それは夢であり、現実だった

 鯰尾と万屋に来てみたはいいものの、鶴丸は元々首飾り? をしているから、鯰尾と似たようなものは贈れない。それに、白一色で染まっている鶴丸に、一体何色の物を選べば良いのだろう。赤色のものにして鶴のように? けれど戦場で白が赤に染まって、初めて鶴らしくなる、という言葉を覆してしまいそうで、赤は選びにくい。とはいえ白や透明なものにするのも、確かに彼の色ではあるけれどなんだか味気ない。
 あれこれ悩みに悩んで、結局買ったのは、琥珀色の耳飾りだった。鋭くも柔らかくも見える鶴丸の瞳のようだとそれを手に取った時、隣で同じように悩んでいた鯰尾が「鶴丸さんの目の色に似てるね」と言ってくれたから、これにしようと決断するのは早かった。
 すれ違いざま、堀川くんや山姥切に万屋へ行くと伝言を残していたから心配はないと思うけれど、直ぐ帰ると言っておいたのに、予想よりもずっと長い時間本丸を留守にしてしまった。気づけば夕暮れもすぎ、会計を終えた頃には暗くなり始めていた。
 これはいけないと、気持ち急ぎ足で帰還したのだけれど。本丸に帰って、まず最初に鶴丸の説教を聞くことになるとは、誰が思っただろうか。まあ、心配してくれているからゆえの怒りだと分かっているのだけど。結局、その日は直後に夕餉にも呼ばれてしまって、耳飾りは渡せず仕舞いに終わってしまったのだけれど。


「けほ、っ ………こ、れは、まずい」
 まさか次の日に風邪を引くなんて、本当に、誰が、思っただろうか。
 久しぶりに万屋に出かけたから? 誰かに移されてしまった? どちらにしろ、免疫力がなさすぎやしないだろうか。とにもかくにも、近侍に知らせて休まなければと思いながら、体を起こそうとして、……枕に沈む。びっくりした。思った以上に体が重い。仕方がない、近侍が書斎に来るまで待とうと、深く息を吐いて、のっそりと仰向けに転がった。
 ……そう、確か昔も、まだ刀が少なかった頃に体調を崩したことがあったっけ。あの時は朝からの不調に気づかないふりをしていて、鶴丸と紅葉を見ていて。でも、その帰り道に倒れてしまって。部屋で休んでいた時は、私が倒れたと聞きつけた刀たちがバタバタと部屋に押しかけてきて、休むどころではなかった記憶がある。大変だった。当然と言うべきか、全員、診察をしてくれていた薬研くんにこってり叱られていた。薬研くんの他に付添いを一人決めたら、他の刀の見舞いは禁止だと閉め出されてしまったんだっけ。……付添いに決まったのは、やっぱりその時も、真っ白な彼だったなあ。



