それは、わたしの神様だった

「主! 聞いてくれ! 見たことのない花が……よし、一緒に来てくれないか!」
 事前に声をかけることもなく勢いよく襖を開いて、執務に励んでいたんだろう主が、ぎょっと顔を上げる。目を白黒させている主の細い手首を軽く掴んで、問答無用で立たせた。仕事を中断させたことに申し訳なさは感じない。寧ろ主はもっと休むべきだと俺は思う。とにかく、先程見つけた見慣れない花の元へ、バタバタと足音を響かせながら二人で走った。すれ違った長谷部に、廊下を走るな! と注意されたが、主も一緒だと気付いた瞬間、素っ頓狂の声を上げたものだから、思わず笑ってしまった。……少しくらいは大目に見てくれたっていいと思わないか? なあ?

 目的の場所に着いたと思うと、立ち止まった主は膝に手を当て、大げさに肩で息をしていた。……やってしまった。急く気持ちが強すぎて、主との体力の差を忘れていた。俺としたことが。すまん、急ぎ過ぎたなと謝りながら、呼吸が落ち着くようにと背を摩ってやっていたのだが、「明日から体力づくりしよ……」なんて呟くから、心配していた気持ちが一瞬でどこかへ吹き飛び、思わずぷすりと笑ってしまう。きみはいつもそうだなあ。
「っはは! 是非そうしてくれ、ぐうたら過ごすよりよっぽど良い。……それより、あれだ」
「はあ、んん……。……はい、どれ……」
 主の部屋に行く途中、見つけたのは、小さな小さな白が、一本の茎にいくつも並んでいる花だった。それを見た主が、「これ、鈴蘭だ……珍しい。どうしてこんなとこに咲いたんだろう……」と小首を傾げていた。なるほど、これはすずらんという名なのか。
「今までいくつもの花を見てきたが、これは初めて見たんだ。珍しい花なのか?」
「珍しい……のかな……? わたしの住んでいた地域では、あまり見かけない花だったよ。もっと北の方……寒い地域なんかには、よく咲くみたいだけれど」
「へえ……。近頃肌寒くなってきたからなあ、その影響かもしれないぜ?」
「ああ、なるほど? ……えっと、確か。そう、鈴蘭って、他国では、とても幸せな花として扱われてるんだって。花言葉も、凄く……」
「……ん?」
 すずらん、鈴蘭。……確かに、鈴のように見えるその小さな花を、二人でしゃがみ込みながら眺める。普段よりどこか饒舌になって、己が持っている知識を伝えてくれる主を微笑ましく見守っていると、その声がふと止まった。そして何故だか驚いたように手を口元に当てた主が、しかし段々と笑顔になって、「鈴蘭の花言葉ってね、」と言葉を続ける。先程よりも、どこか温かみのある声だった。
「"再び幸せが訪れる"とか、"幸福が帰ってくる"なんて言われてるの」
「──それは、」
 なんだか嬉しいなと表情を緩ませる主に、何とも言えない気持ちになり、そうだなと同意だけして、もう一度だけ小さな白を見つめ、主の言葉を頭の中でゆっくり反復した。

 人の手ですべてを理解するには限度がある植物や、自然の力というのは、なかなかどうして奥が深い。この鈴蘭が、一体どうしてここでぽつんと咲いたのかは分からない。彼女曰く、花本体よりも、やはり一輪だけぽつりと佇んでいるように咲いたこと自体が謎めいているらしい。けれど、誰でもない自分がこの花を見つけ、主を連れてきたこと。鈴蘭の花言葉を、主が嬉しそうに口にしたこと。まるで本丸がそう言っているようだと、お互いに感じたこと。それらには、確かに意味があると思いたい。
 あ、と何かに気づいたように顔を上げた主が、俺の背に手を伸ばしたかと思うと、突然パサリと羽織の頭巾を被せてくる。主の時代では、これはふーど、と呼ばれているらしいが。……出陣時以外は基本、刀たちは全員動きやすい服装を好んで着ているのだけれど、主はどうもこの羽織がお気に入りのようだから。つい、畑仕事や馬の世話をする日以外は、武装を取り外した身軽な服装の上に、これを羽織ったまま過ごしてしまう。時々、彼女がふわりと揺れる袂を目で追っていることを、知っている。
 しかし急になんだと思っていると、主がころころと微笑んで、「こうすると、鶴も鈴蘭みたいだね」と言うものだから、それはそれは、驚いた。刀を花に例えるとは、とくつくつ笑みを漏らしながら、密かに思う。羽織は、やはり着ていて正解だったと。
「だが……それなら、山姥切も鈴蘭の様に見えるんじゃないか?」
「んー、でもあの子は、綺麗な金髪をしているでしょう? それなら鈴蘭じゃなくて、……あ、マーガレット……えっと、木春、菊? とかじゃないかな」
「ははあ、そりゃあまた、愛らしい花を選んだな」
「……言うと不貞腐れちゃうから、内緒ね」
 悪戯っ子のように笑いながら人差し指を唇に当てて、しぃ、と息を落とす彼女に、ふと頬が緩む。
 なるほど、俺が鈴蘭の花のようだというのも、あながち間違っちゃいないのかもしれないなと、頭の隅で思う。主の笑う顔を見るたびに、本丸のあちこちから聞こえる笑い声が耳に届くたびに、此処に幸福が、本当に帰ってきたんだと……そう、何度も実感するからだ。
 ああ、確かに、幸せは訪れている。

