奇跡の出会い1

※活劇本丸に飛ばされる話(12話以降)

 ちらりと時計を見る。迎えが来るまで、あと三十分程。忘れ物がないか再度確認をして、壁にかけてあるマフラーを手に取った。
 書斎を出ると、ひんやり冷たい空気が首回りを撫でて来るので、すかさずそれでぐるりと首を守った。マフラーをしているだけで、だいぶ寒さが緩和される。有り難い。書斎に冷気が必要以上入ってこないよう、しっかり襖を閉めて、すぐ近くにある池を覗き込んでいる鶴丸に歩み寄った。
 顔だけ上げてわたしを確認した彼は、「なあきみ、」と不思議そうな顔をしてもう一度池を見下ろす。池は寒さから薄く表面に氷を張り、しかし朝日を受けてきらきらと輝いていた。底の方で、相変わらず鯉が優雅に泳いでいるのが見える。
「この寒さで水が凍るっていうのに、鯉たちは大丈夫なのか? 死んだりしないよな?」
「うん、大丈夫。……魚は、水が全部凍るくらいの寒さじゃないと凍らないし、死なないんだよ」
 変温動物、と言っても彼らには伝わらないだろう。周りの気温に合わせて、自分の体温が変わっていくから、わたし達みたいにすごく寒い! とはならないんだよと、小さな頃に学んだ知識を教えながら、表面の氷を指先で何度かコンコンと叩いた。やがてピシリと入った亀裂の背を押すように、更に叩き続けて。パキ、と水面に穴が開き、その部分の氷の欠片が、音も立てずに池の中に沈む。空いた穴を広げるように周りも指でパキパキと冷たい音を立てながら割っていく。鶴丸は、それを首を傾げて眺めていた。
 いくら寒さに強いとはいえ、表面がずっと氷で覆われていたら、鯉に酸素が届かなくなってしまう。もし気にかかるなら、こうやって空気の入り口を作ってあげてねと伝えながら、穴が手のひらほどの大きさになったところで割るのを止め、立ち上がった。あとは、昼頃の暖かい日差しを受ければ時期に溶けるだろうし、放っておこう。
 成る程、と何度か頷いていた鶴丸が、しかし水面を割っていたわたしの手を取って、きゅっと眉を顰める。まあ、この寒さの中、氷に触れていたのだ。冷たくなって当然だけれど。
「帰りに、手袋でも買って帰るか」
「あ、確かに欲しい、かも。……じゃあ、鶴が選んでくれる?」
「お、いいぜ! きみに似合うものがあるといいなあ!」
 太陽が氷に反射する光のように、きらきら笑った彼に、自然と顔が綻んだ。寒いなら着とくかい? と羽織に触れる彼の言葉には丁重に断って、正門へ向かう。あと十五分ほどしたら、こんのすけが来るはずだ。

 ――今日は、年に一度の審神者会議集会の日だった。参加は任意で、わたし以外にも毎年参加していない審神者は多いらしいのだけれど、実際どんなことを話し合っているのか気になるところでもある。全く知らない本丸の様子も聞いてみたい。折角だから、今年は行ってみようということになった。
 普段出陣する際は、正門から指定した時代に転送される仕組みなのだけれど、今回はこんのすけが直々に転送してくれるようだ。政府の管理下にある場所とはいえ、時空の狭間に存在する本丸から出るのだからと、同行する刀は必ず戦闘服で参加することが義務付けられている。羽織はいつも着ているとはいえ、やはり袴姿でいる時と比べ、正装ともいえる鶴丸の武装姿は、普段よりもどこか勇ましく見える。
 腕を組み、正門にとんと背を預けた鶴丸の髪と一緒に、彼に贈った日から常に身に着け続けてくれている耳飾りが揺れる。耳たぶで琥珀色を主張し、短く鎖が垂れるそのデザインは、自分で言うのも何だけれど、鶴丸によく似合っていると思った。
 着物の袖を少しだけ捲って、腕時計を確認する。……あと五分だ。この本丸のこんのすけは、刀やわたしには少し甘いけれど、自分に対することでは時間に物凄く厳しい。時間きっちりに本丸に現れ、時間きっちりに帰っていく。もう少し自分にも優しくしてほしいと思うのだけれど、そればっかりは治らないみたいだった。そろそろか、と鶴丸がぽつりと呟いた。

 ――瞬間、門が、ふわりと一瞬光る。
 え、と声を上げる前に、……どういう訳か、わたしと鶴丸が柔らかな光に包まれていた。……これは、出陣時に何度も見た、転送時の光だ。
「え、あれ、まだ時間じゃない……よね」
「……妙だな……。主、俺から離れるなよ」
「わ、わかった」
 わたしたちに、この転送自体を止める術はない。鶴丸は酷く冷静に、自身の柄に片手を添えながらわたしの隣に立った。ともかく、これがこんのすけによるものならまだいい。問題なのは、そうじゃなかった場合だ。
 この光は、わたしたちをどこへ向かわせようとしているのだろう――……。