 ぴとり。額に冷たいものが当てられる感覚で、緩やかに意識が浮上した。……いつの間に寝たのだっけ。
 重たい瞼を持ち上げれば、「気が付いたか?」といつもよりずっと抑えた声でわたしを覗き込む鶴丸が、少しだけぼやけて見える。風邪だと自覚した後、近侍を待っている間に眠ってしまったみたいだ。確かに体調が悪いとは思ったけど、発熱していたとは思わなかった。額に乗せられているのは濡れタオルだろう。ひんやりしていて、気持ち良い。
 ……待って、そうだ、今日の予定はどうなったんだろう。慌てて起き上がろうと少し身じろぎした瞬間、待て待て待てと両肩を押さえられてしまった。大人しく諦めたら、少しだけずり下がった毛布を肩まで掛け直し、呆れたようにため息をつきながら、もう少し寝ていろと鶴丸が声をとがらせる。
「薬研が言うには、疲労からの風邪だ。すぐ治るだろうが、無理は禁物。……今日、五虎退が近侍の予定だったのは覚えてるかい? 迎えに行ったはいいが、きみが苦しそうにしていて起きないと、泣きながら知らせに来てなあ。俺も、流石に肝が冷えた」
「……そ、っ、」
「ん? ……おっと、すまんすまん、無理に喋らなくていい。眠る前に水を飲んだ方が良いな」
 それは悪いことをしてしまった。言いかけた言葉は音にはならず、乾いた咳だけが出てしまった。かなり水分が体から逃げていたらしい。喉がカラカラだ。鶴丸の言葉にひとつ頷くと、起き上がらなくていいと言いながら、硝子のコップにストローを差して、口元に近づけてくる。……ストローなんて本丸にあったっけ? ……まあ、食事を主に担当している刀たちが、物珍しさから知らない間に万屋で調達していたのかもしれない。
 ありがたくそれに口をつけて、水で喉を潤した。突っ張っていた皮膚が緩むような感覚に、ほっと息をつくと、何やら鶴丸がむず痒そうな顔をしていて。わたしと目が合うと、いやなに、と言いにくそうにしつつも、「あー、はは、いやあ、まるで赤子のようだな、と、思ってな」と言葉を紡いだ。
 ちょっと不服だ。けれど、幾百の歴史を辿った貴方にとっては、わたしなんて赤子同然だろうに。そう思った時、目が覚める直前、昔も風邪を引いたことを思い出していたことが頭を過ぎった。
「光坊と歌仙が、食べやすいものを作ると言っていたから、出来上がった時にまた起こすさ。ほら、少しでも眠っておいた方が、治りも……。……どうした?」
 だから、なんとなく。毛布から少しだけ腕を出して、鶴丸の羽織を指先でつまんで。少しだけ引くと、何か喋ろうとしていると気付いたのだろう彼が耳を近づけてくる。す、っと息を吸って、潤った喉を震わせた。……あの日、目が覚めた後、血相を変えて具合を確認してきた彼に、最初に呟いた言葉を、音にする。
「……か、みさまに、風邪、……うつっちゃう」
「! ……いいかい、きみ。神様はなあ、風邪なんぞ引かないのさ」
 ぱっと少しだけ身を起こして、驚いたようにわたしを見た鶴丸は、しかしふっと懐かしそうに目を細めて、あの時よりずっと優しい声で、その時にも聞いた言葉を返してきた。
 なんだか、それにとても安心していると、急に視界が真っ暗になってしまった。……どうやら、鶴丸が手で目隠しをしてきたようだ。さあ、もう寝てしまえと優しく響く声に導かれるように、両目を閉じて、意識を沈めていく。
「俺が、神様じゃなかったなら。……きみを苦しめるそれを、貰ってやれたかもしれないのになあ……」
 意識が暗闇に沈む直前、ストローから雫がぽろりと落ちる一滴のように、小さく呟かれたその声が、とても……とても、寂しそうで。鶴、と彼を呼びたかったのに、まるで無理矢理蓋を閉められてしまうかのように、それは叶わぬまま、眠りに落ちてしまうのだった。