 ところで、鈴蘭に触れようとしたら、主に全力で止められ、捨てるのも可哀想だからと薬研に引き取られることとなった。……何でも、下手に摂取すると、人が簡単に死んでしまうほどの猛毒を持っているからだとか。俺達にその効果が効くのかどうかは不明だけれど、触らないに越したことはないとのことだ。あんなに愛らしい花なのに、人間にとって脅威になるとは。いやあ、驚いた驚いた……。




――――


 主の審神者としての力……いわゆる霊力の質、量は、演練で出会う他の審神者を見る限り、ずば抜けて高いわけでもなく、低すぎるわけでもなく、所謂平均値、と呼ばれる位置にあると思う。
 俺が主の呼び声に応えたのも、その霊力に惹かれたからではなかった。他の本丸の俺がどうなのかは知らないが、少なくとも、今ここにいる俺が、顕現するまで自分にはないと思っていた手を伸ばした理由は、その呼び声……言葉にあった。

 刀剣男士としての役目というものは、顕現する前から……自分が鶴丸国永の付喪神として、身体を得て、新しい主である今生の審神者の元で使命を全うする。というそれは、知識として持ってはいた。が、顕現されるまでは、霊体のように意識だけがそこにあり、様々な本丸からの呼び声を聞いていただけだった。その声に応え、別の本丸へ顕現した鶴丸国永は、俺という存在とは別の個体、別の魂、別の命だ。──"俺という鶴丸国永"は、暫くの間、どの声にも応える気になれずにいた。
 太刀が欲しいと声がする。誰でもいいから新しい刀が欲しいと声がする。皆と楽しく過ごせる刀が欲しいと声がする。珍しい刀が欲しいと声がする。……どれも似たり寄ったりだ。声は何もしない変わりに、強い霊力だけを感じたことも何度かあった。暖かな霊力を感じた時は、思わず手を伸ばしたくなったが、しかし声が聞こえないことに思い留まって、また意識を閉じた。その暖かな霊力は直ぐに消えたから、きっと、他の鶴丸国永が手を伸ばしたんだろう。
 その霊力に吸い寄せられたとして、そこでもきっと新しい出来事、想像もしないような奇跡で俺は驚いて、楽しんでいたことだろう。……けれど、そうは思うも。どうにも気が乗らず、抗っていれば、そのうちあちこちから感じていた強い霊力もしぼむように消えて行った。別の魂がそちらへも向かったのだろう。
 そんな、霊力も声も見送ってばかりの俺が思わず、やっと顔を上げたのは、意識を向けたのは、とある審神者……つまり、今の主の、「神様、神様」と祈る声だった。神様、どうか応えてください。どうか助けてください。どうか皆を、皆と歩むために、どうかどうか。神様、どうか、と。
 何を言っているのだろうと、最初は思った。付喪神とはいえ、その神という存在を自らが従え、振るう立場に居るというのに。言わば俺達付喪神は審神者の手足で、部下だ。だというのに、切実に祈りをささげているその声が、どうにも気になってしまって。声が消えてしまう前に、霊力が消えてしまう前に、他の鶴丸国永が応えるよりも先に。ひたすら神様、と訴え続ける声を目指して、ついに俺という魂が、心のままに「手を伸ばした」のだ。

