銀世界の決意

もし冬まで誰も鍛刀していなかったら。シリーズのif√
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 その日は少し、いつもより心が晴れやかだった。襖をすす、と開けた先で、白く染まる景色にほんの数秒、見惚れる。
 突き刺すような冷たい空気の中、上着も羽織らずに一歩、白一色で彩られた庭へ足を踏み入れると、その柔らかな白はざくりと音を立てて、靴の形に沈んだ。深さは、ちょうど足の甲が埋まるくらいだ。もう一歩、もう一歩。真っ白な雪景色に、わたしという異色の足跡をつけていく。
 部屋から見えていた、庭の真ん中あたりに立ち、振り返って自室を見た。襖が開いたままのそこには、当たり前だけれど誰もいない。……"いつか"はあそこにわたしがいて、短刀たちが庭を走り回り、丁度わたしが今立っているこの辺りで、主様と呼びながら手を振ってくれていたのだと思うと、ちょっとだけ擽ったかった。
 またくるりと自室に背を向けて、顔をあげる。……寒い。長靴なんて履いていないから、溶けた雪が布と靴に染み込んで、足は容赦ない冷気で包まれる。数分もたっていないのに、指先はもうピリリと痺れるほどに冷えてしまっていた。……寒いな。
 はあ。と息を吐く。小さな雲になったそれは、わたしの正面にある、表面が凍った池と赤い橋をぼんやり滲ませた。
 ……そういえば、本丸へ戻ってから、池の様子を全く見ていなかった。あの下で太陽の光を浴びて、鱗をきらきらと輝かせていた鯉たちは、まだ泳いでいるのだろうか。それとも、泳ぎ疲れて眠ってしまっているだろうか。……確かめようとは、思わなかった。なんとなく、後者だろうと分かっているからだ。
 服が雪で濡れるのも気にせず屈んで、雪に指を差しこみ、大きく掬う。両手でぐぐっと固めて、半球体を目指しながら指で形を整えた。氷を握っているわけなのだから当然だけど、急激に冷えた手のひらが痛みを訴えてきて、思わず眉を顰める。一旦それを、掬ってぽっかり窪んだ部分の雪の上に置いて、冷えた両手でしわが残るほどに服をぎゅう、と握り、冷たさを誤魔化す。……まだ冷たい。寒い。……寒い。

「――……っきみ!!」
 聞き慣れた声が、背後から聞こえて、ゆるりと振り返った。鶴丸が焦りを滲ませた表情を浮かべながら、ギュ、ギュ、と雪を大股で踏みつけて駆け寄ってくる。いつもと同じ、袴の上から羽織を着て、首には長めの灰色のマフラーが巻かれていた。
「どうしたの? そんなに慌てて……」
「……はあ。まったく、どうした、はこっちの台詞だ」
 こつ、と指で額を小突かれ、小さく唸る。わたしを探していたらしい。身に着けていたマフラーを外して、わたしの首に巻き付けてくれた際に頬を掠めた鶴丸の手は、走っていたからか、それともわたしが雪に熱を奪い取られてしまったせいか。とても、熱く感じて。
 思わずその手を取ると、彼は途端に顔を顰めてしまった。しかしすぐにかじかんで感覚が無くなりつつあるわたし手を両手で包み込み、体温を分けてくれる。……暖かい。
「鶴はあったかいね」
「おいおい……きみが冷たすぎるんだろ? 厚着もせずに何をやっているんだ」
「……。もし、」
「ん?」
「……もし、ここで、皆と遊んだら。寒くても、あったかくなるかなって、思って」
 鶴丸が、口を閉ざした。そっと見上げると、目を丸くしていて。「そう思ったら、外に出たくなっちゃった」とぽつり、続けた。
 やがて彼は、喉に詰まっていた言葉を全て溶かしたような白い息をは、と吐き出して、目を閉じる。まるで祈っているかのように、わたしの手を包み込む自分の両手を胸元に引き寄せながら、鶴丸は、噛み締めるように頷いた。手は、彼の体温を奪って、感覚を取り戻しつつあった。
 瞼を持ち上げ、吸い寄せられてしまいそうな金色がわたしを映し、揺れる。
「ああ。……っああ、そうだ。そうに違いないさ。寒くてもきっと、今より、ずっと……」
 言葉を続けようとしたんだろう唇が、またゆっくり閉じ、くしゃりと表情が崩れた。今にも泣きだしてしまいそうな、笑顔だった。
 本丸に雪が降り始めてから、数日が経つ。積もった庭の雪についている足跡は、先程のわたしと、駆け寄ってきた鶴丸のものだけだ。”皆”が居たら、この辺りなんて、きっとあっという間に足跡だらけになってしまうんだろう。
「――ずっと、暖かくなる」
 震える声を抑えながらそう言ってくれる鶴丸に、自然と笑みが浮かんだ。
 皆を迎えたら、何をしよう。やっぱりおしくらまんじゅうかな。皆が入るくらい大きなかまくらも作ってみたい。雪合戦してみたい。鶴丸くらい大きな雪だるまも作ってみたい。でも、雪をそのまま触っていたら、わたしのように手が痛くなってしまうだろう。全員分の手袋が必要かもしれない。
 あれしたい、これしたいとぽつぽつ言うわたしの言葉に、鶴丸はひとつひとつ頷いてくれた。
「できるかな。……全部、皆と」
「できるさ! 皆でなら、な。 ……ただ、毎日雪遊びするとなると、雪があっという間に無くなってしまいそうだ」
「毎日」
 大真面目にそう言う鶴丸に、ぷす、と笑いが漏れてしまう。毎日。皆が集まったら、毎日遊ぶつもりだったのか。
 くすくす溢れる笑いを止められずにいると、わたしが考えていることに気づいたのだろう鶴丸が、少しだけ気まずそうに視線を逸らして、もちろん任務はこなすつもりだぜ? と苦笑を浮かべた。そういうことじゃない。
 まだ冬は続く。春までまだ先は長い。今から焦って全て実現させなくたっていいんだ。それに、今年出来なかった雪遊びも、来年やればいいだけのことなのだから。
 わたしの言葉を聞いた鶴丸が、来年、とぽつり、呟く。その単語を時間をかけてかみ砕き、飲み込むと、蕾が花弁をゆっくり開いていく瞬間のように、ふわりと綺麗に笑ってくれた。
 来年も、一緒に生きよう。その時は、初雪が降った日に、この本丸がたくさんの歓声で満ちていればいい。
 きっと次は完成させるからと、雪うさぎにはなれずに形が崩れ出している、置かれたままの半球体に、そっと祈りを送った。


18.12.26