よし、帰ろう!
 メッセージが送信されたのを見送って、スマートフォンの画面をおとした。デスクの施錠も確認して、意気込んで席から立ち上がる。
 今日は零さんが居るらしいので、はやく帰ろうと決めていた。

「あ。璃黛、もう帰るの?」

と、向かい側に座る同僚から声がかかった。見計らったかのようなタイミングだった。

「そう。今日はきりも良いし、早く帰ろうかなって思ってたから」
「まじか。わたしはもうちょっとかかりそうだわ…… ねえ、すこし休憩しようと思うんだけど急いでる?平気ならちょっと付き合ってよ」
「それくらいなら大丈夫だよ」
「やった! じゃあ先に出て待ってて」
「おっけ〜」

 彼女と軽く言葉を交わし、わたしはオフィスメンバーに声をかけてから部屋を出た。
 廊下の少し先にある談話スペースへ行き、適当な席に腰かける。そこには自分以外に誰もいなくて、自販機の機械音だけが唸っていた。
 零さん、今日は何してたんだろう。なんて、まだよく知らない家主のことを考えながら彼女のことを待っていた。
 彼女こと同僚Aとは、現会社からの付き合いになる。わりとすぐに同い年ということを知ってからはお互いにうちとけ合うのも早くて、いまではプライベートも含めて仲よくしてもらっている。
 そんな彼女は5分もしないうちに、小走りでわたしの前に現れた。おつかれ、と軽く労いの言葉をかけると、疲れた顔で微笑みながら正面に着席した。Aちゃんがよく飲んでいる、カップタイプのココアを買っておいて正解だったと思った。

「これ、いつもの。買っといたよ」
「さすが〜!今日もこれにしようと思ってたんだよね」
「よかった。おつかれそうだから特別に奢ってあげる」
「ありがとう!じゃあ、お言葉に甘えていただきます」
「どういたしまして」

 ココアを両手で持って口にしたAちゃんは、ほっとしたような顔をする。
 同じOLという立場だが、正社員と派遣社員とでは仕事量的にもぜんぜん違うということは帰宅時間からも察していた。その大変さは、コンシーラーで隠しているつもりの彼女の目の下を見ただけでもわかる。
 そんな仕事の愚痴をすこしだけ聞いて、カップの中身もお互い残りわずかという頃。彼女のほうから本題だろうことを切り出した。

「それで?いまは現状、どうなってるの?」

と、彼女に聞かれて疑問符が浮かぶ。よく分からないと、そのままを口にした。

「なにが?」
「もう、この間のメッセージのことだよ! どこに転がり込んでるのかもそうだけど、もしかしてカプセルだったりする?ちゃんと出社してきてるからあまり心配はしてないんだけど……まさかヨリ、戻した?」

 Aちゃんはたくさんのことを、前のめりになって聞いてきた。その情報が頭のなかで一周する。
 まず “カプセル” というのは、いま流行りつつある “カプセルホテル” のことだろう。そこは使っていないことを言うとして、 “ヨリ” とは。
 頭がまた疑問符でいっぱいになって、意味がわからないと思ったのはほんの一瞬程度のことだったと思う。前置きのない瞬間に、はたとした。彼女はわたしの事情を知るひとりだということを思い出したのだ。酔った勢いのまま、「浮気されてた」というメッセージを怒涛に送りつけていた履歴がいまもケータイに残っていることだろう。
 すべてが繋がり理解したわたしは、やっとのことで口をひらくことができた。

「……セックス真っ最中の浮気現場を目撃しといてヨリを戻すって、だいぶアタマがいかれてる選択だよね」
「だよね〜 はぁ、戻ってたらなんて声をかけたらいいか迷ってたからそこはちょっと安心した……」
「心身ともに現状維持。ご心配をお掛けしてます」
「ほんとだよ。じゃあやっぱりカプセル使ってるって感じだよね? 転々としてるなら、物件決まるまで遠慮せず家に来なよ」
「あ〜それも平気。住まいも確保できてるから。ありがとね」
「なんだ、そっか。ふ〜ん。 ……もしかして飲んだくれと同時に、新しい彼ぴっぴでもできちゃったの?」

