それは種であり、花となった


「あーるじ!そろそろ休憩しましょうよ?」
「もうちょっと終わらせてから……」
「それ、さっきも聞いたんですけどねぇ……」
 書斎に籠っているわたしの元へ、鯰尾から今日何度も聞いた言葉が投げかけられる。そんなの後でいいじゃないですかーと彼は言うけれど、そういう訳にもいかない。
 必死になって片づけているのは、二年分の……大量に溜まった任意提出の書類だった。けれど、実際はその倍程度、提出必須だった書類が届いていたという。しかしそれは、既に作成済み、尚且つ提出済みである。いついつまでに提出せよと命が下されているものは、全て期限通りに終わっていた。
 わたしが、きっと二年分溜まっていることだろうと部屋に積もっている書類の山に手を付けた時、鶴丸と鯰尾が少しだけ気まずそうに苦笑いしていたのも、行けば自ずと分かってくるとこんのすけが言ったのも、つまりはそういうことで。期限のないものだけは書斎の机の上や、すぐ横の床に積み上げられてはいたものの、後は全て、この二振りが自ら、片づけていたのだ。
 紙媒体の書類は主に鶴丸が、デジタルでの打ち込み作業は鯰尾が操作を覚えながら、分担して捌いていたのだという。二人から状況を聞いているとき、何時の間にこちらに来ていたのか、こんのすけが首を振って、言った。
「そうでもしなければ、この本丸が解体されてしまうかもしれなかったのです」
 必須の書類だけにでも手を付けていれば、この本丸がまだ生きていることになる。最悪の判断は下されないだろうと、こんのすけが判断したのだという。政府への報告や二振りへの助言。この本丸が存続できていたのは、小さな彼の努力の結果でもあった。
「…………やっぱり、そういうこと、なの」
「ま、そう易々と、手放せるものじゃあなかったんでな。一芝居打っておいたのさ」
 まぁそんなわけで、と鯰尾が言葉を続ける。
 先日、本丸に戻った時にわたしの元へ来たのが鶴丸一人だったのは、鯰尾が近場に遠征に行っていたからだった。帰ってきて事情を把握した途端、わたしと一緒に泣き腫らしたからか。今朝、軽食程度にと握ったお結びを食べた時に、またぽろぽろ静かに瞼を濡らしていたからか。まだ少し赤くなっている目元を、しかし喜色に染めて、「この本丸は主が留守にしていないってことになってるので、余計な心配は無用ってこと!」やってみるもんだね! と笑った。

 そんな二人の努力を無下にしてはいけないと、まずは溜まっている分の資料に目を通し、報告書を作成し、出来たものから「ご報告が遅れて申し訳ありません」と一言追記しつつ提出する作業をしていたのだけど。……まあ、これが、一向に終わりが見えない。
 三分の一を捌き終わった時、さすがに疲れた、と肩と首を回して凝りを解していると、すかさず「はいもう休憩〜!!」と鯰尾に机から引き摺り下ろされてしまった。
「まだ、半分も終わってない……」
「今日中に終わらせないといけない仕事でもないんだから、少しずつでいいんですって」
「そうは言うけど」
「はいはい、いいから行きますよ〜」
 反論する暇もなくそのまま腕を引かれ、連れてこられたのは、大広間。……やはり、どこも埃を被っている様子はない。
 それとなく聞いてみると、毎日担当場所を決めながら、かかさず掃除していたのだとか。案外、畑仕事よりも掃除の方が時間がかかるから、これでも毎日忙しかったんですよと笑う鯰尾の瞳に、嘘は見えない。ただ淡々と日々を過ごしていたわけじゃないと言うその言葉に、どうしても果てしない安堵を覚えてしまう。
 彼らにとっての毎日は、無限に続くの二振りだけの孤独世界だったろうに。それでも、……それでも、此処が大事だから、苦じゃなかったんだと全身で伝えてくる二人が、とても眩しく、尊く思えた。