 その声に届いたと思った瞬間、穏やかな空気に包まれ、それを感じる身体があることに気づく。ああ、これは驚いた! 本当に実体がある。地に立っている。右手を開いて閉じて、そしてそれを見る瞳がきちんとあることを実感する。違和感なく両手が動くことを確認していると。「すごいのが出たな」と男の声が聞こえた。そうだった、自分が顕現された事実に気を取られ、声の主を探すことを忘れていた。
 視線をそちらに寄越すと、ぽかんと可笑しな顔をしている男……いや、こいつは刀か。ここの審神者の側近だったんだろう刀と、その一歩前で座り込み、胸の前で手を組んでいる人間の少女がいた。──彼女が俺を呼んだ主だと、心と身に宿る霊力が反応している。さて、なんと挨拶しようかと考えを巡らせていると、彼女が呟くように、ぽつりと言った。「か、みさま」と。
「! あっはっはっ!」
 俺が手を伸ばした先は、此処で間違っていなかったようだ。ああ、良かった。
「そうか、神様か。……ふ、ははっ! はー、んん、いやすまん。俺は、きみが言うところの”神様”じゃあないぜ。鶴丸国永だ。俺みたいなのが来て、驚いたかい?」
「あ、え、え?神さ、」
「ぶっ、 まだ言うか! 違う違う、鶴丸国永だ。つ、る、ま、る、だ。そら、言ってみろ」
「う、えと。つ、……つ、つる、まる」
「ん、よしよし」
 覚束なくとも名を呼ばれたことに妙な満足感が胸に宿り、人の心とは不思議なものだと思いながら、その想いのまま、また笑った。どうも、あんな風に神様神様と祈っていたところに、俺のような白一色の刀が来たものだから、本当に神が舞い降りて来たのかと思ったのだそうだ。ま、間違っちゃあいないし、分からなくもないが。付喪神は、神と名は付いているか、どちらかといえば妖の類に近い。彼女の言う神様は、それこそ神様仏様、の方だろう。それとは全く異なる存在なのだ。
 ──この時は素直に、付喪神を配下にする立場の審神者が神に向けて祈る、という彼女の姿が俺にとっては面白く映り、愉快に思っていたのだけれど。第一印象のおかげで、彼女から俺に対しての”神様”という概念は、数年経った今も、未だに根強く残っているように思う。
 美しくあり、誰からもひと目置かれることは、確かに喜ばしいことだけれど……そのせいで良い思いばかりをしてきたわけではない俺にとっては、今までとは内情が違うとはいえ、嬉しくもあり、面白くもあり。そして苦い思いにも変わりつつあったのだが。




「……お?な〜にしてるんだ?」
「!」
「うわ! 鶴さん!」
「ふは、別に今日は脅かすつもりで来たんじゃないぜ? 主が光坊と料理だなんて、珍しいな」
 台所に立っている見慣れた二つの背中が目に入って、その間から顔を覗かせてみると、大げさに肩を揺らす二人にくつくつと喉が鳴る。全く、反応が良いことで結構結構。
 料理じゃないよと応える主の言葉通り、そこに食材などは見当たらなかった。……ああいや、物があるにはあるのだが。主が言った直ぐ後に、出来上がっているそれを一つ指でつまんで徐に俺の口元に運んできたから、遠慮なくぱくりと口にする。うん、なんだか懐かしさを感じる味だ。
「ん……桜餅か」
「美味しい?」
「ああ、うまいな」
「あーこらこら、主。ダメだよ、鶴さんを甘やかしちゃ」
「減るもんじゃないんだし、ひとつくらい良いだろう?」
「ひとつ減ったけどね? 鶴さんはつまみ食いの前科があるからなぁ……」
「あー……それはダメですねえ」
「でしょう?」
「ずるいので」
「主……!!」
「はは! 今度は主も誘ってみるか?」
「やめてね!?」
 いくつかの皿に大量に乗っている小ぶりの桜餅は、後程、日頃溜まっていく疲労を解消する意味合いも込めて、皆で茶でも飲みながら食べようと、せっせと作っていたらしい。
 今遠征に出向かっている部隊が戻り次第、皆を集めるのだとか。そりゃ、喜ぶだろうなあと笑みを落としながら、近くにあった桃色をひとつつまんで、主の口元に運ぶ。先の俺と同じように、素直にぱくりと口に入れた主が、ふと顔を綻ばせて。美味しいね、と幸せそうに微笑むから、釣られて俺も……咎めようとしていた光坊でさえも、仕方なさそうに肩を落とし、頬を緩ませてしまっていた。
 ……彼女の言う、その”神様“が、今、どの程度彼女の中で生きているのかは分からない。俺達の存在が存在だ。まあ、人から神様と呼ばれても別段何ら違いはないのだが。彼女のいう神様の意味合いを知っている身としては、仏様の意を持つ「神様」と呼ばれるのはなるべく遠慮したいのが、本音だった。
 ただ、名を呼んでくれればいい。いつものように、短く「鶴」と、誰でもない……他のどの鶴丸国永でもない、俺自身を呼んでくれればいいと思う。……しかしまあ、それでも。今この瞬間、小さな幸福感で満ちている彼女を、こうして見ることができるのだから。まだ彼女の鶴丸で居続けていることが喜ばしいと思えてしまうのだから。
 あの時、「神様どうか」と祈ったおかげで俺が此処に来たことだけは、覆せない事実なのだし。結局は、主の言う「神様」の全てを否定することは出来ないんだよなあと……複雑な思いを溜息と共に空気に溶かして、食べてしまったお詫びに桜餅作りを手伝うことにするのだった。
 もちろん、驚きの隠し味を……なんて事はしないぜ? いやいや、本当だとも。


18.11.2