冒頭から報告があります。
わたくし一橋璃黛は、見ず知らずの男性のお宅に転がりこむことになりました。クソビッチ認定されかねないので、このことは友人たちには秘密にしてあります。
まずはこうなった経緯について、ざっと説明していきたいと思います。
すこし前まで、わたしには結婚を意識して同棲していた彼氏がいました。仲はふつうだったと思いますが、あの日は唐突にやってきました。
その日は帰りが遅くなるかもしれないことを、あらかじめ彼氏に伝えていました。ですが、予定していた時刻よりもはやく、仕事を終えることができたのです。わたしはまっすぐ帰宅して、夕飯は家で作ろうと考えていました。
鼻歌交じりにアパートメントに戻り、部屋の鍵をあけます。そしてすぐ、異変に気がつきました。
扉をあけた玄関先に、見慣れないハイヒールがあったのです。
来客かな、とすぐに思いましたが、それにしては違和感がありました。部屋が、暗いのです。玄関もそうですが、奥のリビングルームでさえ明かりがついていない状態でした。このときのわたしは、なんとも言えない嫌な予感を察知していました。また、漠然とした不安も感じていたと思います。女の勘はよく当たると言いますが、その通りだと思いました。
いろんな感情よりも好奇心が勝り、わたしは奥へと進んでいきます。リビングルームと、廊下とを隔てる扉は磨りガラスになっています。そこから、少しだけ明かりがもれていることに気がつきました。
あ、テレビついてる。なんだ、居るんじゃん。真っ暗にして……女友達でも呼んで、ホラーでも見てるのかな。と、そう思いたかったのは山々ですが、違うだろうということも分かっていました。
なぜなら、扉からもれていたのは光だけではなく、小さな音もだったからです。テレビとかじゃない、くぐもった感じの肉声。ちょっと嫌悪感を覚えるような、女の甲高い、声。ここまでで、すでに察しがついたかたもいらっしゃるかと思います。
薄々と忍び寄っていた嫌な予感は、現実味を増していきます。わたしは冷や汗が止まりませんでした。ある “もしかして” が、脳裏にこびりついて離れません。それでも逃げてしまおうとも思えなくて、わたしは意を決して、扉をゆっくりとあけました。
まず、単体で煌々とするテレビ。その光を追って、真正面にあるソファを視界にいれたわたしは、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けます。
そこには、騎乗位をする女がいました。相手はわたしの彼氏です。もちろん、お互い裸です。結合部も、テレビのおかげで丸見えでした。
彼に揺すられている知らない女性は、わたしと目が合って「やばい」という顔をしました。ですが、こちらは言葉がでません。ただ見ていることしかできませんでした。
それを幸としたのか定かではありませんが、彼女はゆっさゆっさと揺すられながら「……えっ!? あっ!っん、ん!や、やだぁっ……!」と、拒絶しているのか悦んでいるのか、捉えるほうからすれば随分と曖昧だなと思うような言葉を発していました。それに見事に引っかかった彼が、激しい突きを見せてくれたことはこの際どうだっていいことですね。
しばらくはぼうっと眺めていましたが、わたしは扉を閉めました。静かに玄関先へと戻ります。揃えられたハイヒールの隣に、無造作に脱がれたパンプスがすごく惨めに見えました。それを足で引っかけて外にでました。鍵を閉めたかどうかなんて覚えていません。あれ以来、あの部屋には戻っていないし、彼からの連絡も無視を決めこんでいる状態なので。
それからの記憶は実に曖昧です。覚束ない足取りで駅へ向かったことだけは覚えています。きっと電車に乗り、繁華街あたりで下車したと予測しています。
彼氏の浮気現場の目撃、裏切り。相当にショックだったはずですから、わたしは飲んで忘れてしまおうと思ったはずです。現に、次の日が二日酔いで生きた心地がしなかったわけですから、相当な量を飲み明かしてしまったのだと思います。
そしてわたしは、耐えきれない頭痛によって目覚めました。目の前には枕がありました。わたしはうつ伏せだったようです。
どうしようもない痛みに「う、ううぅ……」と、唸ることしかできません。マシになることを期待して、うつ伏せついでに身体も猫のように丸めました。
なぜ寝てるのか。いつ寝たのか。それだけは考えられましたが、あとは “頭が痛すぎる” という意識だけがわたしを占領していました。
唸り声をあげながら、このまま無心になって寝たほうが楽になるかもしれない……と思ったときに、丸めた背中に声がかかりました。
「だから辞めとけと言うたじゃろうが。今日は二日酔いで一日が終わるのう…… それより、それ以上シーツをずらしてしまうと、お主の尻穴が見えてしまうぞい。我輩は嬉しい限りじゃがのう♪」
自分以外に人がいたこと。またとんでもない言葉をかけられたことに驚いて、わたしは頭をあげました。勢いで動いてしまったため、世界がすごいはやさで回ります。さらに具合が悪くなってしまいました。
そしてなぜか、この人は甲斐甲斐しく世話をやいてくれました。おかげで頭痛がすっと善くなってきたころ、わたしはだんだんと周りがみえてきました。
この場所に見覚えがありません。それっぽいホテルでもなさそうなので、もしかしたら自宅に連れ込まれてしまったのかもしれないと思いました。しかもわたしは、この人と一晩を共にしてしまったのでしょう。生まれたままの姿がそれを物語っていました。自分も彼氏と変わらないと自己嫌悪してしまいました。
でも、それでも悪い夢かもしれない。そう思いたくて目を閉じましたが、シーツがめくれていたのか「かわゆい乳首じゃのう〜」と言われたことで、これは現実なんだと理解しました。大人ってほんと、腐ってる。……いまのは心のひとりごとです。
この人は、わたしの出来事すべてを把握してくれていました。きっと昨晩、わたしの愚痴のはけ口になってくれたのだと思います。大変じゃったのうと言いながら、「我輩の妾にでもなったらどうじゃ♪」と提案してきました。大人ってほんと、腐ってる!!
つい、口がすべってしまいました。
「くっくっ、冗談じゃよ。そうじゃのう……行くところがないなら、ここで我輩のお世話でもしておくれ♪」
下の……かと思いましたが、純粋な提案でした。家政婦に近い、同居人。そんなところでどうかと言われ、しばらくのあいだ匿ってくれるなら好都合だと思いました。わたしはふたつ返事で了承しました。
週末で本当によかったと思ったことが強く印象に残っています。
以上が朔間零という人間とのファーストコンタクトになります。最悪な出会いをしてしまったということだけ、理解していただければ幸いです。
2017.08.03
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