「よっ! なまえ、どうした〜?」

と、B組の扉の外から、教室のなかを覗いていた背中に声がかかった。
振りむくと、真緒くんがいた。わたしと一緒になって、教室内を覗くしぐさをする。

「誰か探してんの? 呼んでやろうか?」
「うん。えっと、お姉ちゃ……嵐、さんに用があって」
「鳴上かぁ〜。そういえば、まだ来てないんだよな。昼には来るって、朝、担任が言ってたけど」
「そうなんだ」

わたしは、教室の正面にかけられた時計に目をむける。真緒くんはスマートフォンを取りだして、時刻を確認していた。

「そろそろ来るとは思うけど。なまえさえよければ、B組で待ってれば?」
「うーん。どうしようかな」
「俺でよければ話し相手になるから、こっち来いよ。教室、はいろうぜ」
「え、うん。ありがとう」
「いいって。俺もちょうど暇してたんだ」

真緒くんが、わたしの横をすり抜けて、先に教室にはいっていく。扉をくぐるときに軽く会釈をしてから、その背を追った。
真緒くんが指したのは窓際の席。昼休みを迎えて雑然としている教室内で、黒い塊が丸くなっている。

「あれ。凛月くん、教室にいるんだね」
「ああ、うん。朝から迎えにいって、ここまで引っぱってきたからな〜」
「それはお疲れさま」
「でも凛月、来たはいいけど、ずっと寝てんだよ」

と、真緒くんは微苦笑する。凛月くんの頭を、指先で軽く小突いて、その前の席に腰をおろした。
相変わらずだなぁ、と眉が下がる。きっと今、真緒くんとわたしは、同じような顔をしているに違いない。

小突いた反動でか、凛月くんが顔の左右をいれかえた。外をむいていた頭がこちらをむく。
小さなうめき声がしたかと思えば、彼のまぶたが不規則に震える。そしてゆっくり、そこが開かれて、奥に隠していた紅い双眼が現れた。
しばらくぼうっとしていたその眼は、急にわたしにむけて焦点を合わせる。見上げてきたその瞳は、まだ少し、まどろんでいるようだった。

「――――あっれぇ……? 目の前になまえがいる…… もしかして俺、ずっとA組で寝てたのかなぁ……」
「おはよう、凛月くん。大丈夫。ここ、ちゃんとB組だよ」
「ん? りっちゃん、起きたのか〜? もう昼休み、はいってるぞ」
「――――どうりで。なぁんか、騒がしくなったと思った……ふあぁふ…… それより、なまえはなんでB組にいるの」
「嵐さん、待ってるの。もうすぐ来るらしいし。Knights の企画書、まだ渡せてないから」
「ふぅん、そう。ナッちゃん、まだ来てないんだぁ…… じゃあそれまで、俺にひざ枕してて〜♪」

もたげていた頭を起こした凛月くんに、腕を引っぱられた。その力強さに驚く。足もとがぐらついて、身体がよろけた。
仕方なく、隣の空席を拝借して、わたしは彼の近くに腰をおろすことにする。待ってましたと言わんばかりの勢いで、凛月くんがごろんと寝転がった。
重力で垂れさがった髪が、膝小僧をくすぐる。こそばゆい。こわばった脚に、変に力がはいってしまう。
太ももに乗った頭が、寝やすい位置を探すように、微妙な加減で動く。その機嫌を損ねないように気をつけながら、優しく毛束をよけた。
こういうときの凛月くんには、なにを言っても無駄だということを、わたしはすでに学習している。
そして、一連を見届けていた真緒くんが、咎めるように口をひらいた。

「あっ! こら……ったく。なまえ、いつも凛月がごめんな」
「大丈夫。終わり際さえあっさりしていてくれれば、平気だから」
「ふふ。善処する〜…………♪」
「うん。あと凛月くん、午後はちゃんと起きて、授業受けようよ。朝から学校に来てるって、真緒くんから聞いたよ」
「ん〜? ふっふっふ。頭なでて、褒めてくれていいんだよぉ…… そしてくずぐずになるまで俺を甘やかして〜♡ ついでに血ぃ、飲まして〜♪」
「それはいや」

そこは、きっぱりと断りをいれておく。曖昧な態度でいれば、何をされるか、わかったもんじゃない。
わたしにひざ枕を強請ったこの人は、自称だけども吸血鬼。当人は、何ら気にすることなく、猫のように身体を丸めているけれど。