―――――――――――



 朝から、少しだけ頭が重かった。景趣を夏から秋に変えて暫く。季節の変わり目に当てられてしまったのかもしれなかったけれど、その時のわたしは寝不足かな、と深く考えずに、いつも通り支度をして、いつも通り皆と朝餉を済ませて、いつも通り審神者の仕事をひと段落させた頃。
 未だ頭は重く、少しだけちくりと痛むこともあるけれど、動けないわけではない。今日早めに休めば大丈夫だろうと、少しだけ熱い息を特に気にせずふう、と吐く。「きみ、今いいかい?」と、書斎の戸の向こうから鶴丸の声が聞こえたのは、そんな時だった。
 大丈夫だよと返事をして、襖を開く。……瞬間、瞼の裏がほんの一瞬だけ、真っ白になって。と同時に、頭がちくちく痛んだ。しかしすぐに景色は戻り、ぱちぱちぱちと瞬きを何度も繰り返すと、目の前で不思議そうに小首を傾げている鶴丸をようやく捉えることが出来た。
 真っ白な髪が、太陽に照らされてキラキラ輝いている。……これのせいだったのかな。
「……どうかしたのか?」
「ん、ううん、……なんだか眩しくって」
「眩しいって……きみ、最近は殆ど此処に籠りきりだったろう。目が暗闇に慣れてしまっているんじゃないのか?」
「んー……暗いと思ったら、ちゃんと明かりは点けてるはずなんだけど……」
 これは近侍も秘書役になる必要があるかなと眉を下げてふすりと微笑んだ彼に、それは助かるなあと返したら、デコピンされてしまった。ちょっとだけ痛かった。
 普段、近侍を務めてくれる刀は、執務中は出来ることも少ないし、仕事の邪魔にならないようにと書斎にはあまり入らないのだけれど。その代わり、合間を見て休憩しようと話をしに来たり、お八つに誘いに来てくれたり。私が時間を忘れて仕事をし続けることのないよう、小さな気遣いを彼らはしてくれている。
 今日の近侍である鶴丸は、「とにかく休憩だ休憩!」と胸の前で手をパン、と叩いて、私の手を取る。書類もキリが良いところまで終わっているし、断る理由もないかと素直に着いていくと、向かう先は、葉が赤く染まっている本丸の中でも大きな木のようだった。少し離れたところに立っている桜の木も、もみじ程ではないが紅く葉を染めている。
「紅葉が、綺麗に色付いているんだ」
「本当だね……」
「ほうら、やっぱり気がついていなかったな? ……きみ、仕事熱心なのは良いことだが、時には周囲に目を向けて、一息つくことも大事だぜ? 煮詰めすぎていたら、些細な驚きも見逃しちまう」
 景色すら見えなくなってしまって、そのうちどんな変化にも気づかなくなってしまいそうで心配だと彼は言う。それは、心が死んでいるも同然だと。
 連れてきてくれた紅葉の木の下で、炎が揺らいでいるように葉のそよぐ音を鳴らしているそれを見上げて。確かに、こんなに綺麗に色付いているのに、気づかないまま、ちゃんと見ないまま散ってしまったんじゃ、この木も悲しむかもしれないと思った。付喪神である彼に言われると、妙に説得力があるものだから、つい頷いてしまう。
 たどり着いた木陰で、秋を知らせるその色を見上げた。紅葉の根本には、既に散ってしまった葉が、そこそこ積もっている。その中から一枚、形が綺麗に残っている葉を手に取ってみた。ふと思い立って、目を細めて紅葉を見上げていた鶴丸を呼んで、振り返った彼の髪に……差すことは出来ないけれど、手に取った紅葉を翳して。
「まるで鶴だね」
 真っ白な姿に、髪を紅葉で彩る姿に、そう言った。鶴丸は、驚いたようにぱちぱちと瞼で星を弾いて、乙なもんだ、と少しだけ気恥ずかしそうに微笑んだ。
「もう少し葉が散ったら、葉っぱを集めて焼き芋でもしたいねえ」
「焼き芋を、……する?」
「うん? ……ああ、ええっとね。落ち葉を集めて、中にお芋を入れて、葉っぱに火をつけて、焼きあがるのを待つんだよ」
「葉を燃やす……火事になりそうなもんだが……」
「あはは、そんな勢いよくは燃やさないし、落ち葉って案外燃えにくいんだよ。落ち葉で焼いた焼き芋って、普通に焼くより美味しいの。今度皆で食べようね」
「そりゃあ、楽しみだな」
 少しだけ可笑しそうに喉を鳴らした鶴丸に、どうしたのかと聞くと、折角紅葉を見に来たのに、それを燃やす話になるとは、と笑われてしまった。確かに。ムードも何もない。でも本当に美味しいんだから。
「分かった分かった。んじゃまあ、今日のところは光坊に頼んで、何か作ってもらうとするか。主は小腹が空いているようだしなあ?」
「な、ち、ちがっ! そういう意味じゃないから……!」
 もしかしなくてもこれは、食い意地を張っていると思われている。悪戯をする少年のように笑って歩き出す鶴丸を、誤解だからと反論しながら追いかけようと、慌てて木陰から一歩踏み出した時だった。
 この季節、夏ほど強い日差しではないはずなのに、太陽が目の裏でちかちか弾けているみたいに、眩しく感じて。先程のように何度か瞬きをしても、眩しさは消えてくれなくて、それどころか目の前がぐるぐると回っている、ような。嫌な感覚。
 立ち止まった私を不思議そうに呼ぶ鶴丸の声が、そして慌てて駆け寄りながら私を呼ぶその声が、近くにいるはずなのになんだか遠く感じて。あ、いけない、これ、貧血起こしたんだ。
 思った時には遅く、ふっと視界が真っ白に染まった。



 
 ……そう、確か、あの時も目が覚めたら自室だったんだ。白衣姿の薬研くんに具合はどうか聞かれて、倒れた時よりもずっと身体が怠く重いことに気がついて。「疲労風邪だな。治るまで仕事は禁止、ゆっくり休んでくれ」とお手製の薬を……飲みやすくしてくれたのか、とても甘かった薬を飲んだ私にそう言って、部屋を去って行ったのだけれど。
 入れ替わるように部屋に入ってきた鶴丸が、それはもう……それはもう、こちらが泣きたくなってしまうくらい、悲痛な表情で、外へ連れだしてしまった事を悔いていたものだから。目の前で倒れられたんだもの、とんでもなく心配をかけてしまったんだろう。それでも、私にとっては確かに気晴らしになったというのに。