 残りのひと口ちょっとを飲みきろうとしていたときに言われて、危うくむせ返しそうになった。住まいは大丈夫だと言ってしまった手前、そうなるだろうと予測できなかった自分が悪いのだが、いまの状態をどう答えたらいいのかを迷ってしまった。
 実は転々と……というのも、さっきの話し具合から嘘だと見抜かれてしまうだろう。だったら家に来なよ、の流れにもどってしまうだろうし、どう説明すれば納得してくれるだろう。そんなことを、一瞬のあいだに幾通りも考えた。

「か……彼氏……では、ない、けど……」

 口をもごつかせて、とりあえずそれだけを言葉にした。
 正直に、「一発やっちゃった人の家に匿ってもらってます!」これはだめだ。どう考えてもアウト。ドン引きされるに決まっている。口が裂けても言えるわけがない。しかも、誰がどこで聞いているかも分からないこんなところで口にして変な噂が起つものいやだったし、社会的に死ぬ可能性も目に見えていたから尚更だった。自分の立場とかを思うと、本当のことは言うべきではないという結論に至った。決して、彼女を信頼していないわけではない。
 かと言って、新しい彼氏の家に転がり込んでる、と嘘をつくのもどうかと思う。女の勘は鋭すぎるので、彼氏がいないことなどすぐにバレてしまうだろう。
 八方塞がりだというのに、Aちゃんは返答を待っている。得体の知れない、年上そうなあの男を、どう説明すれば良いものか。
 静寂に、自販機の機械音だけが耳につく。それに耐えきれなくて、わたしはとち狂った回答をしたのかもしれない、と後に思った。
 
「…………お、にい、ちゃん」
「お兄ちゃん?」
「……みたい、な……」
「みたいな? どういうこと?」
「……い、いとこ!的な……?」
「あ〜、なるほどね」

 璃黛からしたらお兄ちゃんみたいな、従兄弟のお兄さんのところに転がり込んでるんだ。と、彼女は勝手に解釈してくれたようだった。
 そう、そう。と、わたしは話を合わせるしかない。

「まあ、身内のとこなら安心だね。その人、近場に住んでてくれてよかったじゃん」
「はは、そうだね〜 ラッキー?」
「なんで疑問形なの。まあ、璃黛の近況も聞けたことだし、仕事に戻ろっかな。ココアありがとね、ごちそうさま」
「あ、うん。またなんかトラブったら、今度こそはAちゃん家に転がり込むからよろしくね」
「おっけ〜 てか、急いでたのに結局、遅くなっちゃったよね。ごめんね」
「帰るだけだったから平気。残り、がんばって!」
「ありがとう。璃黛も帰り、気をつけてね」
「うん。じゃあ、お先ね」

 それを最後に立ちあがり、談話スペースをあとにした。その足のまま、向かう先は更衣室。着替えようと自分のロッカーの前にきたところで、はじめて、わたしは大きく息を吐きだした。

「うぅ……うそは心苦しい……」

 泣く泣くではあるけれど、嘘をついてしまった。その事実が重くのしかかる。それでも、半分は事実……の、はずだ。
 実際、彼氏というわけではないし、自分より歳は上そうだから、お兄ちゃんと言えばお兄ちゃんだ。まぁ、身内かと言われればそうじゃないんだけど。それより、一応はわたしの雇い主でもあるわけで……なんだか複雑なことになっている気がしなくもない。

「……帰ったら、従兄弟のお兄ちゃんだからって説明をしないとなぁ」

 こっちもこっちで大変だろうことが目に見えて、帰る前にまたすこしだけ頭を悩ませたのだった。

2017.08.16
日々は臨機応変に


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