「ねぇ、なまえ。あの企画書の内容、俺はけっこういいと思ったよ」
「ほんと? そう言ってもらえると、すごく嬉しい。泉さん監修だから、大変だったんだよ」
「そっかぁ。頑張ったんだねぇ〜…… えらい、えらい♪」
「ありがと、凛月くん」
「ふふ。セッちゃんも、張り切ったんだろうねぇ。なまえも『ゆうくん』同様、セッちゃんの『お気にいり』だろうし……♪」
「そっかなぁ? 真くんを基準で考えちゃうと、わたしにはいつも、スパルタなんだよなぁ……」
「それはねぇ、セッちゃんなりの『愛情表現』だよ。ああ見えて、後輩の面倒見はいいから」

と、それ以降、凛月くんは喋らなかった。ほんと、マイペースな人だ。机の上に置いた荷物からブランケットを引っぱって、丸まる背中にかけてあげた。
真緒くんはというと、身体を横にむけたまま、漫画を読みはじめていた。話しかけてもいいだろうか。わたしは、この人に謝らなければいけないことがある。

「――――えっと、真緒くん。読みながらでいいんだけど、わたし、真緒くんに謝らなきゃいけないなって思ってたことがあって……」
「んん、なんだっけ? なまえ、俺にそんなことしてたかぁ〜?」

キリがよかったのか、読むのをやめて、真緒くんが目線をこちらにむけた。

「……えと。いつだったか放課後、真緒くんに呼びとめられて、わたしが逃げだしたこと、あったじゃん」
「んー……ああ〜、うん。そういえば、そんなこともあったな」
「そのときのこと、謝りたくて。せっかく気遣ってもらったのに、逃げてごめんね」
「いや、なまえが謝ることねーよ。あとから俺も、お節介だったな〜って思ったし」
「ううん、そんなことない。ただ、ちょっとタイミングが悪くて。衣装の締め切りが近くて、けっこうギリギリだったから、時間がもったいないなって……思わず……」
「ははっ、理由がなまえらしいわ。たしかに布とか抱えてたし、クマもすごかったもんなー。無理しすぎて、そのうち倒れるんじゃないかって、俺はヒヤヒヤするんだけど」
「そこは真緒くんも、だよ。わたしも真緒くん見てて、ヒヤヒヤするとき、あるもん」
「あー……それ言われると痛いんだけど。まあ、お互い、気をつけようぜ」
「うん、だね。今更だけど、気持ちはすごく嬉しかったんだよ。ありがとね」
「どういたしまして……っていうのも、なんか変か。それより最近、手の調子いいんだな。えらいじゃん」

と、真緒くんの手が、わたしの頭に乗る。わしゃわしゃと撫でられた。
この真緒くんという人、同い年だというのに、たまに『お兄ちゃん』の片鱗が現れる。長男ゆえ、かもしれない。
わたしも同じ『長子』という立場上、こういう甘やかしには慣れていないのだけど、悪い気はしなかった。

わたしは、真緒くんに指摘された手を眺めてみる。毎日のように目にはいるものだから、自分では大した違いはわからない。
だけど、そういえば、逆むけた皮がタイツにひっかからなくなったな、と、今になって思った。
それに、これはわたしの成果ではなく、ナルちゃんの努力の賜物だった。

「これ、嵐さんが休み時間とか使って、ハンドクリームでケアしてくれてるんだ。自分で何かしてる、ってわけじゃないんだよね」
「へぇ。そういえば鳴上、少し前からやたらとA組、行ってたもんな。その理由が、今やっとわかったわ」

真緒くんが、納得したように言う。

「嵐さん、面倒なことって嫌がるから、すぐに飽きると思ったんだけど。まだ続けてくれてるんだよね」
「まあ、鳴上も、なんだかんだ言うわりに面倒見いいしな。おかげでなまえの手、よくなってきてるじゃん」
「そうだけど。でも、ほぼ毎日だから、申し訳ない気持ちもあるんだよ。だからって、自分ではやりたくないんだけど」
「ははっ、じゃあ気が済むまでやらせておけばいいじゃん。鳴上、そういうの好きそうだし。てか、わざわざ世話焼きに行くんだから、お母さんみたいだな」
「それ、本人に言ったことあるよ。そしたら、『せめてお姉ちゃんにして』って言われた」
「あはは。そこで、『お父さん』ってならないところが鳴上っぽい」
「だよねー」

解釈が一致して、思わずふたりで吹きだした。こういうところが、真緒くんとは波長が合うなと感じる。
穏やかな空気が漂ようなか、ふと、視線を感じて下を見ると、凛月くんの目があいていた。少しだけ上にむけられた瞳が、なにか言いたそうに、にやにやしている。
べつにやましいことはないのに、含み笑いをされると、悪いことをしてしまったような、そんな気持ちになる。なにを言われるのかと、わたしはちょっとだけ身構えた。

「ふ〜ん。なるほどねぇ…… なぁんか最近、いつもと違うなぁ〜と思ったら、そういうことだったんだぁ。なまえから、やたらと『ナッちゃんみたいなにおい』がすると思ってたんだよねぇ〜?」