 ふ、っと、視界が切り替わる。すぐに感じたのは、浮遊感。足が、つかない。落ちる……!?
「わ、わ、……あいった!?」
 と思ったら、すぐに地に足がついた。地面から数センチ浮いたところで転送完了されたらしい。そんな中途半端な。突然の着地に対応できるはずもなく、そのまま尻餅をついてしまったわたしの後ろで、同じように転送されてくる、馴染み深い気配がした。良かった、鶴丸と別の場所に転送される、なんて最悪の事態からは逃れられたらしい。
 取りあえずここはどこか確認しなければと顔を上げた瞬間、は、と間抜けな声が出てしまった。
「……貴女、は……?」
 だって、そこに居たのは、敵でもこんのすけでもなく、見覚えのない……けれどわたしにもわかるほど大きな霊力を抱える一人の人間、恐らく審神者だろう少年と、す、と目を細めてこちらを見る、三日月宗近だったからだ。
 周りを見れば、内部構造は全く違えど、此処は部屋だと分かる。ただの部屋ではなく、立派な審神者部屋だ。
「こりゃまた、驚きだねえ」
「お、驚いてる場合じゃ、ない……」
 ぽかんとわたし達を見ていた少年に、三日月宗近が振り返りながら、知り合いか? と尋ねる。戸惑いつつもいいえ、と首を振った少年に頷き、「では、敵か?」と鋭くわたしを見やる。まるでその目に射抜かれてしまったかのように、喉が一瞬ひくつく。だめだ、この人は、この刀は、今まで見てきたどんな三日月宗近よりも、強い。……怖いと、思ってしまった。後ろに立つ鶴丸の空気が冷たく……先程触れた氷よりも冷たく変わったのが、痛いほどに分かる。まずいと、思った。
 ……それは一瞬だった。少年がハッと彼の名を呼ぶのも、わたしが咄嗟に「抜かないで!」と叫ぶのも。

 ガキン、と、金属がぶつかる音がその部屋に響く。わたしと少年が声を上げた次の瞬間には、三日月がわたしたちに向けて刀を振りおろし、それを鶴丸が受け止めていた。……ただし、鶴丸は、刀を鞘に仕舞い込んだままで。
 一瞬驚いたように目を丸くした三日月宗近が、けれどすぐにふと笑みを浮かべて、「従順だな」と呟いた。
「……君は、自由奔放すぎるんじゃないのか?」
「お前にそれを言われてしまうとはなあ」
「っはは! 生憎、……君の知る鶴丸国永じゃあ、ないもんでね」
「……」
「三日月宗近! 刀を収めてください! 貴方も分かるでしょう? 彼女たちからは悪意を感じない。敵ではありませんよ!」
 少し間をおいて、ま、そうだなと身を引いた三日月宗近に、思わずほっと胸を撫で下ろす。……多分、本気で殺しにかかって来たのではなかったんだと思う。けれど、正直、少しだけ焦りも感じていた。先程降りかかってきた彼の威圧感は、尋常ではない。鶴丸が、手が痺れるかと思ったぜと言いながらひらひら片手を振っている。とても久しぶりに、彼から言いようのない緊張が感じ取れた。一瞬で鶴丸がそうも危機感を感じるなんて、……あの三日月宗近の練度も、鶴丸と同じか、もしかしたらそれ以上か。どちらにしろ、ものすごく高いのだろう。
 三日月宗近が刀を収めたのを確認してから、鶴丸も鞘を戻す。立てるかい? と振り返ってわたしに手を伸ばす鶴丸に頷いて、手を引いてもらいながら立ち上がった。腰は抜けてない。大丈夫だ。鶴丸の鞘に念のため指先から霊力を注ぐと、おいおい、別に傷ついてやしないぜ? と張りつめた空気を崩して、笑われてしまった。
 少年が、突然申し訳ありませんでしたと謝りながら、ぱたぱた駆け寄ってくる。
「あ、いえ! 突然、見知らぬ人が現れたんですし……あなたの三日月さんの判断は、正しいと思います」
「それは、そうかもしれませんが。私は、同じ”人”である貴女に、怪我を負わせたくはありません」
 ……嘘を言っているようには見えない。怪我はありませんよねと確認してくる少年は、霊力はとても強力だけれど、やはりわたしと同じ、人間だった。
 鶴丸も危険はないと判断したのか、一歩後ろに下がる。少年が鶴丸にお礼を言うように笑みを浮かべてから、それで、と改めてわたしと向かい合う。事情を聞きたいのだろう。彼にひとつ頷いて、何か分かる? と鶴丸を見上げた。先程まで三日月宗近へ向けて溢れ出していた殺気は静かに身を顰め、わたしと目が合うと、しかし困ったように眉を下げて肩を竦めてみせた。予想はしていたけれど、彼にも、状況は全く分からないようだ。
「……あの、説明する前にお聞きしたいのですが」
「はい、なんでしょう?」
「その……ここって、本丸、ですよね。……合ってますか?」
 改めて、自分が転送された部屋を見回してみた。戦況を映し出すモニターがあり、審神者用だろう机があり、そして見えなくとも、この建物内から複数の気配を感じる。更にその気配は、人間のものではない、身に覚えのあるものだった。
 目の前の少年はどこか安心したようにふと表情を緩めて、ゆるりと頷いた。あどけなくも、大人びた表情だと思った。
「ええ。此処は、私の本丸です。……初めまして。別の時空の、審神者様」



18.12.6