「お連れしました〜!」
 更に奥へと連れられ、到着!と鯰尾に腕を解放されたのは、大広間の隣にある六畳程の居間に着いてからだ。
 刀たちが大勢いた頃は、夕餉の後に太刀や大太刀がこっそり酒を飲んだり、炬燵がこの居間に置かれた時なんかは、短刀たちが押し寄せてくるものだから、太刀や大太刀が入れなくなるという騒がしい場所だった。
 遠くから、今行くー!と鶴丸の声が返ってくる。待っていようと座椅子に座り、手招きをする鯰尾に習って、隣に座った。……いつか、酔った次郎さんが勢い余って、皿からころりと落ちたうさぎ型のリンゴごと、フォークで机を刺してしまったという恐ろしい事件があったのだけれど。目の前の机に四つの小さな凹みがその時のまま残っていて。思わずふす、と微笑みが漏れた。あの時のまま、なのだなあ。
 少しした後、なんだか覚えのある柔らかな香りが漂ってきて、来たのかな、と顔を上げる。
「よ、お疲れさん。持ってきたぜ」
 片手に三枚重ねの大ぶりな皿を、片手に円付鍋を持って、鶴丸がひょっこり顔を出してきた。鍋と、皿?……まさかとは、思うけれど。
「……作った、の?」
「その通り! どうだ、驚いたか?」
「と、とっても……」
「そりゃあよかった! 因みに鍋の中身はしちゅー、というやつだ」
「まって、よ、洋食?」
「え〜またですかあ?」
「なんだ、鯰尾は不満かい? 白に紛れる人参の色なんか、鶴の色合いのようだろう? 俺は気に入ってるんだが」
「いや色って、緑とかもあるんだけど……」
「はは、細かいことは気にするな! そら、主の分な」
 驚いている間に、鯰尾と軽口をたたきながら慣れた様子でわたしの前に容器をことりと置いた。……本当に、何の変哲もない、普通の、シチューだ。
 当時食事を担当していた刀のおかげで、レシピ本はそこそこ種類があり、その中から気分で選んで作っていたら、大抵のものは問題なく作れるようになったらしい。鶴丸はシチューが、鯰尾はオムライスが好きなのだとか。見事に洋食だ。「和食ももちろん好きだぜ?」でも今一番ハマっているのはシチューらしい。……今度、わたしが作れないものは教えてもらおう。
 スプーンを受け取って、三人で手を合わせ、いただきますと声を揃える。じゃがいもにスプーンを刺しこむと、よく煮込んでいるようで、ほろりと形が崩れる。それだけでもう感動してしまったのに、これが、本当に、美味しいのだ。現代で食べ慣れたシチューのはずなのに、隠し味でも入れているんだろうか、それとも彼が作っているから、だろうか。それは、もう。
「美味しい……!」
「そっ、……そうか! うまいか!」
「……鶴丸さん、実はすっごい緊張してた?」
「当たり前だろう、不味いと言われたら俺だってさすがに、…… いや、きみなら例えそうでも言わないだろうが……」
「ううん、本当に美味しい、すごく美味しいよ、また作ってほしいなって思っちゃうくらい」
 わたしの反応をじっと待っていたらしい鶴丸が、感想を聞いてふわりと表情を綻ばせる。「気が早いな!」と突っ込まれてしまったけれど、その実とても嬉しそうだ。
 おかわりもあるからなと微笑む鶴丸にお礼を言って、また書類の処理に追われる時間に戻るまでの間、この暖かな休息の時間をじっくり楽しむことにしようと、彼の言っていた、鶴のような色合いに見せてくれる人参を掬うのだった。





「……ふむ」
「うそ……」
「まさかとは思ったが……こりゃまた。運が良いなぁ、きみ……」
 審神者として本格的に動き出してから、季節が一つ過ぎた頃。夜戦の合戦場を抜けることを第一に考えていたせいで、あまり意識していなかったのだけれど。わたしの今の本丸には、太刀が鶴丸以外全く居ないことに気づいて、さっと青ざめたのが今朝の事。
 今まで鶴丸に頼ってばかりだったけれど、彼のいざというときに後ろを任せることができる鯰尾はいれど、太刀と脇差では立ち回りが違う。確かにあの二人の絆はとても深いけれど、後ろを任せることができても、肩を並べれる刀がいないのはまずいのではないか。というか、短刀の壁にもなれる太刀が鶴丸だけでは彼への負担がとんでもないのではないか。ああ、大太刀の鍛刀もしていない。なんてことだ。
 どうして今まで気づかなかったんだろうと、自分でも驚くほどふらつきながら部屋を出た途端、起こすために来てくれていたらしい鯰尾に、大慌てでどうしたのかと支えられたのはそのすぐ後のこと。しかし事情を話したら、一瞬ぽかんと瞬きをした後、きゅっと眉を下げて「何だよも〜! 心配したじゃん!」なんて吹き出されてしまった。わたしにとっては何だよもうどころではない。
「鶴丸さんはそんなこと気にしてないし、寧ろ役得だと思ってるんじゃない?」
「役得」
「んー、ま、でも主が心配してるんだし、鶴丸さんに相談しに行こっか!」
「そ、相談じゃなくて、鍛刀しに行こうよ……!?」
「まぁまぁ。鶴丸さんが本当に疲れてるかどうかも聞きたいでしょ?」
「う……鯰尾」
「なに〜?」
「……わたしの扱い方うまくなったね……」
 行こう行こうと手を引いて鶴丸を探しに歩きだした鯰尾が、その言葉でぱちぱちと瞼で星を弾いて、「主の自慢の刀だから!」と眩しく笑った。眩しい。嬉しい、けれど、ちょっとだけ複雑だ。