そう言った凛月くんに、手を取られた。すんすんと鼻をならして、においを嗅がれる。
そんなことをされるとは思わず、素直に身体がこわばる。

「ちょっ……凛月くん、それ、やだ……」
「んん〜? なんだか今日は、薄っすらとしかわかんないなぁ……?」
「においなんて、しないでしょ。だって、今日はハンドクリーム、使ってないもん」
「なまえさぁ、ナッちゃんから毎日のように、ハンドクリームを擦り込まれてるんでしょ? そういうのは、わずかでも残ってるもんなの。吸血鬼の嗅覚は、確かだよ」
「へえ……吸血鬼、すごいね……」
「ふふ。まあ、人間の嗅覚くらいじゃあ、わかんないのも当然だけどねぇ」

そう言って、凛月くんはわたしの手を解放した。同時に、変な緊張も、羽が生えたように軽くなる。

「みんなぁ、おっはよ〜☆」

と、急に扉のほうから、元気でご機嫌そうな声がかけられる。
驚いて、顔ごとそちらにむけると、ナルちゃんが教室の扉をくぐったところだった。矢継ぎ早に目が合う。
お疲れさまの意をこめて、わたしは胸前で軽く手をふった。ナルちゃんは途中、自席に鞄を引っかけてこちらに来る。

「なまえちゃん、珍しいじゃない。それに今日は、教室に凛月ちゃんまで。珍しいことが続くわねェ……?」
「ナッちゃん、おいっす〜。お仕事、お疲れさま〜」
「ありがと。それより、なぁにぃ? 凛月ちゃんったら、ま〜たなまえちゃんに甘えちゃってるのォ?」
「ふっふっふ。いいでしょ〜♪ なまえがやってあげるって」
「いや、言ってない。ほぼ強制だったよね」
「あれぇ……そうだっけ? ん〜……まぁ、細かいことは気にしな〜い……♪」
「凛月ちゃんたら、マイペースねェ…… でも、いつまでもそうしてないで、しゃんとなさいな」
「えー……ナッちゃんのおに。あくま。ひとでなし……」
「なんとでも言いなさい。はい、お利口さんだから、起きましょうねェ〜」
「うう〜〜……」

ナルちゃんに肩を押されて、凛月くんはうめきながらも、しぶしぶ起きあがる。乗っていた重石がなくなって、脚が軽くなった。
起きた凛月くんは、今度は両腕を枕にして机を陣取る。

「あ。そうそう。ナッちゃんさぁ、なまえと『おそろい』にしてるんだねぇ……?」

体勢を変えずに、凛月くんがナルちゃんに声をかける。

「えぇっと…… 凛月ちゃん、なんのことかしら?」
「ここ最近、なまえの手から、ナッちゃんと『おんなじにおい』がすることについてのはなし〜♪」
「――――あら。そんなの、べつに珍しくないじゃない。変な意味はないのよォ?」
「ふぅん……そう。まっ、ナッちゃんがそう言うなら、そういうことにしといてあげる」
「おそろいのハンドクリームを使ったっていいじゃない。だってアタシたち、仲良し姉妹なんですもの♡ ねっ、なまえちゃん」

そう言ったナルちゃんが、わたしのほうをむく。目が合って、微笑まれた。
とくに否定することもないので、素直に頷いておく。
そして、わたしは机の上に置いておいた、用紙を手に取った。立ったまま会話を続けていたナルちゃんに、それを手渡す。

「ナルちゃん、これ。企画書。タイミングが合わなくて、遅くなっちゃった」
「あら、ありがと。ようやく完成したのねェ♪ もしかして、これ渡すためにB組にいたの?」
「うん。他の人に頼んでもよかったけど、みんなに直接渡してるし。ナルちゃんにもそうしたくて」
「ふふ。ありがとね、なまえちゃん。あ、そうだっ! せっかくいるんだし、今日のケアもしちゃいましょっ♪」
「わたし、ハンドクリームなんて持ってきてないよ」
「お馬鹿ねェ…… なまえちゃんにそんなこと、はなから期待してないわよォ」
「ひどい言われようなんだけど」
「うふふ。ちょっと待っててねェ〜」

と、ナルちゃんは、先ほど置いてきた鞄のなかから、ハンドクリームを取りだして持ってきた。あっという間に準備に取りかかる。わたしは、学習されたかのように両手をだす。
いつも通り、クリームを伸ばしたナルちゃんの手が、わたしの手の甲に滑っていく。

「ふふ。なまえちゃん、気づいてる? ここんとこ毎日ケアしてるからか、手触りがよくなってきてるわよォ」

ナルちゃんが誇らしそうに、声をかけてくれた。


2021.10.19
2ーB


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