 ぼんやり、意識が浮上した時のまま、自室の天井を眺めながら想いを馳せていたのだけれど。隣で聞こえた布の擦れる音にふと視線をやると、……わたしの右腕あたりで、すうすうと丸まって眠っている鶴丸がいた。……ずっとついててくれていたのだろうか。
 少し離れたところに、空になった器と、こちらも空になっている小さなビンが乗っているお盆が置いてある。そういえば、虚ろなまま食事をとった気がしなくもない。あまり覚えていない。けれど、空腹は感じないから、きっと彼か薬研くんが食べさせてくれたんだろう。あの瓶は、恐らく薬研くんが作った薬の入れ物か。
 いつものように羽織を着たまま丸くなっているせいで、ふっくらしている鶴丸の姿が、本当に羽を畳んでいる鶴のようで。思わず頬が緩む。そろりと毛布から腕を出し、さらさらの髪をゆっくり撫でた。神様の頭を撫でるなんて、最初に彼を顕現したときのわたしなら、恐れ多くて到底出来なかっただろうけれど。
 ……彼は、わたしが神様という単語を口にすると、ちょっとだけ不満そうに……少しだけ、不安そうにするから。そう称されるのが、あまり好きではないのかもしれない。でも。鶴丸は、わたしにとって……やっぱり、わたしの神様であり、そして良き理解者であり、家族でもあり。とても、大切な刀だ。彼は、もし自分が神でなかったならと言っていたけれど。
「……もし、」
 先程よりもずいぶん、楽に声が出せるようになっている。存外、治りは早いかもしれない。
「もし、……鶴が、わたしの神様じゃなかったら」
 ぴくり。わたしの毛布の上に軽く乗っていた手が、反応した。気づかないふりをして、続ける。
「”わたしの鶴丸国永”を、こんなに、大切に……想えて、なかった……かも、しれない」
 もう彼の手は動かない。……けれど、なんとなく、起きているのが分かる。先程よりずっと、意図的に息を潜めているみたいだったから。するりと雪のように白い髪を指に通して、さらに続けた。
「わたしの鶴丸が……あなたで、よかった」
 言い終わると同時に、撫でていた手を取られて。ゆっくり起き上がった彼は、しかし身体は横になったままで、枕の横に肘を立て、月色の瞳でわたしを見下ろしてくる。もう片方の手は、変わらずわたしの手を握っている。その手に少しだけ力を込められて、す、と言葉を紡ぐために、息を吸った。
「俺も、……俺の主が、きみで良かったと思ってる」
 手を離して、今度は鶴丸が、わたしの髪を撫でる。瞼に残る眠気に抗うように、数回瞬きをして。……けれど、送られた言葉と、彼の手が心地よくて、つい、顔が緩んでしまう。知っている。知っているけれど、言葉にして伝えてもらうのは、やはりとても……とても、嬉しいものだ。
 そして、赤く染まったあの木を、不意に思い出した。今年も、できるとなら彼とまた紅葉を見たい。それから、葉が散ったら落ち葉を沢山集めて。さつまいもを入れて。
「また皆で焼き芋したいな」
 つい、ぽろりと出たその言葉に、鶴丸がたまらずといった様に、ぷすりと吹き出されてしまった。ひどい。でも確かに、今言うことでもなかったかなとは思う。けど秋の焼き芋は美味しいの。本当だよ。
「くく……っ、ああ、分かった分かった。また、葉が役目を終えたら、皆で集めよう。散る前に、紅葉を見に行こう。そのためにも、早く治してもらわないといけないよな」
「……ん、そうだね。……治す」
「ああ」
「……お、やすみ、つる」
 ゆるゆるわたしの髪を撫でる鶴丸が、ふわりと目を細めて微笑み、頷いた。
「おやすみ、主。……俺も、きみの──……」
 最後に、囁くように落とされたその言葉が、胸の奥でじんわりと広がり、心に染み込んでいくような感覚で満たされながら。今度は、朝よりもずっと暖かな、穏やかな気持ちで、眠りへ落ちていくのだった。


18.11.12