 何やら池を覗き込んで、そこで優雅に日々泳いでいる鯉に手を伸ばしていた鶴丸が、足音をに気づいてか、顔だけでこちらを確認したと思ったら、ぱっと立ち上がった。池から指を辿るように、水の糸がひいて、水滴になって弾けた。
 後ろに桜がはらりはらりと舞う程上機嫌に、「きみ! 聞いてくれ!此処の鯉が俺の指を餌と間違えてつついてきたんだ! 魚は人の指が美味そうに見えるのか? 今日の驚きだ!」と大げさに腕を広げて笑うものだから、思わず「今日はまだ始まったばかりだよ……」と冷静に反応してしまった。
 突っ込むところが違うよと鯰尾に笑われて、「全然平気そうじゃない?」と肩を軽く叩かれた。確かに全く疲れてはいなさそうだ。
 ……そういえば、今日この日まで、疲労の気配を鶴丸から感じたことはない、というより、毎日絶好調の証である桜の花びらをちらちら降らせている気もする。……けれど、とにかく。鍛刀は予定通りやりますと宣言すると、鶴丸がはて、と首を傾げた。

 今日は非番だし、ゆっくり昼餉を食べてからにしようということで、鍛刀部屋へ来たのはお昼過ぎ。何やら神妙な表情で鍛刀部屋まで着いてきたのは、鯰尾ではなく鶴丸だった。曰く、なんとなく予感がする。とのこと。なんのことかと思ったけれど、……こういうこととは。
「……そうか。戻ったのだな」
「は、はい」
「はは、そう畏まるな。俺に対してはいつもその調子であったと、”此処の記憶”が嘆いているぞ?」
「うっ……」
 いつものように顕現後、本丸に残るひと振り目の記憶を(他の刀曰く、映像を眺めている感覚なのだとか。だから知識は得るけれど、体感はないらしい)受け取ったその人は、そうっと瞼を持ち上げて、穏やかに微笑んだ。そして一歩後ろに控えている鶴丸を見て、何も問わずにそうか。と緩慢に頷く。
 少しだけ首を捻って鶴丸を見上げると、一度わたしと目線を合わせた後、彼へ戻して、からりと笑った。
「ま、鶴は一途だからな」
 その言葉にゆるりと微笑んで、彼がもう一度わたしを見る。……昔から、この人に真正面から向き合うと、どうも背筋が緊張でピンと伸びてしまう。それくらい、この人は審神者の中でも特別だった。
 わたしは、かつても、そのうち顕現出来たらいいな、くらいにしか思っていなかった身だけれど。いざ彼の姿を見ると、やはりただならぬ気品に当てられそうになってしまう、その刀は。
「――三日月宗近、再び拝命した。……また宜しく頼むぞ、主」
「っはい、こちらこそ……!」
 審神者に戻ってから、鍛刀で初めて顕現した太刀は、最も美しい刀だと言われている三日月宗近……その刀だった。よかった、と朝から胸に溜まっていた不安を安堵のため息とともに深く深く吐き出すと、自然と頬が緩む。「なんだ、心底嬉しそうじゃないか、きみ」と横で若干不貞腐れたように鶴丸がぼやいたけれど、それはもう嬉しいに決まっている。
 あの三日月宗近がまた顕現してくれたことも確かにそうだけれど、この人なら……三日月さんなら、堂々と鶴丸と肩を並べてくれる。それに、初めて顕現した太刀が、他でもない鶴丸と、少なからず縁のある刀だったのだ。嬉しくないわけがない。
 誤解のないように思うまま伝えたら、当の真っ白なわたしの神様は、それを聞いた直後にその場にしゃがみ込んで沈んでしまったのだけれど。
「って、え、あれ、な、なに」
「あー……いや、いい……、なんでもない」
「はっは、鶴丸は相変わらずだなぁ」
「え?」
「待て、彼女の前でその話はやめろと言っただろ!?」
「はて、今の俺には、何の話だか分からないな?」
「み、三日月……! 君ってやつは……!」
 わたしの神様が、見るからに照れておられる。え、今の言葉に照れる要素があるんだろうか。似たようなことは、よく伝えていると思うのだけれど。どうなのだろう。
 わたしには二人の中で上がっている”話“が、どの話か分からないけれど。なんとも、これから一層賑やかになりそうだなぁと、密かに笑った。


18.10.31