱いだ。それを、簡素なパイプ椅子の背もたれにかけるまでを、目が追う。自分の持つリボンと同じ色をしたネクタイを緩めるのもながめていたところで、急に、気持ちがせわしなくなった。見えてしまった喉仏に、私は息をのむ。
 そんな心内など知らぬように、ナルちゃんは私の陣地へと足を踏み入れてきた。
 セミダブルよりはせまい、シングルよりは広く感じるベッドがきしむ。ふたりぶんの体重をのせたパイプが、ギシリと悲鳴をあげる。その音と、彼との距離とが、なんだかいけないことをしているような気持ちにさせた。

「はぁい、それじゃあねんね、しましょうねぇ」

そう言って、彼の手はまた、ぽんぽんと心地のいいリズムをきざむ。だけど、私の心はそれどころではなくなっていた。
 なんとなく、意識している、ということが伝わってはいけないと思った。だから、ドキドキというよりかはバクバクと鳴っている心臓の音が、聞こえてしまうんじゃないかと気が気ではなかった。
 まったく。いつも頑張りすぎなのよォ〜、とお小言をたれるナルちゃんの声も、かんたんに耳を素通りしていく。
 話す以外にすることがなくて手持ち無沙汰に感じた私は、さっきのお返しとばかりに、目のまえにあった彼の胸板をただ静かにつついていた。つんつんつん。
 それなのに、その手も、間もなく止められてしまう。

「あのねぇ、さっきからなんなのォ? おててもお休みしてちょうだい」
「あ、いや……ただ、ナルちゃんって、意外と筋肉もあるなぁ〜って」
「そうねェ、美しくみせるための必要最低限ってくらいだけど……褒め言葉として受け取っておこうかしら?」
「ちゃんと褒めてるんだよ〜」
「あら、ありがとう。そんな嬉しいことを言ってくれる璃黛ちゃんには、ひとつだけ忠告しておこうかしらねェ」
「? なに、どうしたの?」
「璃黛ちゃん、この状況、どう思う? アタシの言いたいこと、わかるかしら?」
「えっ……と……?」
「うふふ。あのね、あんまりおいたが過ぎると、アタシといえども襲うわよォ♪」

 くすくす、笑いながらナルちゃんは言ったけど、その割には、目が本気に見えてこわかった。


2017.02.06
わざとらしいおすまし顔


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